髪型

「髪切ったのか。随分すっきりしたな」
「うん、夏だから」
 カウンターテーブルにコーヒーを置き、クロノが座っているスツールの隣の席に腰掛けたシライは、刈り上げられたクロノの後頭部を撫でた。
 トップ短めのツーブロック。シライが認識する限り今までで一番短く、切ったと言うより刈ったと言うほうが正しい。
「夏ねぇ……」
 巻戻士本部は全館空調、地下にあるから季節感など皆無で、食堂の献立が移ろう季節を感じる数少ない手がかりだ。冷やし中華が始まれば夏、カキフライが出れば冬、炊き込みご飯にたけのこが入れば春だ。八宝菜には年中たけのこが入っているから、たけのこそのものに春を感じられるかは個人差がある。
「へぇ……」
 指に刺さることなく柔らかくたわむ髪。直接肌に触れるよりもほんのりとした温かさ。軽く好奇心を満たすだけのつもりで手を伸ばしたシライは、考えてもみなかった心地よさについうっかり夢中になった。入れたコーヒーそっちのけで、クロノの髪を触ってしまう。
「……そんなに気に入ったならおじさんも切ればいいだろ。夏だし」
 しばらくはされるがままになってくれていたクロノだったが、自身のアイスコーヒーを半分まで減らしても触り続けるシライが鬱陶しくなったのか、頭を守るように手を当ててシライの方を見た。
 夏だということは、クロノにとって髪を切るに足る理由らしい。おまえ今までそんなこと言わなかったろ、とシライ思ったが、この夏はクロノが入隊してから初めての夏だ。もしかしたら今までは言わなかっただけなのかもしれない。
 シライは暇になってしまった手を腿の上に置くと、テーブルに肘をついてクロノを見た。入隊後、クロノに会う機会は格段に減った。顔を見ていると懐かしいような感覚が込み上げる。
でこ出す髪型したことねえんだ。似合わねえよ。髪型変えてテコ入れしなくとも顔は売れてるしな」
「そうかな」
 納得いかない顔でシライに向かって手を伸ばしてきたクロノは、熱でも測るようにシライの前髪を掻き上げた。
「……」
 予想外の事態だった。シライはぽかんと開けてしまいそうになった口をきゅっと噤み、クロノの顔を凝視した。
 クロノからシライへの接触はあまりない。というかほとんどない。格闘訓練を数に入れれば回数を稼げるが、それをカウントしないだけの常識がシライにはある。クロノはパーソナルスペースが広く、他者への接触にも慎重だ。それは最悪の子供時代を過ごしたシライにも分かる感覚で、他の巻戻士に肩に触れられたときにクロノが体を固くするのを見たシライは、自分が緊張を強いずにクロノに触れられることに優越感を覚えた。
 そのクロノが、自分からシライに触れてきたのだ。
「別におじさん、おでこ出してもおかしくないと思うけど」
 何も考えずにクロノの顔を見るのは久しぶりのことだった。シライは常日頃師匠としてクロノに接していて、クロノの顔を見るときに必要なのは視線や表情という情報を得ることであり、顔面の品定めではない。
 今のクロノは十四歳。忘れもしない「あの日」のクロノと同じ年齢だ。シライはあれから十センチほど背が伸びていて、反対に小さくなっていたクロノの身長と年齢が追いつこうとも、視線の高さは揃わない。二人揃って椅子に座って、シライは頬杖をついた前傾姿勢。視線が交わる位置が「あの日」と似通った状態になったのは、完全な偶然だった。
「……そうか?」
「うん。おでこ出しても大丈夫」
 シライがかろうじて絞り出した言葉に、クロノは何の気負いもなく即答する。
「そうか……」
 シライが目を逸らすと、クロノも自然と手を離した。
 頭の中が真っ白になったまま、シライはコーヒーを啜った。溶けた氷で上部が水っぽくなっている。休憩室は休憩をするところだ。元々大したことは考えていなかった。クロノに触れる前に何を考えていたかを思い出せなくても、問題ないはずだった。
「ごめんおじさん」
「ん」
「前髪癖ついてる」
 もう一度、クロノの手がシライの額に伸ばされた。
 シライの髪には整髪料がついている。セットはドライヤーによる部分が大半だし、前髪にはあまりつけていないが、それでもハードワックスだからキープ力はある。しばらく押さえていれば癖がついてしまうこともあるだろう。
 クロノの手がシライの前髪を優しく梳かす。思ったように直せなかったのか、真剣な顔をしていたクロノが心持ち困ったような表情を浮かべたところで、シライははっと我に返った。
「こんなの適当にやっときゃいいんだよ」
 クロノから再度目を背けたシライは、日々出勤前にする動きを感覚でなぞって前髪を整える。柄にもなく心臓がどきどきしていた。
 クロノの髪がもう少し長ければ危なかった。シライはクロノが「クロノ」だという、再会したときには確かに分かっていたはずの事実を改めて噛み締めた。

投稿日:2024年7月15日
CP前提で肉体関係のないこの二人書くの初めてです。本来こういうのが一作目であるべきだよ。