常夜灯

 前触れなく部屋が真っ暗になった。
 光量の変化を刺激として受け取ったスマホンのスリープが解除され、床に座ってベッドの側面にもたれていたクロノは、スマホンの光に照らされた天井を見上げる。
「……停電かな」
「調べます!」
 クロノの独り言のような声に応えたスマホンは、次の瞬間「あ」と短く声を上げた。
「通達がありました。クロノさんのご推察の通り停電です。本部の電気系統の異常ではなく、この地域全体で発生しているものです。クロノさん含む非番の巻戻士に出動要請は出ていません」
 管理部門より届いたメッセージの中から、クロノに関係のある部分を抜き出したスマホンは、続けて状況に関する報告を読み上げる。
「予備電源からの給電は、業務に関わる部分が優先されます。換気設備は稼働率を下げて動かしますが、その他の設備については基本的に停電からの回復を待つことになります」
「ありがとう。スマホンは念のため省電力モードに切り替えてくれ。すぐに復旧すればいいけど、連絡が取れなくなるのは避けたい」
「分かりました!」
 スマホンが画面のライトを消すと、部屋の中は再び真っ暗になった。
 クロノはふぅと息を吐いた。
 クロノは住宅街で育った。夜中に部屋の電気を消しても、街灯の光が窓から入ってくる環境だ。クロノが満天の星空を見たのは科学館のプラネタリウムと、スマホンに連れられて行ったキャンプくらいのもので、待っていても目が慣れることがない真の暗闇は、訓練の中でしか経験したことがなかった。
「今日は雷雨だって言ってたか……」
 耳を澄ませてみても、雷の音はもちろん、雨音も風の音も聞こえない。地下にある巻戻士本部で外の様子を知りたければ、テレビやスマートフォンといった電子機器が不可欠だ。クロノは自分の部屋が地下にあることについて閉塞感を覚えたことはなかったが、こうして外部と断絶されてみると、宇宙空間に漂っているような不思議な心地がした。


 眠りに入るように無心に戻っていたクロノは、ふと隣の部屋が静かになっていることに気がついた。
 かつてスマホンが気にかけてくれたときには気にならないと答えたし、実際に何の支障も感じていなかったが、クロノとて隣室のアカバが日々ドタバタと大きな音を立てていることは知っている。今日のアカバもいつもと変わらず賑やかにしていたはずだが、いつの間にか誰もいないかのように静まり返っている。
 暗さで何も見えないなりに、クロノはアカバの部屋がある方を振り返った。
 転んだり物が落ちたりといった音はしなかったし、停電するより前に任務で出て行った可能性もある。寝てしまったというのもあり得るだろう。早送りフォワードを使っていないときでも目まぐるしく表情の変わるアカバだったが、まさか電気で動いているわけではあるまい。
 アカバが静かな理由をあれこれと考えたクロノは首を再び前に戻したが、一度気になると気になってくるものだ。無心になりきれず、何か変化がないかとアカバの部屋の方に意識を向けてしまう。隣人の物音に耳をそばだてるのはよくない。クロノは自分の行動を客観視して眉をしかめた。


 アカバの無事を確かめるべくアカバの部屋を訪ねようとしたクロノだったが、玄関のドアノブは動かなかった。クロノはポケットに入れてきたスマホンのボタンに触れる。
「スマホン、ドアが開かないんだけど、原因は分かるか?」
「はい。停電時には安全のため一旦ロックされるようになっています。手動での解錠方法を検索します」
「いや、いい。大丈夫だ」
 記憶頼りに部屋から出ようとして、玄関に来るまでに一度顔面をぶつけているクロノは、同じ失敗を繰り返さないために、壁に手をつきながらそろそろと部屋に戻る。日頃から床に物を置いていないのは幸いだった。もし置いていたら、体をぶつけるのは一度では済まなかっただろう。
「あだっ」
 そう思った矢先に、向こう脛をしたたかにぶつけた。
「大丈夫ですか!?」
「大丈夫、ちょっとぶつけただけだ……そっか、ベッドの横って棚があったな……」
 いつもスマホンを置いて充電しているくせに、すっかり忘れていた。移動のときくらいスマホンに明かりを付けてもらえばよかったと思っても今さら遅く、クロノは意識していなかったせいで遠慮なくぶつけた向こう脛を擦りながら、座り込むようにしてベッドに腰掛けた。
 体感時間としては停電してからさほど経っていなかったが、実際にはどうだか分からない。クロノはスマホンに時間を尋ねようかと思ったが、任務ではないからいいか、と思い直す。緊急時に困るからと省電力モードにさせておいて、ホイホイと話しかけるわけにもいかない。
 クロノはぶつけた足の痛みが和らぐのを待ってベッドに上がり、シーツの上を膝で歩いた。いつも音が聞こえているアカバの部屋側の壁に手を触れると、先ほど触った壁と同じ壁紙の手触りがした。
 コンコンと二回、壁をノックする。
 返ってきたのは中身が詰まった硬い音だった。
「……」
 クロノは耳を済ませた。
 叩いた手応えの通り、防音がされていないわけではないのだ。少し反応があったくらいでは分からないかもしれない。アカバがいないならいないで構わなかったが、万一の可能性が気にかかっているクロノは、一度目よりも気持ち強めに壁を叩いた。
「アカバ?」
「…………クロノ?」
 やや長い沈黙の後に返ってきたアカバの声は、思ったよりも小さかった。
 近づこうにもクロノはすでに壁ギリギリの位置にいる。かすかな反応も逃さないつもりで、クロノはぺたりと手のひらを壁に付けた。
「アカバ! 停電してるけど、そっちは大丈夫か?」
 声が大きすぎたかもしれない。自分の声が振動となって手のひらに伝わる。
「だ、大丈夫に決まっとるじゃろ!」
「そうか」
 今度のアカバの声はよく聞こえて、クロノは一人頷いた。
「急に暗くなったから驚いた。怪我してないか?」
「大丈夫だと言っとるじゃろ! おまえの方こそ、さっき叫んでたじゃろう。わしに聞いておいて自分が怪我したなど、マヌケすぎて笑う気にもならんぞ」
「聞こえてたのか」
「……静かじゃったからな」
 アカバが移動してきたらしい。コンコン、とクロノの座っている場所近くでノックの返答のように音が鳴った。クロノはアカバの部屋を見たことがなかったから、アカバがどういう姿勢でいるのかは分からない。壁にもたれた方が楽だったが、声の聞こえが変わるかもしれず、クロノは膝立ちで壁に正対したまま声を出した。
「実は壁にぶつかった。アカバのことが気になって見に行こうとしたんだけど、ドアが開かなかったんだ。スマホンが言うには、停電中は施解錠が手動に切り替わるらしい」
 クロノの頭の中でアカバの「ふうん」という相槌が聞こえたが、現実にはアカバの声は聞こえていない。クロノの頭の中に入っているアカバの会話のテンポが、空耳のように再現されただけだ。
「わしなぞ見に来ても、おもしろいことなど何もないじゃろ」
「別におもしろさを求めてたわけじゃないぞ。本当に気になっただけだ」
「知っとるわ! ……気持ちだけありがたくもらっておいてやるかの」
「そうか? じゃあ、どういたしまして」
「礼など言っとらん! どういたしましては余計じゃ!」
「そ、そうなのか!?」
 難しいな……と、クロノはアカバには聞こえない声量でひとりごちた。


