エンドゲーム後
ロングアイランド・アイスティー
背中を強ばらせながら立ち止まったクイルは、今しがた曲がってきたばかりの廊下の角から、まるで西部劇のガンマンのような気迫をまとったネビュラが現れるのを見た。ことあるごとにスター・ロードと名乗っているものの、含みを持たせずに呼ばれることが少ないだけに、呼ばれるとつい身構えてしまう。ネビュラに呼ばれたとなるとなおさらだ。
「どうした?」
向き直って、なんとか頬を緩める。自分の笑顔は大抵の女性に有効だと自負していたが、ガモーラと同じくネビュラにもあまり効果がなさそうだ。近づいてくると言うよりは間合いを詰めると言ったほうがいいような、無駄のない動きで距離を詰めたネビュラが正面に立つ。ネビュラの感情の読み取りにくさは、同じように黒目がちなマンティスの比ではない。
「ロケットがあんたに話せって」
「今ロケットって言った?」
「言った。おかしい?」
「……いや。その方がいいよ」
ネビュラがロケットを「しゃべるキツネ」と呼ばなくなっている。これもまた例の五年の経過というやつか、ともう何度目になるか分からない違和感をクイルは飲み込んだ。積み荷の位置だとか制御盤の配置だとか、大したことがないからこそ目につく相違点と相まって、自分がどこか別の世界に紛れ込んでしまったような気すらしてくる。先に倒したサノスも、ガモーラを連れ去ったのとは別の、別の世界のサノスだと言うのだから、そうだとしても不思議ではないではないか。
「えーと、それで?」
「ガモーラの話。場所を変えるわ」
ガモーラの話。クイルは返事も待たずに足早に脇を通り抜けたネビュラの背中を慌てて追いかける。
「どこに行くんだ?」
「作戦室」
「作戦室? 何か情報があったのか?」
用途によって呼び方が変わるだけで、作戦室はダイニングルームと兼用だ。時間帯としては誰かが食事をしていることはないだろうから使うのに遠慮はいらないが、もし重要な話なら招集をかける必要がある。ロケットに言われたということはロケットもいるのだろうか。しかしそれならロケットが呼びに来そうなものだ。
「黙って」
振り向きざまにぴしゃりと言いつけられたクイルは黙ったが、耐えきれないとばかりに口を開く。その口もネビュラの眼光によってすぐに閉じさせられた。
「用があるのはダイニングルーム。私の情報は……姉さんを探す手がかりじゃない」
落胆を隠せないクイルそっちのけで、ネビュラは真剣そのものの顔で酒を混ぜ合わせている。酒だということはテーブルに並んだボトルに書かれているから分かるだけで、地球で積み込んだというそれらは、飲むようになる前に連れ出されたクイルには見覚えがないものばかりだ。爆薬を作っていると言われたほうが納得できるピリピリした空間は、ドラックスでもいた方がマシだったかもしれない。
「できた」
仕上げらしいコーラを混ぜたあと、縁にレモンを刺そうと奮闘して諦めたネビュラは、ずいと押しやるようにビアマグを差し出した。
「飲んで」
「これさ」
「毒は入っていない」
それを疑ったんじゃない。確かに少しは考えたけど。クイルは会話することを諦めて、器の選択を誤っているとしか思えないビアマグの取っ手に手をかけた。レモンに切れ目を入れる話はまた今度しようと思う。
「……ん?」
おっかなびっくり飲んだせいで、大ぶりのグラスに比して少ない液体が口に届くには時間がかかった。予想外にコーラの味がしない。舐めるようにもう一口、飲んだクイルは記憶をたぐる。知っている味だ。テーブルの上で拳を握り、熱い視線を注いでいるネビュラは、クイルが叩こうとした軽口を察したのか眉間に皺を寄せた。仕方なく、クイルは感想だけを口にする。
「うまいよ」
ネビュラの表情が、和らいだように見えた。
「これがどうしたって?」
あと少しのところまで出かかっている記憶は、口当たりの良さに反して出てこない。ネビュラもクイルが思い出すことを期待しているようだったが、しびれを切らしたのか、拳を開いてすっと身を引いた。
「私達は食事に行く約束をしていた。長く一緒にいたのに、お互いの好きなものを何も知らないと。私には好きなものなんてない。だからガモーラが、それなら自分の好きなものを教えると言った。……その味のこと、憶えている?」
ここの返答を間違うと命がないと、銀河を股にかけるプレイボーイの直感が告げていた。向けられた探るような目を受け流し、クイルはグラスに目を落とした。
時間稼ぎではない。確証を得るために一口飲む。胸に浮かんだカクテルの名前。こみ上げてきたものを飲み下すために、クイルは残り全部を流し込んだ。口から出たのは溜め息ではない。息継ぎだ。
「……俺が彼女に教えた」
氷だけになったグラスを握りしめ、クイルが絞り出したカクテルの名前を聞いて、ネビュラは頷いた。
楽しむ目的で酒を飲んだことがない。そもそも酔わない体質だ。そう言って迷いなく一杯目と同じものを頼もうとするガモーラにかぶせてカクテルを注文したのは、下心はもちろんあったが、望んでもないのに銀河中に名を知られている彼女に少しでも楽しい思い出を増やしてほしかったからだ。渋面のバーテンダーがカンペを見ながら作ったのは、朝寝した日の空のような淡い青と金。いつか君とこんな朝日を見たいなんて言葉はすぐに封じられたけれど、味は悪くないという評価だった。
見た目は違うが、地球の酒で近い味を作れるなんて。いや、それより。
「ガモーラが、好きだって?」
「……ロケットが、あんたに話してやれって」
予想か、期待か、とにかくその通りの答えに、クイルは噛み締めるように頷いた。バーテンダーが暗記しているかはともかく、それなりに普及した調合だったが、クイルが知る限りガモーラがそれを頼んだことは一度もない。クイル自身、忘れていたできごとだった。
「……話してくれてありがとう」
もう一杯もらえる? と試みに言うと、ネビュラは一枚のメモを突き出した。
手書きのレシピだ。末尾に付け足された「Long Island Iced Tea」というのがこの地球産カクテルの名前だろうか。ネビュラが書いた字を見たことはなかったが、英単語を書き慣れているように見えるその文字は、別人の手によるものである気がした。
「トニー・スタークが言っていた。この酒を勧める男には気をつけろと」
予想だにしなかった名前を聞いて顔を上げたクイルは、相変わらず読みにくいネビュラの目を見て頬を引きつらせた。飲みやすさとは裏腹にアルコール度数が高い酒がある。それはクイルも十分に承知していることで、今飲んだ「ロングアイランド・アイスティー」とやらもその部類なのかもしれない。ネビュラに余計なことを吹き込んだ男に恨み言をぶつけかけたが 、なけなしの良識が歯止めをかける。
「……元の酒は、アルコールの割合がもっと低かった」
言って、ネビュラはふいと目をそらした。にこりともしなかったが、空気は明らかに軽くなっていた。
まさかからかわれたのか? あのネビュラに?
クイルは戸惑いながら、グラスの底に現れた、氷が溶けてできた水を見る。締まらない薄い味は飲む前から予想できた。
「……だろ。俺は誠実なんだ」
- 投稿日:2019年7月21日