7+4+4+10
芋餅さん、仄さん、ムダ太さんとスペースしたときに出たネタがベースです。
まずは犯人の確保。それから鞄の捜索。
ひったくり犯が投げ捨てた鞄から財布が抜かれていることを察知したシライは、即座に優先順位を決め、懐のクロホンに呼びかけ現在地を記録させた。鞄が放物線を描いて飛んでいった道路の向こう、法面の下が川ではないことを祈る。
クロノがいれば二手に別れられたが、クロノはクロノで犯人とグルだった「道に迷った人」を捕まえるために走っている。クロノはそれを完遂しても、被害者を落ち着かせるために現場に残るに違いない。ならば、犯人を捕まえた後の鞄の回収もシライの役目だ。
バイクで来ていてよかった。三年前に犬泥棒を追いかけたときは、路上駐車のバイクを拝借したシライが警察に捕まって、三か月ぶりのデートはあえなくおしゃかになった。
任務外、完全なプライベート時間に起きた、時空警察とは全く関わりのない事件だ。シライを無罪放免させるためにクロノが揃えて持ってきた書類は、明らかな職権乱用だった。
誰に似たのかとシライが問えば、クロノはインカメラを起動させたスマートフォンを渡してくる。本部に戻ってから一緒に反省文を書いたおかげで、二人だけの時間が取れたのは取れた。
だから、今回はマシな方だ。
太平洋に沈む夕日を浴びながらプロポーズする計画はお蔵入りになりそうだったが、予約しているレストランには入れるだろうし、始末書だって書かなくていい。
だから本当に、今回はマシな方だ。
◇
「お祓いとか行った方がいいのかな。こういうの、一度や二度じゃないだろ」
(神前式ってのも悪くねえな)
缶コーヒーを開けるクロノのぼやきを聞いたシライの頭には、白無垢と紋付き二パターンのクロノが思い浮かんでいた。
挙式は今の今まで揃いのモーニングかホワイトタイの予定だったが、和装で三々九度の盃を交わすというのも、古式ゆかしくて悪くないように思う。巻戻士本部にいる面子向けの披露宴とクロノの家族向け、和洋別々に執り行うというのもありだった。
シライはクロノに剣道着姿を見せたことがあるが、クロノの和装は見たことがない。前にそれとなく尋ねてみたところ、七五三のときに袴をはいたことがあると返ってきて、思わず口からこぼれた「写真ねぇの?」には、「次に里帰りしたときに探してくる」という返事を貰っている。
約束はまだ果たされていなかったが、次のクロノの里帰りにシライがついて行って、ご実家への挨拶方々幼少期のアルバムを見せてもらえば、一石二鳥で一挙両得、三々九度まで一直線だ。
「……おじさん、大丈夫?」
「大丈夫に決まってるだろ。誰に聞いてんだ」
「そうか? ならいいけど」
自信満々に即答したシライに、クロノは疑わしそうな瞳を向けてくる。
シライは隣に座るクロノの瞳に向かってもう一度頷いてから、すっかり暮れてしまった空に視線を戻した。木枯らしが吹き出した季節、観光地から離れた場所に人の姿はない。
エンストした車を直して、お礼にと誘われたお茶をごちそうになった。人のいい老夫婦だった。
地場のうまいものの話を聞いているうちに爺さんが倒れて救急車を呼んで、開けっ放しになった家をそのままにできず、付き添いに立った婆さんが帰るまで門扉を守ることになった。幸い大事には至らなかったらしく、家の前で狛犬のように帰りを待っていたシライとクロノは、帰ってきた婆さんから平謝りに差し出される金一封をどうにか断りきった。せめてと言われて渡された茶菓子の残りは、虫押えのためにありがたくいただいた。
住民以外は使わない、車ですれ違うなら熟練のテクニックが必要になるだらだらとした下り坂。途中で「一度くらいお参りして行こうか」とクロノが声を上げて、分かれ道の先に見える小さな鳥居を目指して丘を登る。推定所要時間は十分。縮めようと思えば三十秒まで縮められる距離だが、後の予定はない。シライもクロノも、ここ二年は時間指定の予約は取らないようにしている。自分たちの任務達成率ではなく、店の人への迷惑を考えた結果だ。
神社のすぐ近く。高台にある公園から見える景色は、展望台から一望できるという対岸の夜景とは違って、この町で暮らす人々の息吹きを感じさせる。マジックアワーの残照に包まれた町並みは、見知らぬ場所ながらどこか懐かしい気配をまとっていて、シライはクロノと初めて出会った中学生の頃を思い出した。
あのときのクロノはシライに礼さえ言わせてくれなかった。
それが今、隣に座っていてくれる。
シライの幸福の閾値は年々下がっていて、近頃はクロノと目が合うだけで世界がぱっと明るくなる。脳内では花が咲くし、小鳥は歌うし、米とか麦とかも実るし、川が流れて大地を潤すし、血糖値も下がっている。最後は気持ちの問題だ。
シライは特定の宗教を信仰していなかったが、清らかなもの、尊いものを汚してはならないという感覚は持っている。だからクロノの眩しさを目の当たりにするたびに、自分がとんでもないことを企てているように思うことがある。
たまに隣に立てるだけでも幸せなのだから、クロノにプロポーズするのはよした方がいいのではないか。
