太客

 背後にかばった躯倶留隊の隊員の、制止しようとする気配が背中にぶつかってくる。気配だけで何も口にしないのは賢明な判断だ。蘭太が男を下がらせる前に、直哉はつまらなさそうな顔で口を開いた。
「俺に意見できるなんて偉なったなぁ」
「末席の自分が口を出すのは気が引けますが、諫言するのも務めだと心得ています」
「それで? 三度言うて聞かんかったら家出てどっか行ってくれるん?」
 嫌な人だ。蘭太は言い返さず、後ろに立っている男を振り向いて下がるように言うと、今すぐ立ち去りたいという思いと、責めを蘭太一人に負わせる躊躇の両方を浮かべた目が、縋るように見返してくる。そんなだから面倒に捕まるんですよと言ってしまいたい気持ちはあったが、蘭太は微笑みながら頷いた。
 蘭太は微笑みをしまってから直哉に顔を向ける。直哉は場に残っているものの、男への興味をなくしているばかりか、蘭太への関心すら薄そうだった。
「残念ながら家を出ることは認められないでしょう。その程度の理由でいちいち出ていては、人がいなくなります」
「そら残念や。まあ、甚壱君も自分の女がおらんようなったら寂しいやろしな」

   ◇

 何かあったな。
 甚壱はいつも以上に卒なく振る舞う蘭太を見て思った。隅々にまで神経が行き届いているせいで、ただ報告をするだけなのに能楽の舞台を臨んでいるような緊張感を生み出している。さらに証拠という程のことはなかったが、用がなくとも甚壱の目を見る蘭太が、今日ばかりは一度も目を合わせない。
「蘭太」
 こちらへ来い、というつもりで名前を呼ぶと、蘭太は取り澄ました顔を甚壱へ向けた。気づかれていることに、気づいていないふりをする。今の今まで取っていた分別くさい態度から一転して、叱られるのを先延ばしにする子供のような態度だった。
 甚壱は蘭太の様子におかしさを感じながら、自分の隣を軽く叩いた。
「こっちへ来い。それとも俺が行ってやろうか?」
「……いえ」
 甚壱の前まで膝を詰めた蘭太は、甚壱が差し伸べた手を躊躇うように見てから、体を擦り寄せるようにして隣に座った。普段に比べると硬さのあった体も、強めに抱き寄せてやれば体重を預けてくる。
 蘭太は元々甚壱に対して好意的な態度だったが、ここまで慣れさせるのには時間がかかった。今だって、人が訪ねてきたら立ち所に姿勢を正すだろう。抱き込んだ腕に申し訳程度に添えられる、科を作るという発想のない手を好ましく思いながら、甚壱はようやく悄然とした表情を表に出した蘭太の顔を覗き込んだ。
「何があった?」
「甚壱さんには言えないことです」
「心変わりか?」
「まさか」
 笑いはするものの目を合わせないことが気になって、甚壱は蘭太の顎をすくい上げる。ようやく甚壱の目を見た蘭太は、甚壱の顔を映した瞳を細めることなく笑った。
「甚壱さんだけです」
「……その割には上の空だった」
「喧嘩しました。甚壱さんに出られるとかっこ悪いやつです」
 はぐらかすにしては素直すぎる蘭太の顔を改めているうちに、蘭太は甚壱の抱擁から抜け出して居住まいを正した。
「自信をつけたいので稽古をつけてくれませんか」

投稿日:2021年10月10日
躯倶留隊レビューでの蘭太の好感度の高さ、これはクラブ禪院でボーイ(躯倶留隊)をかばう蘭太について、直哉は太客(甚壱)がついてるから先輩にデカい口利いてくるみたいな反応をしているに違いない。
直哉の台詞は『礼記』にある「三度諫めて身を退く」という言葉より。