ポートレート
ワンサイズ大きなTシャツにショートパンツ。パジャマパーティーと銘打ったものの、エールの出で立ちはオフの日の部屋着と変わらない。そんな格好だからこそ自室で着替えてから操縦室の隣にあるプレリーの部屋に向かうという荒業ができたのだが、部屋に入ると肝心のプレリーは司令官のコートを身に着けたままでデータの整理をしていた。
どうして、と詰め寄るエールに気圧されながら、プレリーはいつ着替えればいいのか分からなかったのだと答える。エールは着替えて待っていてと言えばよかったと後悔しながら、私室にまで持ち込んでいる仕事の言い訳もしようとするプレリーを急き立てて、部屋に備えられた専用バスルームに押し込めた。
バスルームとベッドの間は何歩もなかったし、手持ち無沙汰というほどの時間でもない。造り付けの棚に置かれている写真立てが目に入ったのはたまたまだった。
「……」
エールの目は写真の中で微笑んでいる『初代司令官』らしき姿に吸い寄せられた。長い金髪をひとつに束ねた、きれいで優しそうな女性。今どき珍しい印刷された写真は少し色褪せていて、そのせいか儚い印象すら受ける。少なくとも飛行艇を駆ってイレギュラーの発生地を飛び回っているようにはとても見えない。椅子に腰掛けた『お姉ちゃん』の隣に立っている少女はプレリーだろうか。緊張のためか、腕に抱かれた見覚えのあるぬいぐるみは少しひしゃげている。
よく見れば何度も手に取ったことが分かる、思い出そのもののような写真立て。後ろで組んでいた手に知らず力を入れていたエールは、バスルームのドアが開く音に飛び上がるほどに驚いた。
「お待たせエール」
「ううん、全然!」
訳もなく焦りながら振り返ったエールは、出てきたプレリーの姿を見て歓声を上げた。
「かわいい!」
「え、そ、そうかな」
「うん、かわいいよ!」
力強く頷くエールに、ピンク色のパジャマに身を包んだプレリーは照れくさそうに目を泳がせた。乱れてもいない髪を整え、控えめなフリルがあしらわれた裾を握りしめる。
「実はね、エールの分も買ってあるの」
はにかみながらプレリーは提げていた袋からピンクのパジャマを出して見せた。油断していたわけではないが、まさかの展開だった。
「あのねプレリー」
かわいいと思うが、見るのと着るのはまた別だ。それにプレリーという「かわいい」の完成形が目の前にいる。そう思って断ろうとしたエールだったが、
「きっと似合うと思うの」
照れていたなごりなのか、上気した頬と仕事中には見られないキラキラした瞳で渡されるパジャマを押し返す勇気はなかった。
ベッドにクロスを敷き、枕元に寄せてあったクッションを引き寄せる。飛行に備えて固定されたサイドテーブルが動かせない代わりだったが、ピクニックのようなセッティングはかえって気分を盛り上げた。ティーポットの中で時間を待っている茶葉はローズからのおすそ分けで、何でも話題の店のものらしい。空の上だから沸点が低いのはご愛嬌で、共有スペースから拝借してきた大皿に持ち込んだ焼き菓子をあけると、浮き立った気分は最高潮に達した。
「……もういいんじゃないかしら」
「よし」
プレリーの一言に、エールは意を決してティーポットを手に取った。手順通りにカップを温めることに夢中になって時間を計り忘れたために、蒸らし時間は曖昧だ。
小さな水音とともに満ちていく、夕焼けを水に溶かしたような淡い色。ティーポットの中にあった時から微かに漂っていた、ほんのりと甘い花の香りがふわりと広がる。
ティーポットを置いて一呼吸、絵に描いたような『お茶会』の光景に見入っていたエールとプレリーは目配せを交わし、それぞれ自分のカップを手に取った。
香りはいいけど熱くて飲めない。そう悟った二人が同時にカップを置いて笑い出すまで、ほんのわずかの沈黙が流れた。
「そういえば私、エールが小さい頃の写真を見たことがあるわ」
「ええっ!?」
勝手に『お姉ちゃん』の写真を見たことを謝るエールに、謝ることではないと手を振ったプレリーは、ふと思い出したように言った。
「ジルウェさんがね、まるで家族の話をするみたいに見せてくれたの。……ううん、みたいにじゃなくて、家族の話ね」
「ジルウェはもー……変な写真じゃなかった?」
