ちりめん山椒

 お腹が空いた。その感覚が頭の中で幅を利かせ始めたとき、聞こえた玄関の戸が開く音に吸い寄せられるように迎えに出た一松は、相手がカラ松だったことに意識なく舌打ちした。時間的に、松代が帰宅したのだと期待したのだ。
 家に入るなり舌打ちされたカラ松と言えば、はじめ素直に驚いた顔をしていたが、すぐに不敵な笑みを浮かべると「どうした? 俺の留守中に何かあったのか?」と己が最も格好良く見えるように研究し尽くした角度に立ち直した。
「腹減ってるときに苛立たせないで」
「なんだ腹が減っているのか。それならいいものがあるぞ」
 吐き捨てて戻ろうとした一松の背中を、カラ松の声が追いかける。どうせくだらないものだろう、と思いつつも、一松はつい足を止めて肩越しに振り返った。
「何」
 足だけで靴を脱ぎ、家に上がったカラ松は一松のところまで歩いてくると、一松に肩を寄せ、意味ありげに目配せした。率直に言って鬱陶しい。一松は背中を丸めたまま器用に上体を引いた。開けられた距離を、カラ松はぐっと詰める。キメ顔を作りつつも、カラ松の手はポケットから何かを出そうと奮闘している。
「ほら、これ」
 カラ松はすぽん、と取り出したものを一松の目に映る位置に掲げる。
 何て言うんだっけ、と考えたところに、無駄に低めた声でカラ松は言った。
「ちりめん山椒だ」


 どうしたのだと聞くと、釣り堀で会った人にもらったのだと言う。大丈夫なのかと問うと、たくさん作ったからと言っていたから大丈夫だろうと笑う。いまいち意味が通じていない。それでも空腹には勝てずに、一松は冷凍庫に一つだけ入っていたご飯をレンジに入れた。独特の音と共に回る皿から目を離して、コンロの前に立つカラ松を見る。
 お湯を沸かす、ただそれだけなのに、カラ松はご大層に腕まくりをしていた。その様子は松代が風邪で寝付いたときの松造の姿そっくりで、気づかないだけで自分も両親に似ているのだろうかという考えが頭をよぎった。それはカラ松に似ているということでもあり、あまり考えたくはない。
「できたぞ」
「こっちもできた」
 チーンと音を立てて出来上がったご飯の、熱々のラップを四苦八苦しながら剥がして茶碗に入れ、そのうち半分をもう一つの茶碗に移し入れる。ねっとりと潰れた感のあるご飯は炊きたてほどおいしそうには見えなかったが、立ち上る湯気の甘い匂いに期待は高まった。
 その上に、カラ松はちりめん山椒をばら撒いた。ご飯の量が少ないから、見た目にはなかなか豪勢だ。湯気にあおられた青い実の香りが鼻をくすぐり、想像した味が舌の上に広がる。
 湯の入った手鍋を傾けるカラ松の手元を、一松は神聖な儀式に臨むような面持ちでじっと見守る。鍋肌の上でシュンシュンと水滴を弾けさせつつも、湯は無事に茶碗の中へと注がれた。
 カラ松は空になった鍋をコンロの上に戻す。余熱で乾くだろうという算段だ。茶碗を持って居間に行く、なんて丁寧なことはしなかった。普段は両親が座っている台所の椅子に腰掛ける。
「それでは」
「……イタダキマス」
「いただきます!」
 手を合わせて、茶碗と箸を持つ。ちらりと見ると、多少は冷めたといえど解凍されたばかりのご飯に、さっきまで沸騰していた湯を加えた茶漬けを、カラ松はふぅふぅ言いながら掻き込んでいる。一松は自分の手元に目を落とした。軽く吹いてみたが、とても食べられそうにない。もう少し待ってみるかと箸でかき混ぜていると、カラリと玄関の戸が開く音が聞こえた。
 カラ松が、ひょいと目を上げ音がした方を見る。一松は意を決して箸と茶碗を持ち直した。
 熱い。が、ちゃんと味はする。鼻に抜ける山椒の香りとぴりりとした刺激、醤油の香ばしさ。甘いような旨味。それでもあまりにも熱くて、一松は口で息継ぎをしてから鼻水をすすった。飲み込んでから、カッと体が熱くなる感覚があった。
「無理するなよ一松」
「平気」
 驚いた顔をしているカラ松が言う。この状況でバレないというのは不可能だろう。それでも、帰ってきたのが誰にしろ、譲りたくなかった。

投稿日:2016年6月29日