交換条件

「俺が勝ったら抱かせてくれ」
 度重なる戦闘で、神経がバカになってしまったのかもしれない。プロメテを見たときに起こる高揚感が性的興奮であると結論づけたヴァンは、構えを崩さないまま言った。
 今にもぱつんと弾けそうなほど張りつめた空気の中を、モデルVが放つ低くうなるような振動音が響く。目を眇めたプロメテに、隙と呼べるような動揺は見られない。それを狙っていたわけでもなく、ヴァンは気にせず答えを待った。言葉で動揺を誘うことはもちろん、不意打ちが加えられるような相手ではないと知っていた。
「好きにしろ」
 やがて答えたプロメテは、口の端を吊り上げるように笑い、腰を一段と低く落とす。
「――ここから生きて帰れたらな!」
 ふっと掻き消えた姿が利き手を逆取った頭上に再出する。振り下ろされる鎌と共に受け止めたのは、事実上の拒否であり、死刑宣告だった。

「……どうして断らなかったんだ」
「負けるつもりはなかった」
 あまりにも嫌そうな顔をしているプロメテの言い分に、ヴァンはそれもそうかと納得した。体を満たしていた熱が収まると、代わりにある種の虚脱感が襲ってくる。それはプロメテも同じなのだろう。首のすぐ横に突き立てていたセイバーを引いても、体を起こす以上の動きはせず、装着したヘルメットが重たいとでも言うように俯き加減に床を見つめている。
 プロメテが腰を下ろした位置からセイバー一本分ほどを開けた場所は、決して安全な位置とは言えない。プロメテの髪はこの位置でも攻撃可能なはずだった。それでもそれ以上の距離を取ろうと思わないのは、勝負は一応の決着を見たからであり、対話をするには適切な距離だったからだ。
「それで」
「ああ、うん」
 抱かせてくれ。そう言ったときの興奮は、戦闘に際した熱と共に収まりつつあった。促してきたプロメテに緊張感に欠ける返事をしたことで、その自覚はより一層強くなる。
 プロメテの表情にはヴァンの出方を窺うような気配が感じられ、互いの心底に横たわった「引き下がるなら今だ」という意識が目に見えるようだった。ヴァンは刃を出したままのセイバーを握りしめる。
「……今ここで引いたら、別のときにも諦める理由ができる」
 舌打ち一つ。晴れない顔のまま立ち上がったプロメテは、ヴァンを一顧だにせず壁際に向かった。
 元は工場だった名残か、天井から垂れ下がったケーブルは放棄されてからの年月を示す分厚い埃に覆われている。煤けて見える壁も元は違う色だろう。プロメテは足場を固めるように足元を見て、そのまま左手も壁につく。肩越しに振り返った顔には露骨な嫌悪が浮かんでいた。
「さっさと済ませろ」
「……ここで?」
 プロメテの挙動を見守っていたヴァンは思わず聞き返したが、プロメテは答えずに前を向いた。うなだれようとしたのか、ゴツンとヘルメットがぶつかったらしい音が聞こえた。

   ◇

 ヴァンがシャワーから戻ると、プロメテはミネラルウォーターのボトルを片手にベッドに腰掛けていた。ヴァンに気づくと嫌そうな顔をしたが、その顔も長くは続かない。無表情に戻ったプロメテはスリッパを脱いでベッドに上がると、持っていたボトルをサイドテーブルに置いた。やる気満々というわけではないだろうが、何も身に着けていないせいで目のやり場に若干困る。
 プロメテはミネラルウォーターと入れ替える形でコンドームの箱を取り上げると、その隣にある健康志向を謳った食用油のパッケージを睨みつける。
「どうしてサラダオイルなんだ」
 箱ごとコンドームを投げつけながら吐き捨てられても、それ以上に適当なものがなかったからとしか言いようがない。モーテルに来る途中に立ち寄ったコンビニは、居住エリアから離れた場所にあるサービスステーションの併設という立地上、食料品以外の日用品は申し訳程度にしか置いていない。コンドームがあっただけ御の字というものだ。
 ヴァンは受け取ったコンドームの箱をベッドに置くと、首にかけていたタオルで髪をもうひと拭きし、椅子の背に投げてから、今しがた穿いたばかりのパンツに手をかけた。