大丈夫よ、とプレリーは笑ったが、エールはその点ではジルウェを信用していない。真偽を確かめるべくじとりとした目でプレリーを見つめたが、プレリーの笑顔は崩れなかった。昔のことだし仕方ないか、とエールは溜め息一つで諦める。
量が減ったこともあり、カップのお茶は飲み頃を過ぎてぬるくなってきていた。手に取ったフィナンシェを食べながら、エールはぬいぐるみが踊る天井を見上げる。
「……ジルウェと言えば昔ね、母さんの写真を持って帰ってきてくれたことがあったの。遊園地だけじゃなくて住んでいた家までアウターになっちゃって、何もかも戻ってこないんだなってときに、セルパンカンパニーの警備隊が持ち主を探していたからって。……今思うとあれはジルウェが取りに行ってくれたんだろうね」
「エールのことを話すジルウェさんは本当に楽しそうだったもの。すぐに任務の話に戻ってしまうから必要以上には話さなかったけれど、もっと聞いておけばよかった」
「やめてよぉ、取り返しつかなくなっちゃう!」
「エールったらそんなに聞かれたくないことばかりしていたの?」
「そういうわけじゃないけど」
むくれるエールに、プレリーはごめんなさいと謝った。ほころんでいる目元に反省の色はなかったが、空気がしんみりしてしまうことを避けられたのでよしとする。
お互いに黙っていても気まずさはない。話の発端である『お姉ちゃん』の写真が入った写真立てに目を留めたエールは、体ごとプレリーに向き直った。
「ね、プレリー。写真撮ろうよ」
「そうね、いいかもしれない。今度みんなに声をかけましょう」
「それもいいけど今」
「え?」
「ほら笑って」
「ちょっと待ってエール!」
ベッドに転がしてあった自分の端末を拾い上げたエールは、持っていたマドレーヌを慌てて置いたプレリーに肩を寄せ、インカメラを自分たちに向けた。
そういえば今パジャマだった。
画面に映るお揃いのパジャマ姿を見てエールはしまったと思ったが、写真を撮られ慣れないのかカチンコチンに緊張しているプレリーを見て、これも何かの記念だと考え直す。ピンクなんて柄でもないと思っているが、かわいいものはかわいいのだ。
「いい? 撮るよ?」
「ど、どうぞ」
「はい、チーズ」
チーズ、と答えるプレリーの声は小さかったが、とにかくエールはシャッターを切った。
撮れた写真を一緒に覗きこむと、表情が若干硬いものの、見切れていないし目も閉じていない、一発撮りにしてはなかなかの出来栄えだ。プレリーが緊張していたせいで言いそびれたが、エールだってインカメラで写真を撮る、しかも誰かと写るなど今までになかったことで、撮るのは難しいものだという知識が一番の収穫だったかもしれない。
「なかなか難しいね」
「ううん、上手に写せていると思う」
撮ったばかりの写真をプレリーに宛てて送り、デスクの上で鳴った着信音を聞きながら、端末をサイドテーブルに置く。
「自分が写ろうとしなければ結構いけると思うんだけどな」
エールが指で作ったフレームを向けると、食べかけていたマドレーヌを再び手にしたプレリーは、つまみ食いが見つかった子供のような顔で笑った。今の顔いいな、と思ってもカメラはもう手元にない。
作っていたフレームを開放して、エールはベッドの中央ににじり寄った。
「記憶をあとで写真にできたらいいのに」
「形に残せないからいいものってあると思うわ」
「それもそうか。さっきプレリーの顔はプレリーですら知らないもんね」
「いやだそんなにおもしろい顔してた?」
「違うよ。司令官ぽくない顔でかわいかったってだけ」
プレリーの隣に腰を落ち着けたエールは、遊園地でも街でも見たことのない独特の造形のぬいぐるみ達を見上げた。
「ねえプレリー、お姉さんの話を聞かせて。司令官のときじゃなくて、オフの日に何してたのかとか」
「お姉ちゃんの話か……私以上に研究漬けの人だったからあまり話せないと思うけど、いい?」
「もちろん」
「じゃあ……そうね、まずはあの写真を撮った時の話から」
記憶を探るように一度目を伏せ、プレリーは話し出す。写真を撮った人の名前と、撮ることになったきっかけと。プレリーにとって初めての写真だったというそれは、『お姉ちゃん』にとっても初めての記念写真なのだという。エールが知るものとはまた別の家族の形を聞きながら、夜更かしっていいなとエールは思った。
- 投稿日:2018年1月4日