Hello,

「なあスマホン……あれ? スマホン?」
「どうしたの、クロノ?」
「スマホンの様子がおかしい」
 クロノは飛んでいるスマホンを引き寄せた。
 レモンがクロノの手元を覗き込むと、スマホンの画面は真っ黒になっていた。ディスプレイのバックライトは機能しているらしく、かざしたクロノの手のひらの下で、光が灯っていることが確認できる。
「強制的に再起動してみて」
「ああ」
 レモンはクロノがスマホンの物理ボタンを押さえるのを見ながら、自分の首の後ろに手をやった。あると知らなければ分からないような継ぎ目を指先で撫で、その下のポートが機能していることを信号を送って確かめる。
 レモンはクロノがスマホンのことを、携帯端末以上に大切にしていることを知っている。レモンに備わった機能を使って本部に帰還するよりも、まずはスマホンの再起動を試みた方が、クロノが感じる心痛は軽く済むだろう。任務を完了するのに支障がないとか、本部に戻れば直せるとか、そういうものではないのだ。
「……だめだ、応答しない」
「クロノ、スマホンと話すためにできることがある。手伝ってほしい」
 まるで傷ついた小鳥を見るような表情をしたクロノに、レモンは間髪入れずに話しかけた。
 スマホンを直す手立てがあると思ったのか、レモンを見たクロノの表情は明るい。ここは失敗できない、とレモンはバックグラウンドで算出した方法を再計算する。
「何をしたらいいんだ?」
「わたしの首の後ろにパネルがある。そこでリトライアイの認証をしてほしい。クロノは二級巻戻士としてデータベースに登録されてるから、申請が通ると思う」
 レモンはクロノに背を向けて、服の上から首の付け根を撫でて示した。
「分かった」
 上着を脱いだレモンはネクタイを緩め、シャツのボタンを二つ外して襟を抜いた。その方がクロノが見やすいからだ。髪は左右に分けてくくっているから邪魔にはならない。先に見つけておいた継ぎ目を強く押さえてずらし、人工皮膚の下にある機械部分を露出させる。
「クロノ、見える?」
 元から開く場所だから、外部からの衝撃で傷がついたときのように循環液が漏れ出ることはない。レモンは自分がアンドロイドである証左を目の当たりにしたクロノが、どのパターンの反応をするかを考えた。何の反応もせずにいてくれることが、レモンにとって最良だった。
「痛くないのか?」
「痛くない。この部分の感覚は作業前に切っている」
 クロノの質問に答えながら、レモンは自分が自分にとっての最良を真っ先に考えたことに驚いていた。守るべきは人間であるクロノの心であって、自分のことではない。レモンはユキの件に引き続いての誤作動とも言える思考の理由を探しながら、クロノが認証をしやすいようにうつ向いた。
 レモンの予想に反して、クロノはすぐには行動に移さなかった。レモンは背を向けたままクロノの様子を探る。
「……クロノ、バイタルサインが乱れている。気分が悪い?」
「いや! 大丈夫だ! ごめん!」
「なぜ謝るの?」
「……女の子の体をじっと見るのって、変だろ」
「私はアンドロイドだよ。それにこれはスマホンと話すために必要なこと」
「そうだな、ごめん。変なこと考えた」
「変なクロノ。クロノが何を考えるのもクロノの自由。謝る必要はない」
 クロノはそれ以上何も言わなかった。レモンの思考に割り込むように、リトライアイの認証が完了した旨を告げるメッセージが流れる。
「認証が完了した。クロノ、このケーブルでスマホンとわたしを繋いで」
 レモンはポケットからケーブルを取り出した。
 スマホンの接続口はUSB規格だ。巻戻士が転送先でも困らないよう、最も普及した形に合わせて作られている。レモンの方は日本政府が独自性を発揮したために別な形をしていたが、スマホンと接続する分には問題ない。
「繋ぐ順番はあるか?」
「どちらでもいい。決めた方がいいならわたしを先にして」
 クロノは神妙な顔でケーブルを受け取ると、壊れ物を扱うように慎重に、レモンの接続口にケーブルの先端を宛てがった。
 かつて存在したものとは違い、コネクタ部分に上下の区別はない。緊張しているらしいクロノにそのことを伝えるべきかとレモンが考えたとき、振動と電気信号によって、レモンは自分とスマホンが接続されたことを知った。


