まなうらに描く

 初めて参加した柱合会議、それから長い時をおいて産屋敷輝利哉の護衛、炭治郎の見舞いで訪った蝶屋敷――そして今。煉獄家当主直々のぎこちない案内に従いながら、天元は会う度に小さくなっていく背中を眺める。引退して威容が和らいだこともあるだろうが、人は衰えを受け入れるとそうなるのかもしれない。聞くともなしに聞いた、酒の気配のない危なげない足取りは、息子の足の運びとよく似ていた。

 天元の手土産を仏壇に供えた後、槇寿郎は茶の用意をしてくると言って部屋を去った。楽にしていてくれと言われても、他家の仏間でくつろげるほど面の皮は厚くできていない。友人の生家である以前に、大先輩のご自宅でもあるのだ。
 線香をあげてしまうと手持ち無沙汰だ。あまり見回すのも憚られ、自然、目は仏壇に吸い寄せられる。煉獄家のお歴々が祀られているのだろうし、菊が出回るにはまだ早いというだけのことだろうが、唯一知るこの家の故人に楚々とした白菊が似合わないと思っていた天元は、花立に活けられた撫子に勝手な安心を覚えた。瑞々しさを保っている花弁からは、家人が気にかけていることが察せられた。
 初盆は満足にやれたのだろうか。過去にするには近すぎる、鬼を連れた隊士が現れてからの怒涛の日々を思い返す。穏やかに揺れるろうそくの火も、線香の清浄な香りも、故人が残した鮮烈さの前では地味すぎた。煉獄を祀るなら護摩くらい焚いてやらなきゃなと思いながら、天元は一つ残った目を閉じた。

「…………」
 茶請けとして出されたワッフルから、ちらと視線を湯呑みに移す。これで紅茶など供されていた日には仏壇に泣きついていたところだが、中身は幸いにも煎茶だった。出した当人も思うところがあるのか、場には珍妙な空気が漂っている。
「……千寿郎が杏寿郎から君の話を聞いていてな。洒落者だということだし、この手の菓子は婦人に人気だというから上野の風月堂で求めたのだが……他を出そうか」
「いいや、ありがたくいただきます。ぞろぞろ来るのも迷惑かと思って俺だけにしたんだが、気を回しすぎたみたいだな」
 天元が客という立場を不安に思うほどむっすりと黙りこくっていた槇寿郎は、その実、感じた空気そのままに戸惑っていただけらしい。本来主人の仕事ではない玄関先での応対はさておいても、こうも不慣れなのは来客が絶えて久しいからだろうか。
 蒸し饅頭のような質感の、でこぼこ模様が入った生地の間には、クリームが挟まれている。甘味も食うがどちらかといえば辛党の天元はあまり馴染みがなかったが、妻たちを連れてきていればきっと喜んだだろう。
「用意はしたが、手で食うものかもしれん」
 向かいに座した槇寿郎は、独り言のようにぼやきながら黒文字を脇にのけると、下に敷いた蝋引き紙でワッフルを包んだ。片手を失った天元が食べやすいようにという気遣いなのか、元からそのつもりなのかは、一口食うなり食いつけない味だと浮かべた顔からは分からない。倣ってありがたく手で掴む。
「千寿郎くんは買い物にでも出てるのか?」
「いや、あの子は今学校に行っている」
「へえ! そりゃあいいな!」
 家中の音を聞くまでもなく、出迎えが槇寿郎だった時点で不在だろうと当たりをつけていた天元は、返ってきた答えに賛嘆の声を上げた。はずみで左手で膝を打とうとしてやめたことは、槇寿郎にバレているかもしれないが、手がない足がないは鬼殺隊ではありふれたことなので、お互いおくびにも出さない。千寿郎が通う学校について言葉少なに話す槇寿郎の声に、杏寿郎が弟自慢をする空耳が重なって聞こえてくる。中学校。尋常小学校にすら行っていない天元には未知の領域だった。
「見識を高めさせてやりたいものの、私はそういうことに疎いからどうしたものかと思っていたのだが、ありがたいことに輝利哉様が人を紹介してくださった。学校選びやら入学試験の対策やらと随分と世話になった」
「さすがお館様の――いや、さすが輝利哉様だな」
「……おこがましい願いかもしれないが、我らに何かしてやりたいというお心が、いつかご自身にも向けばいいと思う」
「そうだな。事後の処理も一通り済んだことだし、輝利哉様ご自身の未来をお望みになっていただきたいものだ」
 天元は槇寿郎の言葉に頷いた。好きなときに笑い、泣けるようになってほしい。鬼殺隊が解散し、父として立たなくてもよくなった今から、子供としての人生を始めて遅いことはないのだ。
「しかし旦那、ここからだと少し距離があるよな」
 忍の足ならいざしらず、鉄道を使うにしても毎日となると大変だろう。ワッフルをかじりながら、天元は地図を思い描く。ちょっと目を離した隙に新駅が開設されるから、細かな線路図までは入っていないが、乗りっぱなしで着くものではないはずだ。
「ああ、先程話した御仁が預かってくださっているんだ。玉電の初電では始業に間に合わなくてな。千寿郎は渋谷まで歩けば家から通えるなどと言ってなかなか聞かなかったが、週末帰ればいいということでなんとか納得させた」
「一人になった旦那が飲みすぎないか心配だったんじゃねぇの」
「酒はもうやめた! ……本当だ、そんな目で見るな」
「別に疑っちゃいねぇよ。今度誘おうと思ってたから残念ってだけさ」
「……」
「ホントだって」
「……千寿郎が私に信を置けないだけならそれでいいのだが、今まで構ってやれなかった反動か、振る舞いが以前より幼くなった気がする。外ではきちんとしているようだから大丈夫とは思うのだが」
 天元は杏寿郎から聞く家族の話が好きだった。杏寿郎が忍は講談の中にしか存在しないと思っていたように、天元にとって温かな家庭は幻のような存在だ。正体を見顕されないよう装うことは十八番だったし、世慣れたふりで場に馴染むことはいくらでもできたが、根っこの部分はどうしようもない。誘われて行った銭湯で、湯上がりにラムネを押し付けられ、昔父上に買っていただいたのだと笑う杏寿郎にガキじゃねえんだからと返しながら、世の中にはそういうことが本当にあるのかと思った日が懐かしい。
 今こうして目の前に座る槇寿郎は、天元の知る炎柱・煉獄槇寿郎とは違っているものの、歪な自覚のある定規で測ってみても、世間並みの父親であるように見えた。自分が柱になった暁には、と杏寿郎が思い描いていた父親はどんなものだったのか。聞く機会を得なかったことに思いを馳せる。
「……君に話す話ではなかったな。忘れてくれ」
 柄にもなく人前で長考していたところを、槇寿郎の声に引き戻される。天元が顔を上げると、槇寿郎は下がり気味だった眉をさらに下げ、苦く笑ってみせた。
「困らせてすまないな。まったく恥ずかしいところばかり見せる」
「……煉獄さん、あんた……丸くなったな」
 思わず漏らすと、槇寿郎はぱちりと瞬いた。無精髭は相変わらずだったが、気の抜けた顔をすると千寿郎によく似ていた。
「そう言う君こそ随分落ち着いた。初めて顔を合わせた時はやたらと隙を探ってくるから閉口したものだ」
「……あった、あったわ。うわ、思い出したくねぇな。若気の至りっつか、癖が抜けきらなかったって言うか。……でも待てよ、あんたあの時、思いっきり威圧してきたよな?」
 引っ張り出された記憶を元に、痛み分けとばかりに指摘すると、大人然として温かく注がれていた眼差しが、当惑を含んでついと逸らされた。
「あの頃は始終気が立っていたから……」
 如何ともし難い空気の中で、双方しばらく無言を続けた後、天元と槇寿郎は示し合わせたように仏壇に目をやった。丁度燃え尽きたろうそくが、白い煙を立ち上らせた。

