余熱

その1

 鼻先をこすりつけるようにして唇を触れ合わせ、下唇を啄むように吸ってその柔らかさを堪能する。舌に触れる吐息は甘く、繋がったままの下肢はぬるま湯に浸るような温かさだ。ミロはじゃれ合うような口づけを何度か繰り返したのちに顔を離した。
 微熱の宿った視線をちらりとだけ交わらせて、アイオリアは目を伏せてしまう。そんなアイオリアを見下ろして、ミロはにんまりと子供じみた笑い方をした。
「顔が赤いぞ」
「お前こそ」
 悔しげに言い捨てるアイオリアの、赤く染まった耳の熱を確かめたくて、ミロは首筋に顔を埋めた。髪のせいか、くすぐったそうに笑ったアイオリアの腕が、もうやめろとばかりにミロの背を抱きしめる。ミロは耳の後ろに音を立ててキスをして、そのままぎゅうと抱き返した。伝わってくる熱と心音が心地よい。
「さっきまでもっと恥ずかしいことをしていたのにな」
「もう言うな。忘れてくれ」
「こんな感動的な日を忘れられるものか」
「ならば俺も言おうか、ミロよ。お前があんな――」
「待て、俺が悪かった」
 ばっと体を離して、ミロはアイオリアと向き合った。言葉責めまがいのことをしたことを、アイオリアは根に持っているらしい。じとりとした目に睨めつけられて、ミロは降参の意を込めて首を振った。
「酔っていたようなものだ。思い出すと恥ずかしい」
「お前が飲まれる性質だとは知らなかった」
「……俺もお前があんなにいやらしいとは知らなかった」
 目を見交わしての沈黙の後、ミロとアイオリアは揃って吹き出した。
「埒が明かんな」
「ああ」
 ようやく目を合わせて笑ったアイオリアに、ミロは触れるだけの口づけを落とした。

その2

「アイオリアよ、何を慌てているのだ」
 頬杖をつく手と逆の手で触れたシーツには先程の熱が残っているというのに、当のアイオリアには微塵もそんな気配がない。どちらかの瞼が落ちるまで取り留めのない話をしながら夜を過ごすつもりだったミロは、興をそがれた思いで机に向かうアイオリアの背中を見る。下着だけを身に付けた姿は、全裸よりもかえって滑稽だ。
「期日が明日だということを忘れていたのだ」
「なるほどな。何事かと思ったぞ」
「すまん」
 甘い色を浮かべていたアイオリアの瞳が、敵意に触れたように塗り変わるのを目の当たりにした驚きは、小さくなかった。触れられ慣れない猫のようにもぞもぞと動くものだから、放してやった結果がこれだ。最中、思い出す余裕がなかったらしいことは喜ぶべきか。
「お前は机に向かうのが様にならんな。書きものを嫌っていることが丸わかりだ」
「お前も似たようなものだろう」
「違いない」
 ミロは片頬を引き上げて笑った。
 アイオリアと同じく己も、書類仕事が似合うとはお世辞にも言えない。任務の報告など口頭で済ませてしまいたいのが本音だ。
 ミロは背もたれの格子の間に見えるアイオリアの腰の影を視線で撫でてから、ごろりと寝返りを打った。十二宮はどの宮も、壁にも天井にも装飾性がない。すぐに視線を逃すアイオリアに、つまらぬ石など見ずに俺を見ていろと、何度言ったことだろう。
「だから俺はお前に見せることがないだろう」
 アイオリアが振り返る気配がする。ミロは唇を笑わせたまま首だけそちらに向ける。想像通りの表情で振り返っていたアイオリアと、視線がかち合った。アイオリアの、心根をそのまま表したような眼光が好きだった。
「俺が存外マメな男だと、知らぬとは言わせんぞ」
 報告書など一両日中に書き上げているし、下から上がってくるものの決裁に関しても同じことだ。敵ではなく紙束に向かうなど聖闘士の本分から外れている気がしないでもないが、太古から続く決まりなのだから仕方ない。
 アイオリアはしばらく不服そうに顔をしかめていたが、ミロがアイオリアに背中を丸めて書類を片付ける姿を見せたことがないということは事実だ。ふたりで過ごす時間を設けることも、大抵ミロが調整しているということも。
 アイオリアは諦めたように前を向くと、らしくもなく居心地悪そうに背筋を伸ばした。
「俺だって普段はきちんとやっている。そう何度も見せてはいまい。今日は――」
 はっとした様子で、アイオリアは押し黙った。
「俺が帰ってくるから浮かれていたか」
 返事はなかった。沈黙を埋めるようにペンが紙を走る音は少しの間続いて、そして途切れた。
「……先に寝ていろ。寝台で寝るのは久しぶりだろう」
「明かりが点いていては寝られん」
「そんなに繊細ではあるまい」
 ランプの光は午睡時の太陽よりも暗い。闘士たるものどんな環境でも眠れなくてはならない、と胸を反らせたのは、座学の最中の居眠りを咎められた時だったか。
「お前を置いて眠ることなどできんと言っているのだ」
「……可能な限り早く終わらせる」
「期待している」
 ミロはアイオリアから目を離すと、訪れた眠気を追い払うために、静かに深呼吸した。

投稿日:2015年1月29日