レッドゾーン

「おいおい、ありゃ何だ」
 スロットから戻ってきたラザラスは、この場に先に着いていたアッシュがずっと言いたかった台詞を容易く口にした。待ち合わせ場所を決めていたわけではない。飛行艇に戻る時間までまだ余裕があったから、他のメンバーがいそうな場所を歩いているうちにかち合ったのだ。
 カジノという場所柄、子供にしか見えないグレイの姿はよく目立つ。大人に混じってポーカーテーブルに着いているとなおさらだった。首に巻いた赤いスカーフは洒落っ気ではなく、何か巻いていないと落ち着かないというグレイのために、ニコルが引っ張り出してきたものだ。ちょっとした砦のようなチップを前に、まるで知らない場所に迷い込んだ子供のような顔で、ディーラーがテーブル中央に追加するカードを見つめる。それがいわゆるポーカーフェイスではないことは、グレイと少しでも話したことがある者なら分かることだった。
 右隣で上がるレイズの声に、コールを宣言して同じ金額のチップを出す。左隣でコール、二つ隣でもう一度レイズ、そしてフォールド、コールと続く。一巡して、場に残ったプレイヤー全員の手札が開かれる。慣れた者ばかりなのか、内心を口にする者は誰もいない。空気だけがわずかに変わる。
 ディーラーによって自分の元に寄せられるチップを見ても、グレイはまだ迷子の顔をしている。残念なことに、強い手を持っていても賭金を上げなかったグレイを、真実そのまま引け腰だと受け取ってくれる客はいないようだった。
「見ての通りの状況よ」
 アッシュはラザラスの問いに低い声で答えた。

   ◇

 コトの発端はレッドだった。
「ポーカー?」
「そう、ポーカー。暇つぶしにどうだ?」
「ポーカーって何だ?」
 カードケースを片手に尋ねたレッドは、オウム返しに問い返したグレイの前に喜々として陣取ると、テーブルにカードを五枚ずつ並べていく。「トランプは知ってるよな?」と念を押さないところからすると、アッシュがグレイを紹介したときに言った「世間知らずなところがある」という発言を、常識の範囲内で受け取っているようだ。
 役の説明を終えると、並べたカードの写真を撮ってテーブル端に投影し、カード自体は片付けてシャッフルする。それぞれの手札として二枚ずつ並べたカードは、説明を続けるために表を向けたたままだ。中央に三枚のカードを追加で並べたところで、レッドは「手札と合わせて、さっきの組み合わせができそうなやつはあるか?」と投影した画像を指で叩いた。
 カードを面に向けたままのプレイが形になってきたところで、今度はカードを伏せた状態でもう一戦。分からなければ聞いてくれと言いながら、一勝一敗一引き分けという何とも都合のよい対戦を終えたレッドは、すぐそばで武器の手入れをしていたアッシュに誘いをかけた。
「断るわ」
「なんで」
「見ての通り忙しいのよ。ラザラスに頼んで」
 一人もしくは少人数で活動するハンターは、ミッションのために即席のパーティを組むことも少なくない。必要以上に素性を探るのは無粋な行為とされている一方で、全く知らない相手と組むことには不安が伴う。アッシュが目的地までの足としてかつての仲間を頼ったことも、彼らがミッションへの協力を条件に承諾したことも、当然の成り行きだった。
 アッシュがシャワールームから戻ってきたばかりのラザラスに向けて矛先を払いのけると、ラザラスはいきなり暇と決めつけられたことに抗議しながらも、付き合いよく空いている席に腰を下ろした。髪を乱暴に拭いたせいで飛んだ雫にレッドが文句を言う傍らで、グレイは無精髭がなくなったラザラスの顔を物珍しげに見ている。