 相互に高め合うという一般的な取り組みはなされなかった。ヴァンはコンドームを着けられる状態になった自身に手を添えたまま、尻をほぐすプロメテを窺い見る。すっかり落ち着いていた手前、自分の方が時間がかかるかもしれないという懸念は取り越し苦労だった。考えてみれば、プロメテが自分に抱かれるために待っている時点で面白みがあるのだ。準備をしている様子を目の当たりにして、興奮できないほうがおかしい。オンかオフしかない部屋の明かりは点けっぱなしで、シーツを染める黄みを帯びた油の色まではっきり見えた。何度も刃を交えた経験から、プロメテが意識をこちらに向けながら、あえて見ないようにしていることもよく分かった。
「……退屈ならそのまま一人でしごいてろ」
「見ながらしろってことか?」
 途端に殺意が叩きつけられる。普段なら身構えるところだったが、今は互いに丸腰だ。とはいえ流石に勢いを削がれた自身を励まして、ヴァンは袋から出したコンドームを装着する。
「もう十分だろ」
 ベッドの上に足を上げ、ベッドの頭側にいるプロメテにいざり寄る。プロメテは顔をしかめたものの、作業を切り上げタオルでおざなりに手を拭いた。ベッドに転びがてら腰下に枕を引き寄せる様子に決定的な慣れを感じたが、詮索するのはやめた。
 躊躇いなく開かれた膝と、下準備の名残か、そっけない表情の割に熱が宿って見える股間。オイルに塗れたそこは未だ閉ざしていたが、ことを成すのは容易に思えた。
 ヴァンは髪を踏まないように手をついて、ヘッドボードにある照明のスイッチに手を伸ばした。自分の体の下にプロメテがいることが、戦闘時に似た緊張と興奮を呼び覚ます。
「……一つ提案がある」
 照明は落ちたが、ロールスクリーンの向こうにはまだ陽が残っている。プロメテが会話を持とうとすると思っていなかったヴァンは、軽い驚きを覚えつつ下を見た。光量が少ないせいか、プロメテの眼は色に深みを増して見えた。
「先にイッた方は次のモデルVに手を出さない。そういうのはどうだ?」

 諦めなのか、最初の挑発は何だったとかと思うほどプロメテは大人しかった。反射なのかもしれないが反応はあるし、表情も変化があると言えばあるのだが、快楽が得られていると考えるには足りない。賭けに乗らなかった過去に感謝してみても現状は変わらなかった。
「……気持ちいいことはいいが気分が悪い」
 ついに直接聞いてみたヴァンに対する回答は、悲しくなるほどに飾り気のないものだった。
「こちら側はやったことがないのか?」
「ああ」
「次代わるか?」
 気持ちいいかどうかを尋ねたのはそういった好奇心からではなかったが、意思の疎通と呼べるほどの会話を持ったことがないことを思うと仕方がないかもしれない。
「……時間かかりそうじゃないか」
「かかるだろうな」
「遅くなると心配するかもしれない」
「はっ、ガキか」
 それから黙ったプロメテは、まだ考えている、そのせいですっかり腰が止まっているヴァンを胡乱な目で見る。声が発せられる前に、ヴァンは言った。
「……終わったら連絡を入れてみる」