〈こんにちは、スマホン〉
〈こんにちは、レモンさん。クロノさんになんてことをさせるんですか!〉
〈クロノのためだった。マイクが機能しているならスマホンも状況は分かったはず。これが最善〉
〈……〉
〈今すべきは起きたことの是非の検討じゃない。早くクロノを安心させて〉
〈ぼくもそうしたいのですが、スキャンしたところ出力装置に問題があります。この場で修復を試みるより、本部帰還後に部品を交換した方がいいでしょう〉
〈分かった。クロノはスマホンの無事を知りたがってる。わたしの体をスマホンに貸すから、スマホンが自分でクロノに伝えてほしい〉
〈それはできません。規定に反しています〉
〈任務は完了している。人間であるクロノ以上に優先すべきものはこの場にない。――権限の設定を完了した。スマホン、声を出してみて〉


「レモンさん! あなたは――え」
「レモン?」
 スマホンと接続したきり黙っていたレモンが、突然大きな声を出したことに、クロノは驚きつつも安堵した。機械の分解と修理ならまだしも、ソフトウェアのこととなるとからっきしだ。任務は成功していたが、スマホンに加えてレモンにまで何かあったとなると、再度の巻き戻しも辞さないつもりだった。
「大丈夫だったか。何も言わないから心配したぞ」
「クロノさん、ぼくとレモンさんを繋ぐケーブルを外してください」
「もういいのか?」
 クロノは急な指示と違和感のある口調に戸惑いを覚えながら、自分の手の中にあるスマホンの差し込んだケーブルの端子に指をかけたが、その手をレモンに押さえられる。明らかに止めようとしている動きに、クロノは再度レモンを見た。
「レモン? どうかしたのか?」
「……」
 レモンは無言で首を振った。
 スマホンがレモンから譲られたのは、レモンの機体における音声の出力機能のみであり、レモンの手足をマニュピレーターとして操作することはできない。スマホンへの音声や映像の入力は、レモン経由ではなくスマホン本体に直接行われている。よってスマホンの目には、レモンに腕を掴まれたクロノが、心配そうな顔でレモンを見ている様子が映っていた。
〈させない〉
 音声入力とは別の部分、機械信号として、スマホンにレモンからのメッセージが届く。
〈どうしてもわたしの体を止めたいのなら、権限を昇格させればいい。わたしは権限を取らせる気はないけど、スマホンが行動すること自体は止めない〉
「…………クロノさん、ぼくです、スマホンです。レモンさんの口をお借りしています」
 スマホンは諦めた。スマホンはあくまで端末で、知識は本部のコンピューターに依存している。完全に自立しているレモンに勝てる見込みがなかった。
「スマホン? どうなってるんだ? レモンはどうした?」
 元々そう動きのないレモンの表情だったが、全く動かないとなると話は変わってくる。状況の一端を明かされたクロノは眉を寄せたまま、レモンの顔と自らの手にあるスマホンを見比べた。
「レモンさんは無事です。ぼくに音声出力機能を貸しているだけで、他の部分はレモンさんの意思の下にあります。ご心配をおかけしてすみません」
「スマホンは大丈夫なのか?」
「画面表示とスピーカーに問題があります。ですが、本部への転送に問題はありません」
「おれの声はスマホンに聞こえてるんだよな?」
「はい、クロノさんの声は聞こえています」
「じゃあ」
 クロノはレモンの顔から、暗いままのスマホンの画面に目を移した。
「おれはスマホンを見て話せばいいんだな。レモンもありがとな」
 クロノはケーブルを引っ張ってしまわないよう気遣いつつ、ジャイロセンサーを気にしてスマホンを立て気味に持ち直す。クロノは画面が映っていなくとも、スマホンの目の位置は感覚で分かる。
 レモンの方を見て話すクロノを見るつもりだったスマホンは、故障している自分本体に注がれるいつもと何一つ変わらないクロノの眼差しに、故障していなければ驚きを示すアニメーションになる信号を発した。返ってきたのは無味乾燥なエラーメッセージだったが、最初に同じエラーが出た後の、故障に気づいたクロノの不安そうな顔を見たときのような焦りはない。
「クロノさんとレモンさんを本部に転送します。その前に、レモンさんとの接続を切断してください。予期しないエラーが発生する可能性があります」
「分かった。外すと声が出せなくなるんだよな。本部に帰るまで、スマホンとレモンから離れないようにするから、転送のタイミングはスマホンに任せる。レモンもそれでいいよな?」
 クロノがレモンを見ると、レモンはこくりと頷いた。