「――ところでグレイ、計算は得意か?」
 チップ代わりのネジをテーブルから落としながらも、ようやくスムーズにゲームが進行するようになった頃、レッドはひょっと切り出した。
「うーん。どのくらいできれば得意って言っていいんだ?」
「即答しないなら得意ってことさ。こうして出会ったのも何かの縁だ。オレのおとっときを教えてやろう」
 首をひねったグレイに、レッドは嬉しそうに言った。
 ポーカーの休戦を離脱の頃合いとして席を立ったラザラスが、自分の方に向かってくるのを見て、アッシュは掃除を終えて組み上げたばかりのバスターショットを置いた。付き合いの長さとハンターとしての目の確かさから、手入れする必要のない武器を手入れしていたことはバレていると見て間違いない。小憎い気遣いをラザラスにされたことに礼を言うかどうか。考えるアッシュの斜め向かいに座ったラザラスは、顎をしゃくってレッドとグレイを指した。
「止めなくていいのか?」
「別にレッドなら下手なことは教えないでしょ」
「……」
「なに?」
 ラザラスは今さら首にかけていたタオルを取ると、端と端を重ね合わせて畳んだ。丸わかりの時間稼ぎだったが、それとは別に、豪放磊落を地で行くラザラスの仕草として何とも気味が悪かった。
「あれ何? 知ってるの?」
 いざ疑いの目で見ると、グレイを抱き込むようにして何やら教え込んでいるレッドがうさんくさく見えてくる。アッシュはラザラスに担がれる可能性も考えつつ問い詰めた。
「……たまに広告であるだろ、カジノ必勝法みたいなやつ」
「あんなのインチキに決まってるじゃない。レッドってそんなの信じるタイプなわけ?」
「いや……タイプっていうか……」

「あいつ、ギャンブルに目がないんだよ」

 飛行艇を自動操縦モードにしたらしい。ドリンクボトルを片手にやってきたニコルは、仲間の名誉をかけて悩んでいるラザラスを裏切り軽い調子で言った。目を丸くしたアッシュの横で、ラザラスは大きなため息をついた。向けられるアッシュの目に気まずそうにしながらも、「その通りだ」と頷き返す。
「レッドと組むきっかけも、賭けに負けて素寒貧になってるのを助けたことだったなぁ」
 遠い目をしたニコルの言葉はにわかには信じられない。アッシュにとってのレッドは、慎重すぎて機を逃すこともあるくらい、念には念を入れる男だ。
 有用とは言い難い意外な情報に面食らっているアッシュを置いてけぼりにして、レッドの嬉しそうな声が背後から上がった。
「いいところに来たな、ニコル。ちょっと寄り道しようぜ!」

   ◇

「どこで拾ったんだよ」
「グレイを物みたいに言わないで。――ちょっとレッド、程よく負ける手はないの?」
 今回はグレイの負け。最終的に勝っていれば負けではないのだから、途中の勝負の一回ならばたとえチップを捨ててフォールドしたとしても損とは決まらない。アッシュはラザラスの詮索をいなしながら、人垣の中で、あれって本当に勝てたんだと無責任に感心しているレッドに尋ねた。無論ゲーム自体を降りることはできるだろうが、簡単に放してもらえそうな雰囲気ではない。
「そりゃ、勝つのと逆のことをすれば負けるだろうけど……」
 自信がなさそうに答えたのは、グレイに教えた『必勝法』とやらを試して勝てたことがないからだろう。レッドの教えた『必勝法』が本物だったのか、それともグレイが無意識に修正を入れているのかは定かではないが、どのみちヒトに可能な技ではない。ポーカーを計算だけで勝てるくらいなら、融和が進んだ現代では廃れているはずだった。
「グレイ」
「アッシュ!」
「そろそろ帰るわよ」
 初めてアッシュに気づいたらしく、あからさまにホッとした顔をしたグレイに、アッシュはあえて普通に言った。
 アウターに近いという場所柄、このカジノの客はハンターが多い。グレイやアッシュの場合はハンターライセンスがなければ入場できない年齢なのだから、場にいる時点でハンターだと明かしているようなものだ。アウターに踏み込むことを生業としている時点で安全装置が壊れていることはさておき、皆状況の見極めには長けているはずだったが、その目を曇らせるのがギャンブルの怖さだ。まっとうに運営されているカジノでそうそう面倒も起きないだろうが、用心しておくに越したことはない。
「ええと」
 グレイはテーブルに目を向けた。もちろんチップではない。対角線上に座っている男は、アッシュが見ていた限りしきりと勝負を挑んできている相手だった。ハンターライセンスは実力の保証はしてくれない。身分証代わりにライセンスを持っているだけの子供と見たグレイをカモろうとして失敗し、やけになっているといったところだろう。服の趣味はお世辞にもいいとは言えなかった。
「もう帰っちまうのかい。あと一勝負どうだ? オールインで」
 手持ちのチップ全てを賭けての勝負。男が口にする前から予想できていたことで、周囲からも「やっぱりな」という空気が流れている。ここで降りること――勝ち逃げすることはルール違反ではない。男の申し出は受ける必要のないものだ。しかし、腰を浮かしかけていたグレイは、ひと呼吸分の間考えた末にもう一度席に着いた。
 ツンツンと逆立った灰色の髪を見ながら、アッシュは額に手をやった。振り返りもしないとは、自分で決めた道を進めと教えた甲斐があったというものだ。
「その勝負、オレも乗ろう」
 始まろうとするゲームに割って入ったのは知った声だった。いつの間に交換してきたのか、レッドは空いた席に収まるなりテーブルにチップを積んだ。今の会話をいい機会として抜けた者もいれば、残った者もいる。プレイヤー七人という人数は妥当なところだろう。他の客も何も言わない。レッドはそれを承諾と受け取り、待ちきれない顔でディーラーを見た。
「ちょっと待て。あんたはその坊主のお仲間だろう? それじゃあ公平性に欠ける」
「ならボクがレッドと代わるよ」
 レッドが答えるより先に、グレイはひょいと席から降りた。止めようとしたレッドに「元はレッドのお金だしさ」と何のてらいもなく言う。目の前のチップの山を、集めた枯れ葉の山と置き換えても不自然でないような執着のなさだった。

