エキシビション

今より少し未来という設定。

「聞いたぞクロノ、ご指名らしいのう!」
「耳が早すぎる。どこで聞いたんだ」
 廊下で顔を合わせた途端、至極うれしそうにアカバは言った。
 多目的室で行われる対人戦は、チャイヌの捕物劇に端を発しているらしい。今ではちょっとしたお祭りのようになっていて、経緯を知らない新人には、任務で一緒になることを祈るしかない憧れの先輩と手合わせできる場になっているとかいないとか。
 開催日である今日になって、どうしてもクロノと勝負したいのだと平身低頭言ってきた新人に、指導という形での手合わせを承諾して、時間外に受ける代わりに他の人には広めないでほしいと言った――はずだった。
 おおよそ一時間前の話だ。なぜアカバが知っているのか。
 クロノのジト目などどこ吹く風で、アカバはごきげんな顔のまま、肩に掛けたタオルで濡れ髪をもうひと拭きする。アカバは件の試合の帰りなのだろう。クロノが情報の出どころの予想を立てる前に、アカバから答えが明かされる。
「そりゃあ新人におまえを口説くよう焚き付けたのはわしじゃからのう。諾否の報告を受けるのは筋っちゅーもんじゃろう」
「なんで……」
「わしはおまえと違ってマメにやっとるからのう」
 レモンに「クロノとアカバは逆になると思っていた」と意外がられるほどに、アカバは新人の面倒をよく見ている。特級巻戻士になるための修行に明け暮れて、そのためには短い休暇も何もかも、自由になる時間の全てを目標の実現のために注ぎ込んでいた男なのに、だ。
 一方のクロノは本部を空けがちで、新人と顔を合わせる機会は少ない。組織の維持のために新人教育が大切なのは分かるが、任務に出たいし研鑽も積みたい。現役時代にはまるで新人教育を受け持たなかったというシライの気持ちがよく分かる、食堂でのおしゃべりくらいで勘弁してほしく思う今日この頃だ。
「ほしいものが手に入らん悔しさはよく分かっとる。どうせおまえは後を引かんからのう。迷惑だ何だと考えずに、やるだけやってみたらええ――と言って、見事釣り出すのに成功したわけじゃ」
「……やる気があることを迷惑だとは思わない」
「そうじゃろ」
 クロノに先んじて一級巻戻士になったアカバは、クロノにひとしきり自慢した後で「先輩方が指導してくださったおかげじゃ」とアカバらしくもないことを言った。言ってから自分らしくないことを言ったと気づいたのか「もちろん、わしの天賦の才があってのことじゃ!」と付け足していたが、クロノとしては先に言ったことがアカバの本音だと思っている。
 シライという師がはっきり存在するクロノと違い、アカバは強者と見れば道場破りのごとく押しかけていく。相手が大先輩でも後輩でもお構いなしだ。方々からやり方を仕入れて、それでいて芯がぶれないのは身についた型があるからだ、というのはシライの言だ。シライがアカバを指導しない理由と矛盾していたが、矛盾に気づく前に腑に落ちてしまったので、クロノは指摘しそびれた。
「おまえが一回きりだと言うたせいで向こうはやる気満々じゃ。気合い入れて行ったほうがええぞ」
「手を抜くつもりはない」
 気乗りはしない。昔からずっと対人戦は苦手だった。クロノが対人戦を嫌う理由を知るアカバは「今のおまえなら怪我させんようにするくらいできるじゃろ」と言うが、そういう問題ではないのだ。巻戻士としての評判を言うならそこも一緒に広めてくれればいいのに、とクロノは常に思っている。
 すれ違いざまにアカバに肩を叩かれたのを激励と受け取って、クロノはエレベーターホールに向かう。背中に「おい!」とアカバの声が掛かった。
「言い忘れとった! 多目的室、シライさんが来とったぞ!」
「は? おじさん忙しいんじゃ――」
 振り返ると、アカバが首をひねる。
「シライさん、エキシビションマッチだと言って参加しとったぞ」
「……刀を研ぎに出してる間くらいじっとしてればいいのに」
 今回の顛末は一応シライの耳に入れていた。断る気だった当初から、受けることにした一時間前まで細切れに。最後のは、ついでとはいえ本部の施設を使う以上は、と思っての報告だった。ついさっき届いた「行けたら行く」というメッセージには、学校の参観日じゃないんだから来なくていいと返したが、まさかシライ自身が参加する側で出ているとは思わなかった。年甲斐がないとはシライのためにある言葉だと思う。
「うん、刀は使っとらんかった」
「木刀?」
「いんや」
「竹刀? ……それなら見たかったな」
「違うって」
 アカバは握った拳を胸の前で構えた。
「……素手?」
 クロノが答えると、クロノの察しの悪さに苛立ったのか「流石に分かるじゃろ」と不満げな顔をしていたアカバはニパッと笑った。
「おう! クロノに格闘術を教えたのはおれだって、もう大盛りあがりじゃ!」
「そこは隊長直伝でいいだろ……」
 クロノはシライから戦う術を教わったには教わったが、巻戻士としての活動に活かしているとは言い難い。運動能力は向上したし、対手の反応を見た上での対応を取れるようになったから全くの無駄とは言わないまでも、派遣される任務はクロックハンズでも噛んでいない限り、事故や自然現象を相手にする方がずっとずっと多いのだ。
「あれだけ温まった場を一瞬で冷ますとは、シライさんは流石じゃ」
 拳を解いて下ろしたアカバがゆるい笑みを見せる。
 何が起きたのかを察して、クロノは深く頷いた。

投稿日:2024年8月25日
クロノが少年(18歳未満)であるうちにトキネの救出はなされるんじゃないかと思ってるんですけど、14歳の特級巻戻士というと早すぎる気がする。今回は18前後のイメージでした。