 土産にと持たされたワッフルが入った折り箱を肩に提げ直し、それじゃあまたと辞しかけた天元を、槇寿郎が慌てて呼び止める。
「君の奥さん方に訊いてほしいと、千寿郎から頼まれているんだった。言伝を頼みたいが構わないか?」
「嫁に? 構わねぇけど」
 天元が了承すると、槇寿郎は懐から手紙を取り出した。忘れまいとするあまり、身に馴染んで逆に忘れてしまっていたらしい。その場で広げてざっと目を通した中身は、一見小説のようだが、料理の手順書としても読める内容だ。千寿郎からということだが筆跡は槇寿郎のもので、学業に励めとでも言って写本の代筆を引き受けたのだろうが、重々しい手跡で書かれた女言葉はどうにもちぐはぐに見える。
「シュークリームの作り方?」
「杏寿郎の継子だったという甘露寺蜜璃さんのご遺族から、形見分けで本をいただいたんだ。直接お会いできていないのだが、千寿郎にと言付けがあったと聞いている。千寿郎はその菓子を作りたがっているんだが、なかなか上手くいかないそうだ。私は役に立たないし、かといって甘露寺さんに伺うには縁が薄いし日も浅い」
「甘露寺かぁ。あいつんち鬼殺隊としては特殊な部類だからな。千寿郎が行くんなら歓迎しそうな気もするけど……旦那が頼むならそうだな、俺のところの方がいいか。料理だったら雛鶴だけど、あいつ、洋菓子なんて作るのかね」
 天元は首をひねりながら、ひとまず手紙をしまい込む。娯楽と花嫁修業を兼ねているのだろうか。こういう本を読んでいる甘露寺というのがあまりにも印象通りで、愉快さに頬が緩む。思い出話を共有できる相手はいたっけなと頭を巡らせて、この話の当事者である千寿郎を思いつく。料理本を形見分けとしてもらうくらいだから、顔見知りという以上の関わりがあったのだろうし、当然この本を読んでいるだろうからうってつけだった。
「ま、手引があるならなんとかなるだろ。手紙でもいいけど千寿郎くんこっちに寄越してくれよ。どうせ自由業だ、日にちは都合つけるし、旦那も来ていいからさ」
「手間をかけるが、よろしく頼む。材料はこちらで揃えるから、他に何かいるなら言ってくれ。……君のところは四人家族だったか?」
「今のところな」
「そうか。……千寿郎は人一人が食べる分量を杏寿郎を基準に見積もっている。君は若いし、体格がいいから相当に食わされるだろうな」
 覚悟しておいてくれ、と言いづらそうに槇寿郎は言った。
 杏寿郎も、本の元の持ち主である甘露寺も、どちらも見かけによらずの大食漢だった。腹の容積を超えて食べるさまは何度見ても信じがたく、種も仕掛けもない分、手品を見るよりずっとおもしろかった。
「そいつは派手でいいな!」
 天元が勢いをつけて槇寿郎の腕を叩くと、景気のよい音があたりに響いた。

投稿日:2021年2月3日
大正時代の玉電の時刻表を調べながら書いたのですが、所要時間の計算が間違っていて、モデルにした中学には寄宿しなくても通えました。ごめん千寿郎。