末日
残照が消えた海は太陽など知らなかったような顔で白い月の光を映している。潮風特有のべたつきを頬に感じながら、届毛はひりついた感覚が残る首筋をさすった。入獄時に刈り込んだ髪を再び伸ばす気にはなれず、切り整えた長さは往時よりも随分短い。できることならば冬に来たかったが、季節が過ぎるのを待つ気力はもうなかった。
星を浮かべた空との境から、海を抱き込むように伸びる山の端に目を滑らせる。遠浅であるために穏やかとはいえ、波音も用水池である入鹿池とは違っている。それでも故郷を思うには十分だ。寄せては返す波をなぞり歩くと、一歩進めるごとに細やかな砂が草履に入り込んだ。
山あいにある明治村は平地に比べれば夏の終わりが早かったが、喪野垣の遺体は早々に埋葬された。遺族としては勘当同然の息子のことを早く始末したかったのだろう。郵便局の中にある喪野垣の居室には形見分けを行えるような品はなく、局員である届毛が真犯人であったことを幸いとばかりに、全ての処分は郵便局に押しつけられた。届毛の手元に届いた喪野垣の眼鏡は疲れた顔をした局長からの差し入れだった。
砂浜の際で膝をつき、昼のうちに目を付けておいた石に手をかける。揺さぶり起こした石は望んだ通りの重さで、届毛は胸に広がる安堵を感じた。
ひとまず石はそのままに、袂を探って匣を取り出す。中に収められている眼鏡は取り立てて特徴のないありふれた物で、喪野垣の顔を思い描いてみても彼のものであったか判然としない。細いツルに支えられた分厚いレンズを月に透かし見る。飛んでいた血潮こそ拭われていたが、二度と使われることがないためか曇りが残っていた。慣れない手つきで耳にかけると、曇りよりも度が合わないために視界が歪んだ。
案ずるよりも産むが易しと言うものの、現実は不格好にしか進まない。大きさと重さに苦労しながら、届毛は人の頭ほどの石をどうにか袂に収めた。半ば習慣的に手についた砂を払おうとして、袖を引く重みに心を揺らす。駄目押しのつもりだった衿を左前に合わせる違和感が、さらに頭を冷え込ませた。
今度は衝動ではなく、考えた結果のはずだった。
思考の空白に滑り込むように聞こえた波音に、届毛は堪らず石にかじりついた。今になって主張を始める心臓の音。石を包んだ着物の、抜けきらない樟脳のにおいが鼻腔をくすぐる。血と共に巡り巡るのは考えないようにしていたことばかりだ。膝をついた砂の冷たさが、水が染みるように這い上がる。届毛は喉を絞るように嗚咽した。
- 投稿日:2018年3月21日