墓参り
禪院家の墓地の奥まった位置、手前から見れば楠木の陰になるところに、先代当主の墓はあった。
誰かが訪れているのだろう。生けられた花はまだ新しい。嗣子である己が参らずとも荒れることのない墓を確かめてから、甚壱はライターの火を消した。懐中電灯は沙代に預けてある。
日は落ちたが月の出はまだ先で、宵闇と呼ぶに相応しい暗がりがあたりを包んでいる。墓石の刻字は闇の中に溶けて消え、輪郭すらも捉えられない。
甚壱は墓碑を拝することなく、文字を求めて目を凝らした。
無理にでも思考を埋めないと、頭はすぐに沙代の姿を描き出す。甚壱に見られているとも知らず、夫の墓前に膝をつく姿を。
甚壱はぬかるみに踏み込んだような感覚から抜け出すため、文字の解読に集中する。
禪院家の墓地の管理は厳重だ。手引きをしたのは過去に数度。いずれも先代当主の墓参りがしたいと乞われてのことで、知りたくもない父の人間関係と相手が墓を拝んでいる間の手持ち無沙汰に閉口したが、今となってはそちらの方がましに思える。
沙代が時折見せる憂い顔の原因が、夫を亡くしたことにあるのは分かっていた。面倒を承知で墓参りをさせたのは、喜ぶ顔が見たいからなのか、未練を断ち切らせたいからなのか。いざ墓の前まで連れてみると胸はすくどころか焼けて痛み、下心に対する教訓めいている。
俺がいては気が急くだろうというおためごかしを、沙代は気遣いとして受け取っている。そう思われるように振る舞ってきたのだ。亡夫を慕う姿を見ないために墓前を離れるのに、振り返り様子を確かめずにはいられない愚かさも、不当な嫉妬も後悔も、沙代には気付かれていないはずだった。
父が外に家を持ち続けていた理由。はるか昔に手伝いから聞いた素性と、手伝いとして沙代を家に置いて深まった、今さら晴らす意味もない疑念。直哉の口から沙代の名前を聞いた時、想像したものは何だったか。
自制を振り切ろうと逆巻く自分の感情が不愉快で、甚壱は眉をきつく寄せた。
人の気配。次いで石畳の上で砂が鳴る音。甚壱が後ろを振り返ると、境界の外に沙代が立っていた。
甚壱の視線を受けた沙代は懐中電灯を持ったまま腹の前で両手を重ね、深々と頭を垂れる。
「もういいのか」
都合よく使っただけで父親の墓に用はない。名残を惜しむ気もなく墓碑に背を向けた甚壱は、おもしろくない気分で腹の底をざらつかせていたことは隠して尋ねた。
そう何度も連れてきてやれるものではない。口に出して念押しするまでもなく、沙代も分かっていることだろう。
「お心遣い痛み入ります。もう十分に時間をいただきました。ありがとうございました」
そうか、という相槌が沙代に聞こえたかは分からない。甚壱は沙代から懐中電灯を受け取ると、放っておけば何度でも頭を下げそうな沙代の脇を抜けて、帰路に向かって足を踏み出した。歩きながら耳をそばだてると、後ろを付いてくる足音が聞こえた。
沙代の顔を見たのは明かりに照らされた一瞬だ。なのに表情が網膜に焼き付いている。
甚壱の顔を見るなり滲んだ安堵。泣いたと分かる目元。
沙代が甚壱を見て表情を和らげたのは今だけではない。蘭太に案内されてきた時も、日没後に甚壱が部屋に戻った時もそうだった。
禪院家を出された身だ。見咎められないか不安なのだろう。それに供養されているからこその墓地とはいえ、夜となると不気味なものだ。人目を忍んでいるせいで物音に敏感になり、木立と墓石に囲まれているために思わぬ方角から音を聞く。呪霊を知った上で抗する術がない恐怖はどれほどか。
甚壱は理由付けに夢中になるあまり後ろへの意識が疎かになっていることに気づき、歩みを緩めた。肩越しに様子を窺うと、沙代は離れていないながらも小走りになっていた。
甚壱は足を止めた。
「申し訳ありません」
何に対する詫び言か。近づきすぎたと思ったか、摺り足で下がった沙代は両手を固く結んでいる。
月が出たおかげであたりは行きよりも明るいが、空気の冴えは増している。沙代が感じているものは寒さか、それとも恐れか。寒々しく見える細い肩の感触を想像する前に、甚壱は目をそらした。何のために空けた距離なのか。捕らえるのが簡単すぎる。
「……急がなくていい。転ばれては敵わん」
並んで歩くには幅が足りない。参道を確かめた甚壱は、自らの思考に顔をしかめた。道幅が広ければどうするつもりだったか。思いつきが形を持つ前に、置き去るために歩き始める。
墓地を出るまで二度と後ろを見まい。
心に決めて、石畳を踏む小さな足音に耳をすませた。
- 投稿日:2023年6月23日
- 夢主サイドと甚壱サイドを交互に書く決まりはないのですが、直哉の件を補足しておこうと思って書きました。前話の甚壱は急いで帰ってきてます。