クロノの心を自分に向けさせようとするのは、何らかの罪に問われるのではないか。
現にこの七年間、プロポーズしようとするたびにアクシデントに見舞われている。何か大きな力が働いて、クロノをシライから守ろうとしている可能性がないでもない。
けれども、シライはしばらく考えてから「でもおれはクロノと結婚したいし、クロノが嫌なら自分で断るだろ」と結論づけて懸念を振り払う。シライが弱気になるのは大体徹夜が続いた後で、クロノからも「眩しく感じるのは寝不足とドライアイだ」と言われている。
「遭遇したのがおれたちじゃなけりゃ、間に合わなかったかもしれねえだろ。お祓いで巻戻士がお払い箱になれるなら、とっくにみんなそうしてる」
「それもそうだな」
もしかしたら今、いい雰囲気かもしれない。
もうアクシデントは起きたし、今日こそプロポーズできるかもしれない。
名前すら知らない公園で、ロマンチックな要素は何もないけれど、シライはクロノさえいれば他には何もいらないのだ。今までは形式にこだわりすぎていたのかもしれない。今ここでクロノに結婚してほしいと告げて、いつか、たとえば十年後、同じベンチに座って締まらないプロポーズをしたことを笑い合う。そんな風に歩むことこそ、自分が求めているものなのかもしれない。
シライは飲みかけのカフェオレの缶をそっとベンチに置いて、ポケットの中にある指輪の存在を確かめる。箱が壊れた六年前から中身だけを持ち歩いているおかげで、気取らずに出すことができる。
「なあ、クロノ」
ブツッと音を立ててスイッチが入った防災無線から、峠の我が家が高らかに鳴り響いた。
◇
「……おれ、おじさんとこうやって過ごすの好きだよ。おじさんさえよければ」
「待ってくれ、おれから言わせてくれ」
いわゆる真ん中バースデー。十年目ともなるとクロノも心得たもので、シライが食事に誘うことを見越して予定を空けておいてくれる。他の人間にとっては特別な日でも何でもないから、たまたま空いているだけかもしれないが。
シライはポケットに手を入れた。
着慣れないスーツを着たのは最初の年だけで、後はずっと動きやすさを重視した服装をしてきている。アクシデント続きなこともありかしこまった店の予約はできないが、ふらっと入れる気軽な店を探す嗅覚は発達した。今でも格好つけたい気持ちがないわけではなかったが、たった今聞いたクロノの言葉で、すべてが報われたと思った。
シライはクロノに向き合った。
クロノの背後には夜景と、ライトアップされた展望台の欄干が見える。
だが、そんなものが霞むほどに、クロノの存在そのものが眩い輝きを放っていた。
ポケットから指輪を取り出したシライは、地面に膝をつく前に静かに息を吸った。
耳元でひっきりなしに鳴っていた風の音が、一瞬止まった気がした。
「おじさん、本部に戻るぞ」
夜空を染め上げる火の手を確認して、遅れて聞こえた二回目の爆発音。混乱と興奮でざわめく人の声の中でも、クロノの声ははっきりとシライの耳に届いた。
シライとクロノには土地勘がない。周囲の声から、爆発したのはスタジアムだと知る。
シライはポケットの中のクロホンに呼びかけて、今日はプロ野球の試合が行われているという情報を仕入れる。同時に、スマホンがクロノに向けて交通状況を読み上げる声を聞く。
「……いや、いい。ここから出ろ」
周囲の目が遠くスタジアムの火災に注がれているのをいいことに、シライは堂々とクロホンを取り出した。
正面に浮かんだクロホンと目を合わせて、記憶するだけして使ったことのない緊急コードを口にする。
「現地点を臨時の転送拠点と定める。緯度三四度四二分十九秒、経度百三五度二九分二三秒、二一〇一年六月二十三日、二十時三十八分。責任者はシライ。派遣する巻戻士はクロノ。難易度は仮にA級と定める。……クロノ、下準備なしのクロホン単体の転送能力なら一時間前が限度だ。あそこまで辿り着いての爆弾の解除、できるな?」
「できる」
「よし、任せる。……おまえが帰ってきたら、話したいことがある」
「それ死亡フラグだよ」
クロノは笑った。
クロホンとスマホンの間で二、三の会話が交わされて、最後にクロホンがクロノを激励する。おれが言いたかったのに、というシライがクロホンに向けた視線は見事にスルーされた。
「行ってくる。待ってて」
シライが返事をする前に、ノイズと共にクロノが消える。
拠点モードになっているクロホンはシライ以上に動けないから、シライは今完全に一人だ。現況を本部に伝えるべく、個人の端末に入れた秘匿回線に接続するためのアプリを起動する。クロノの帰還は、展望台の営業終了時刻までには間に合うだろう。
「すっかり待つのが得意になっちまった」
シライはポケットから指輪を取り出す。
巻戻士になってから初めての長期休暇を取って、ブラジルまで掘りに行ったアレキサンドライト。一度もクロノの前に出せていない婚約指輪の宝石は、展望台のライトアップの光がLEDなおかげでクロノと同じ青色をしていた。
- 投稿日:2024年9月16日
- これね、ギャグの予定でした。爆発オチにしたら何でもギャグになると思ってた。分かっちゃいたけど再確認。ギャグって難しいわ。