白蝶貝
シライはクロノのつむじにそっと口づけた。
何かされた感覚はあるのだろう。何かした? と問うようにクロノの目が向けられて、シライは首を横に振った。
他愛のない、さりげない接触はいつものことだ。クロノはシライが対応が必要な行動をしたわけではないと知ると、素直に再び前を向き、シライが付けてやったネックレスを見下ろした。似合っていると伝えれば、肩越しにはにかんだ笑顔が返ってくる。
アカバとレモンが選んだという服は、クロノによく似合っている。
服を贈る意味なんてものは、あの二人は持たせていないに違いない。純粋に友人として、ファッションはおろか生活というものに無頓着なクロノのために、クロノの喜ぶ顔が見たくて選んだのだろう。
シライは自分がたっぷりと意味を持たせた贈り物を、そうとも知らずに礼を言うクロノを見て目を細めた。
プレゼントは、最初から白蝶真珠と決めていたわけではない。
クロノの誕生日に何か買ってやりたくて、ぶらぶらと本部から出て歩いていって、たまたま目についた店に入っただけだ。
「あー、誕生日プレゼントで、気軽に使えるものがいい。渡す相手は男……です」
「それでしたら……」
散歩のついでのように入ってきた、きらきらしい店内にそぐわないパーカー姿のシライにも、店員は慇懃な態度を崩さなかった。
ショーケースの中から取り出されたのは、大ぶりな真珠が一粒ついたネックレス。白蝶真珠――南洋真珠とも呼ばれるもので、チェーンの長さは50cm。男性にも付けやすい長さだと、店員はゆったりとした口調で説明した。
「へえ、きれいだな」
「今月がお誕生日でしたら、誕生石であるサファイアを使ったものもございます」
続いて取り出されたのは複数の石が並んだバータイプのもので、白から紺碧へと、色石が波打ち際のような穏やかなグラデーションを描いている。
「……きれいだな」
そうとしか感想を持ちようがなく、シライが先ほどとまるで同じ相槌を打つと、店員は慣れたもので穏やかに微笑んだ。
布張りのトレーの上に並べられたネックレスを見比べて、シライは首をひねった。付いている値札の金額は、予算を決めてこなかったから見る意味がない。
青はクロノの色だが、使いやすさでは真珠の方がシンプルでいいような気がする。クロノの普段着を思い浮かべようとするが、スーツ姿ばかりが思い浮かんで参考にならない。いっそネクタイピンというのもありか。眉間の皺を深めるシライに、店員は助け舟を出した。
「宝石言葉というものがございまして、ご自身のお気持ちや祈りを込めてお選びになる方もいらっしゃいます。サファイアでしたら『慈愛・誠実・忠実』、白蝶真珠でしたら『健康・長寿・無垢』が代表的なものです」
「……どっちも良さそうで選べねぇな。どうするかね」
腕組みをするシライの前に、店員は宝石言葉が書かれたシートを差し出した。
サファイアの欄には店員が口にしたものの他に「真実」、白蝶真珠の欄には「純粋・純潔」と書かれている。捧げるシライの気持ちとしてはサファイアで、クロノのイメージとしては白蝶真珠だ。すっかりどちらかを買う気になっているシライだったが、いまいち決め手というものがない。アクセサリーをつける習慣がないクロノのこと、両方貰っては使い所に困るだけだろう。
「……この誕生石ってやつ、日付に対してはないですか」
情報を増やすことが吉と出るか凶と出るか。
シライが尋ねると、店員はゆったりと頷いた。
シライは隣を歩くクロノの首筋をじっと見た。何か言われればネックレスの収まりが気になったと言うつもりだったが、クロノはシライの視線を気にすることなく歩いていく。
クロノはまだ、ネックレスが誕生日プレゼントだということにすら気づいていない。会場に着けば自然に分かるし、スマホンはきっと、シライの贈り物の意味をクロノに説明するだろう。
渡すのが楽しみすぎて買ってからもあれこれ調べていたシライは、ネックレスを贈ること自体に「ずっと一緒にいたい」という意味があることを知った。スマホンは宝石言葉だけではなく、それも伝えてくれるかもしれない。
シライが言葉にしなくても、シライの思いはクロノの中に染み通っていく。白蝶貝の中で真珠が作られていくように、シライの気持ちを飲み込んだクロノの中で、シライの思いが存在感を増していけばいい。
シライは浮き立ってしまわないよう、足取りに気を配った。
シライはクロノから得られるものなら何でも欲しかった。一度目も、二度目も、三度目も――そして、最後も。
現実的なことではない。クロノは生きている人間で、多くの仲間と関わりを持っている。シライはクロノがアカバやレモンと笑い合う姿を眺めることが好きだ。プレゼントは一番に渡すけれど、ハッピーバースデーを言うのは二人に譲る。悪意も害意も全くない。AIによる精神チェックの結果はいつも正常で、全く清浄な気持ちで、シライはクロノの幸福を願っている。
クラッカーの音と誕生日を祝う声。驚いたクロノがシライを見上げて、それから人の輪の中に入っていく。
「シライ!」
クロノが自分を呼ぶ声が耳に届く。
目の前にあるのは真珠の輝きのように白く柔らかな光だ。触りすぎないように、損ねてしまわないように、慎重に扱わなければならない。
仕方ねぇな、という顔をして、シライは一歩踏み出した。
- 投稿日:2024年9月9日
- 梢菜さんの漫画、もうめっちゃかわいかったんですよ!もし再掲なさったらリンク貼りたいです。掲載許可ありがとうございました!(9/11にXに再掲なさったのでリンク追加しました)