スタビライザー

ならず者の流儀」と地続きの話です。アカ←クロ前提のシラ→クロです。

 クロノがシライの部屋に入ると、シライはクロノにデスクの上に座るように言った。いつもは中央にあるラップトップは脇に寄せられ、丁度クロノが座れるスペースが空いている。
 今はもう、シライの部屋にクロノの机はない。行儀が悪いから嫌だとクロノが言うと、じゃあおれがそっちに座ると言われては仕方がない。結果が同じなら、クロノが座っても同じことだ。
「おじさん忙しいだろ。報告だけなら電話でもよかったんじゃないか」
「電話じゃ強がりに気づけねぇ。仕事に支障はねぇよ、師匠だけに」
 シライはクロノのごまかしにすぐに気づく。気づいていることを明かさない可能性を考えると、当たりの確率はクロノが認識しているよりも上かもしれない。検知能力が電話で発揮されたこともあるから、電話ではいけないというのは嘘だろう。だが部屋まで来てしまった今、それを指摘する意味はない。
 ――アカバに告白してくる。
 アカバと二人で映画を見るのが決まった日、クロノはシライにそう宣言した。
 断られたあとのプランはなかった。断られたなら、それからまた対策を考えるつもりだった。好意を伝えることは、任務と違って時間に制約がない。自分がアカバを諦められる気がしないから、アカバが受け入れてくれる関係を、時間をかけて築いていくつもりだった。
「で、アカバはなんて?」
「考えてくれるって」
 クロノの告白を聞いたアカバは、驚きはしたもののクロノの部屋からは出ていかず、途中から配信サービスに切り替えて上映した映画を、きっちり最後まで観てから帰った。「わしが言うまで返事を急かすな」と言い残して。
「よかったじゃねぇか。まずは一歩前進だな。専心努力した賜物だ」
 シライはするりとクロノの内腿を撫でた。
 巻戻士の第一線を退いたとはいえ、シライは剣術家としては未だ現役だ。日々任務と鍛錬を繰り返しているクロノが、自分の手を頼りなく感じることがあるくらい、シライの手のひらは分厚い。
「今日はしない」
 スラックス越しの体温と感触から、シライの手がもたらす快楽を想像しかけたクロノは、シライの手を腿の上から取り上げた。
「というか、アカバにOKをもらって、アカバとするまでおじさんとはしない」
 クロノが言うと、シライは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「アカバはおれがおじさんとしてるの気にしてた。したことも言ったことも後悔してないけど、なるべくおじさんの痕跡はないほうがいい」
「おれが言ったことを信じてるのか」
 クロノの考えを察したらしく、シライはへらりと笑った。
 アカバとの交際を想定したクロノは、シライにセックスのやり方を教えてほしいと申し込んだ。相手を傷つけ、自分も傷つく可能性のある行為だ。知識だけではなく、経験もあった方がいい。初めてを共にする感動という不確かなものよりも、クロノは互いの身体の安全という実利を取った。
 ――すっかりおれの形になってるのに、他のやつのところに行くのか。
 シライと性行為の練習を始めて何回目のことだったか。シライは自ら拓いたクロノの奥を突きながら、クロノの耳元でこぼした。快楽に溶けた頭でも分かる、切々と訴えるような声だった。クロノはそのとき初めて、シライがそういう意味で自分のことを好きだと知ったのだ。
「おれはおじさんが言ったこと全部信じてる。おじさんはおれに嘘つかないだろ」
 ことの真偽は確かめようがない。レントゲンでも取れば分かるのかもしれないが、そうやって考えると、内臓がシライの性器の形になっているというのは現実的ではないように思う。ただ、自分がどこをどう触られれば気持ちいいかはシライに教えられて分かっているし、シライが動くとき次にどういう快感がもたらされるかも、予感として分かる。そういう意味でなら、シライの形になっているというのも、全くの与太話とは言い切れなかった。
「クロノがおれに嘘をつかねぇからだ。おかげでいらねぇことまで教えちまった。……本当におれじゃだめなのか?」
 机の上に座っているから、今はクロノの方がシライよりも視点が高い状態だ。見上げてくるシライの手を握ったクロノは、小さな子どもに対してするようにシライを見た。
「アカバに言って分かった。おれはおじさんのことが好きだけど、おれがアカバに抱いてる気持ちは、おじさんに抱いてる気持ちと種類が違う。アカバとは何もなくても一緒にいたいし、話したい。おれのことだけ見てほしい」
「……あーあ、何回目だろうな、クロノにフラれるの」
 シライはクロノの手から抜け出すと、手を頭の後ろで組み、椅子の背もたれに背中を預けた。表情にゆらぎはない。シライの表情がクロノに分かる形で変わったのは、クロノが断りの返事をした初回の一度だけで、そのときクロノはシライの言う「強がりが分かる」とはこういうことか、と思ったのを覚えている。
「おじさんが懲りずに言ってくるからだろ」
「悪いな、そんな顔させたいわけじゃないのに。損な性分だよ、おまえは」
 立ち上がったシライはクロノの頭をひと撫ですると、鼻先に唇を落とした。次いで額にも口づけて、くすぐったさに目を閉じたクロノの瞼にキスをする。それから伺いを立てるように目を見てくるシライに、キスなら恋人じゃなくてもするからいいか、とクロノは頷いた。

投稿日:2024年6月2日
何もよくないと思う。