   ◇

「負けたの?!」
 最初に声を上げたのはアッシュだった。完全に離陸準備に入っていた飛行艇は、先に帰るなんて薄情だと喚くレッドを積み込んだ直後に浮上している。加速時特有の揺れはまだ収まっていなかったが、かつての住み家だった飛行艇の揺れなど揺れの内に入らない。グレイはニコルの指示に従い座席に座っているが、アッシュは気にせず立ったままだった。
「驚くことじゃないだろう。勝負は時の運だ」
「驚くわよ。あれだけ自信満々に出ておいて何なの?」
「オレはいつだって勝てる気でいるからなぁ……」
「やめてやれアッシュ。むしろ今回はラッキーな方だ」
 グレイの交代で入ったおかげで失ったのは最初にグレイにやった小遣い分だけ、ということになっているから、ニコルもラザラスもレッドの悪癖を今回は責めないことに決めているらしい。分の悪い勝負と察して、アッシュはため息一つで矛を収めた。
「いいや、かなりラッキーだと思うぞ」
 教育のためか、グレイの隣の座席に収まっているニコルが首だけで振り向いた。手元で操作したのか正面のモニターに先ほどのカジノにいた男が映し出される。ニュースの映像の一コマらしくキャプションがついている。相変わらずどうかと思うようなセンスの服だった。
「どこかで見た顔だと思って調べたら、今回のミッションの依頼主だった。高額報酬のミッションは癖のあるヒトが多いからな、後が怖いから負けてよかった」
「やっぱりオレはツイてるな」
 ニコルの言葉に頷くレッドに、ラザラスは何か言いたそうな目を向ける。
「あのヒトは勝てたのか?」
 ニコルの真似をして振り向いたグレイの言葉にレッドは首を振った。
「勝ったのは彼じゃない。公平性ってやつで彼もオールインしたからチップはかなりの金額だろう。痛手なんじゃないかと心配だったが、金があるならよかった」
 へー! と脳天気に目を輝かせるグレイを見てから、アッシュはラザラス、そしてニコルと目を見交わした。
「……やっぱりツイてないんじゃない?」
「そうだな……」
「いざとなればレッドをカタに置いて行くさ」
 珍しく暗い顔をしたメンバーの頭上で、飛行艇が安定飛行に入ったことを告げるチャイムが朗らかに鳴った。

投稿日:2017年6月18日