 それきりしばらく沈黙が続いた。会話が終わったのかもしれない、とクロノが壁に背を向けようとしたときに、アカバの方から「クロノ?」と声が掛かった。
 いつもの呼びつけるような語調ではなく、どことなく不安そうに聞こえたのは、真っ暗な環境がクロノの心理に影響を与えているのかもしれない。アカバに知られたら怒られそうだと思いながら、クロノは壁に向き直る。
「どうかしたか?」
「べ、別にどうもせん。おまえが黙るから、何かあったのかと思っただけじゃ。……こうも暗いと修行もできんから退屈じゃの。何かおもしろい話はないかの?」
 傍若無人とも言える話の振り方だったが、気にするクロノではない。「そうだな……」と相槌を打ちながら、ベッドの逆端に置いていたスマホンを引き寄せる。省電力モードのために、表情が見えないことが少し寂しい。
「スマホン、暗い中でできる遊びってあるか?」
 クロノはスマホンに尋ねながら音量ボタンを押して、スマホンの回答がアカバにも聞こえるようにする。
「視覚を必要としない遊びですね。音声のみでできるものでしたら、しりとりや山手線ゲームが代表的です。体を使うなら目隠し鬼もありますが、今日この部屋でクロノさんがぶつかった回数を思うとおすすめできません」
「なんじゃクロノ、スマホにまでどんくさいと思われとるんか」
「うるさいぞアカバ」
 壁越しにアカバに茶々を入れられ、クロノは口を尖らせた。しりとりも山手線ゲームも二人だけでやるとすぐに番が回ってきてしまうが、とりあえずどちらかを始めるか、とクロノが思ったとき、まだ調べていたらしいスマホンが再び口を開いた。
「道具が必要になりますが、真っ暗な中でしかできないものですと、闇鍋なんてものもありますね」
「ヤミナベ」
「はい。参加者がそれぞれ具材を持ち寄り、何を持ってきたのかを互いに隠したまま暗闇で煮込む鍋料理です。安全のために具材は食べ物に限定することはもちろん、食中毒を避けるために完全に火を通す必要があります。また、参加者のアレルギーの有無を確認をしておくことも大切です」
「おもしろそうじゃの。このまま復旧しなければ飯をそれにするか?」
 即答したアカバに対して、クロノの頭の中では戯画化されたロードマップが描かれて、ぐつぐつと煮える鍋ができたところだ。肝心の具の部分がはてなマークなことは心許なかったが、アカバと鍋をするというのは楽しそうだった。
「うん、確かに楽しそうだ。必要最低限のところは二人で揃えて、解散してから具材を買う。その後で合流するのでどうだ?」
「なんでお前が仕切るんじゃ! ……まあ、そのプランで異論はないがの」
「じゃあとりあえず、山手線ゲームを『鍋の具』でやろう」


 始めたゲームが行き詰まる前に電気は復旧した。
 食堂も簡単なものならば用意できるという状態だったが、すっかり鍋を食べる気になっていたクロノは、アカバを誘って鍋の用意を買いに行った。幸いにも雨は止んでいて、時間をおいたおかげで町の混乱も収まっていた。
 鍋のスープを何にするかというところで一悶着があり、帰ってからの「せっかくだから電気を消してやるか?」というクロノの提案は、アカバの「見えていた方がうまいじゃろう」という至極もっともな意見によって却下された。

投稿日:2024年7月5日
2024年5月31日のツイートを膨らませました。船の事故以来真っ暗なところが苦手で、寝るとき豆球かフットライトをつけて寝るタイプのアカバ……という設定を拾いたいならアカバ視点で書くべきだと気づいたときには既に遅く。