   ◇

 シャワーの音はまだ続いている。退屈からくるものかと思ったヴァンは時計を確認し、体感通りの、むしろ体感以上に時間が経っていることを知る。プロメテの先ほどの様子を思い出したヴァンは、いくらか考えた後に立ち上がると、シャワールームのドアをノックした。
 返事はなく、ダメ元で名前を呼んでみても結果は同じだった。
 ヴァンは顔を曇らせた。
 行為だけだったならまだしも、ことに及ぶ前に一度叩きのめしているのだ。ヴァンとて疲労を感じていたが、どちらの負担が大きいかと言われるとプロメテだろう。可能とはいえそういう用途のためにできている訳ではないのだ。
 意を決してドアノブに手をかけると、中からも同時に開けていたらしい。倒れ込みそうになったヴァンはやっとの思いで踏みとどまった。
「何の用だ」
 顔を上げると、髪から体からボタボタと水を垂らしたプロメテに睨みつけられていた。中は冷や汗をかいたことを忘れるほどに蒸し暑い。湯の温度は好みによりけりだろうが、それにしても熱すぎはしないだろうか。
「いや……中で倒れているんじゃないかと思って……」
「お前がサラダ油なんか買うからだろう」
 忌々しそうに舌打ちされる。一瞬なぜと思ったが、油を落とすのに手間取っているのだということに思い至る。キッチン用の洗剤も買えばよかったという考えが頭をよぎったが、さすがに口には出さなかった。

「トマトとクリームどっちがいい?」
 勘でセットしたタイマーは当たりだったらしい。レンジに入れた冷凍ラザニアが二つとも温まっていることを確認したヴァンは、取り出した箱をテーブルの上に出した。幸運なことにフォークも最初に開けた引き出しに入っていた。念のためにナイフも出す。自分一人の時は使わないアイテムだ。
 カトラリーを受け取ったプロメテは、不快感とはまた違うように見える何とも言えない表情をした。もしかしてラザニアは嫌いなのだろうか。ヴァンは考えてみたものの、プロメテがトマトソースのラザニアを自らの方へ引き寄せたことで言うことがなくなった。味を迷っていただけか、プロメテにもそういうことがあるのだ、と納得しながら自分の席に着き、熱と蒸気でゆがんでいる箱の蓋を開ける。
「アイスも買ってきたんだ。バニラしかないけど」
「あまり食べると後が辛いぞ」
 プロメテは返事の代わりのように言った。意味がわからずヴァンが顔を上げると、プロメテはちらとだけ目を上げた。何も言わずに目を伏せ、引き出したトレーを正面に、空箱を脇に置く。
「どの体勢でするにしろ腹を突かれるのは辛い」
 脅しか親切心かを考えて、恐らく親切心だろうと当たりをつけたヴァンは、どう答えたらいいのかが分からずラザニアにナイフを入れた。切り出した一口分をフォークですくう。まだ食べてもいないのに腹がくちくなった気がした。
「やらないやらやらないでいい。その選択で後悔しないのならな」
「……お前、工場でのこと根に持ってるだろう」
「別に。そこまで思っていやしない」
 食べているところを凝視するのは行儀が悪い気がしてヴァンは目を落とした。溶けたチーズと染み出したクリームを見ていると口の中に唾液が滲んだ。
「……半分くらいで止めたほうがいいか?」
「好きにしろ。吐いたら吐いたときだ」

投稿日:2017年8月1日
ZXAだけしかやってなかった当時、Twitterの相互さんから伺ったヴァンメテなるカップリングがどう成立するのか分からず、何らかの理由でプロメテに興味を持ったヴァンが「今日でお前の顔も見納めだなぁ(今日こそ殺すの意)」と言ってくるプロメテに「もし俺が勝ったら抱かせてくれ」と返したところからズルズルいった系だと思っていた……という思い出を小ネタにしました。
更新日:2018年5月14日
諦めなのか~以降の続きを書きました。
小園さんにラザニアについて「クリームはパンドラちゃんがすきなのを思い出してなんとなく気まずくなりトマトを選ぶプロメテ」というネタを譲ってもらったんですが、生かせなくて悔しい。