預かり物
不意に部屋の明かりが消えた。
元々静かだった部屋の中、響く雨音が一層大きくなった気がした。
「……雷の影響でしょうか」
「そうかもしれんな」
何よりも先に探った不審な呪力は感じられない。開いていた帳面に栞代わりにペンを挟んでから立ち上がった蘭太は、明かりがついていたときには白く見えていた、今はぼんやりと青みを帯びて光る障子に手を掛けた。
縁先を閉ざしたガラス戸には幾筋もの雨跡が付いている。空を覆う雲は色こそ薄らいでいたが雨雲には変わりなく、遠くに稲光が見えるものの、明かりの足しにはなりそうもない。
作業を続けるか、やめるか。続けるのならば明かりを取りに行かねばなるまい。
蘭太が指示を仰ごうとしたそのとき、背後でライターが鳴った。
振り返った先で、壁際に据えられた箪笥の前に立った甚壱が、蝋燭に火を灯していた。
夕焼けに変わった直後の太陽のような色の火が、部屋のそこかしこから滲み出るようだった影を、黒々としたものに変える。一日雨が降り続いたために温まる機会を逃した空気が、足袋に包まれた足の裏から這い上がってくる。障子の敷居の内と外で、明確な境界が引かれたように思えた。
「今日は終いだ」
開けたままの抽斗に、ライターを戻しながら甚壱は言った。
いくら設えの古い家といえど、非常灯には電池式の電灯を用いている。甚壱が持ち出した蝋燭は、非常時の備えではなく、ごく私的な用意に違いなかった。
机の前に戻った甚壱は、燭台と予備の蝋燭らしい箱を机の上に置き、腰を下ろした。揺れる火に照らされながら書面の配置を換える伏し目がちの顔は、いつもと変わりないように見える。
「後は俺がやっておく。明日の朝に取りに来てくれ」
「……分かりました。明日の朝、お伺いします」
障子を開けたせいか、火のせいか、蘭太は部屋の中にかすかに漂う線香の匂いを嗅ぎ取った。意識しないようにしながら懐紙を取り出して帳面に挟み、取り上げたペンを筆箱に納める。私室に弔いの備えを置くような甚壱の身内など、心当たりが少なすぎた。
「蘭太」
廊下に出て膝をつき、障子を閉めようとする蘭太の前に、甚壱がぬっと立つ。見上げた蘭太に、甚壱は何かしら小さな物を差し出した。蝋燭の火で目が慣れたために、雲に閉ざされた暮れ時の光の下では却って見えづらい。
分からないままに出した手の上に、金属の冷たさが乗る。彫りの模様の入ったライターだった。
「使い方は分かるな? 道中暗いだろうから持って行け」
「ありがとうございます」
甚壱は障子に手を掛けて、そのまま行けというように顎をしゃくった。頭を下げて、蘭太はありがたくその場を後にする。
玄関では草履を出した使いが電灯を携えていて、甚壱に渡されたライターの出番はなかった。
傘を開いて一歩出てから、蘭太は胸を押さえて借り物の居所を確かめる。
蘭太の知る甚壱は煙草を吸わない。色濃く残る残穢は別の人間のものだった。
人死にの多い稼業のこと、形見の品など珍しくもない。それでも大変なものを預かった気がして、蘭太は泥が跳ねるのも構わず、足早に家路を辿った。
- 投稿日:2022年4月30日
- ライターは誰かの形見でもいいし、禁煙したい誰かから預けられたものでもいい。普段過ごす分には謎めいたところがなくても、年が離れているから知らない面があるのいいと思います。