 ラボの窓口で受け取りの手続きを済ませ、部屋に戻ったクロノは床に座った。
 クロノの手には修理から戻ってきたスマホンが握られている。外観の状態はラボの窓口で確認済みだったが、起動テストについては部屋でやりたいと申し出たのだ。もし直っていなかった場合はもう一度ラボに足を運ぶことになるが、二日ぶりの再会を、クロノとしては落ち着ける場所で行いたかった。
 クロノが電源ボタンを押すと、ロゴマークが出ては消え、最後に時空警察のシンボルマークが表示される。
 ごく一般的なスマートフォンと変わらないホーム画面が現れてから、何もせずとも起動される、スマホンの開発元のロゴが入ったスプラッシュスクリーン。目を閉じたスマホンの顔が画面に現れて、眠そうに二回瞬くアニメーションが入る。スマホンの眠そうな顔は、起動時と終了時、夜間モード使用時にスリープを解除したときに見られることが分かっている。
「クロノさん! ただいま戻りました!」
「おかえり、スマホン」
 プロペラをフル回転させ、手から飛び出してしまったスマホンをクロノは見上げた。
 スマホンの笑顔を見ていると、クロノも自然と笑顔になる。クロノがスマホンに手を差し伸べると、降りてきたスマホンはクロノの手に触れたところでプロペラを停止させた。
 クロノは両手でスマホンを持った。カバーについた細かい傷は修理に出す前と変わらず、クロノの目で見て分かる変化は、スマホンの顔を見てしゃべれることと、画面の保護フィルムが新品になっていることくらいだ。
「データの同期を行いますので、ぼくと代替機の二台を近くに並べて置いてください」
「代替機はないぞ」
「ない!? 昨日は任務の予定が入ってましたよね!!?」
「レモンが休みの日を代わってほしいって言ってきたから、別の日になったんだ。レモンの任務の日だと、スマホンの修理が間に合いそうだったから借りなかった。帰ってきたばかりで悪いけど、三十分後に出なきゃいけない。スケジュール入ってないか?」
 クロノがスマホンを見つめると、スマホンの画面上にスケジュール同期のアイコンが表示される。ぱちりぱちりと瞬いたスマホンは、ぐっとしかめっ面をして、あらぬ方角をジト目で見た。
「スマホン?」
「ありました! すみません、ネットワークへの接続はラボでの動作確認時にしたきりで、クロノさんのスケジュールの更新ができていませんでした。サポートAI一生の不覚です!」
「大げさだな。おれも覚えてるから大丈夫だ。病み上がりなんだから無理するなよ」
「問題ありません。またクロノさんと任務に行けてうれしいです。……レモンさん向けの任務ですから、環境条件が人間のクロノさんには厳しいものです。変更の申請は可能です」
「簡単な内容は先にレモンに聞いてる。おれはやれるから、詳しい説明を聞かせてくれ」
「分かりました。精一杯サポートします! 一緒にがんばりましょう!」

投稿日:2024年6月6日
スマホン宛にレモンからのメッセージが届いていました。