水族館の飼育員をしているスモーカーが、自宅で飼っているガーが人間になってしまったけど、捨てるわけにもいかず一緒に暮らしているという設定

ガーと飼育員の陸上生活

「何があった」
 聞きたくはなかったが流してしまうにはあまりにも目に付く。ちっとも内容が頭に入ってこない新聞を諦めて、スモーカーは顔を上げた。向かいのソファでは赤地に緑のまだら模様という、何とも目の痛い配色の帽子をかぶったローがくつろいでいる。ローの帽子は普段は白地に黒のまだら模様だ。色も配色もローの本来の姿であるスポッテッド・ガーを元にしているのだから、色が変わるということは何か異変が起きているに違いなかった。いけ好かない相手であろうと体調を気にかけてしまう、それは飼育員であるスモーカーのさがだった。
「婚姻色だ」
「そうか」
 なんだ婚姻色か。早々に胸のつかえが下りたことに安堵しながら再び新聞に目を落としたスモーカーは、頭をよぎる違和感にもう一度顔を上げた。
「ガーに婚姻色はないだろう。てめぇらは年中同じ色のはずだ」
「さすが詳しいな」
 ローの声にからかう色を感じたスモーカーが眉を寄せると、ローはソファの肘掛に上げていた足を下ろしてスモーカーに向き直った。膝の上で指を組み、帽子のつばによって影の濃くなった目でスモーカーを見る。
「お前の知っているガーは人間になるか?」
「……チッ」
 馬鹿馬鹿しい。舌打ちでもって話を打ち切って、今度こそ新聞を読み始めたスモーカーは、一ページも読み終わらないうちにぬっと差した影によって三度目の中断を余儀なくされた。
「おい何の用だ」
「分かっちゃいねぇな。俺は今発情期だって言ってるんだ」
「そうか。便所はあっちだ。知ってるだろ」
 奪い取られた新聞が宙を舞う。さすがに苛立ったスモーカーがローを見上げると、そのタイミングを見計らっていたようにローはスモーカーの肩を強く押した。
 スポッテッド・ガーはガーの中では小型といえど、魚としては大型の部類だ。かなりの大柄であるスモーカーには及ばずとも、人間形態を取っているローは長躯に入る。当然力も強く、不意に体重をかけられたのではスモーカーといえど持ちこたえるのは困難だった。一度倒れて仕舞えば乗りかかってくるローを投げ落とすことはできたが、休日の朝から近隣の住人と悶着したくはない。ただでさえ単身者であるスモーカーの元に突然増えた同居人という状況を訝しがられているのだ。スモーカーもローもお世辞にも柄がよいとは言えないせいで、住民たちが不安がっているという噂も聞いている。
「ガキの癇癪に付き合ってる暇はねぇぞ」
「ガキじゃねぇ。それを今から証明してやるよ」
 求められても卵は産めねぇぞ。スモーカーはローの口元から覗くガーらしい鋭い歯を見ながら溜め息を吐いた。

投稿日:2016年3月27日