防災訓練

バカップルです。

「おじさん! 話がある!」
「なんだよ突然」
 クロノがアポイントメントなしに訪問してくるのは珍しい。
 いつもならプライベートの端末に『今から行っていい?』というメッセージが来る。もちろんシライが断るはずもなく、即座に『待ってる』と打ち込んで、さして散らかってもいない部屋を片付けながら待つ。クロノが部屋に来るまで落ち着かなくて、用意したクッションを部屋の中で移動させまくるから、会合は毎回シライの部屋ながら、座る位置は決まっていない。
「これお土産」
「なんだよ、行ったの近所だろ。いちいち気にすんなよ」
「渡す名目で会うつもりだった」
「んじゃ、しゃーねえな」
「おじさん照れてる?」
「そりゃ照れるだろ」
 シライもクロノも、互い以外と出かけるときは誰とどこに行くかを言っている。
 なんせ初めての恋人だ。どの程度まで情報を共有するべきかというのを、思いつく最大値から始めて擦り合わせている最中だ。手始めにインストールしたカップルアプリの位置情報共有機能は、二人共ほぼ本部にいるせいで意味がなく、容量とバッテリーの無駄ということで早々に廃止した。
 クロノは今日、歳の近い巻戻士たちと交流会という名目で遊園地に行っていた。
 クロノを部屋に迎え入れたシライは、改めて己のセンスの良さを実感した。
 今日のクロノはシライがプレゼントした服を着ている。参加者リストと共に『買ってくれた服、他の人と会うときにも着ていい?』と書いてきたのに『当たり前だろ』と返したシライだったが、クロノと同世代から見てどうだろう、と昼頃から時間差でそわそわしていた。
 だが今は自信を持って言える。間違いなくクロノに似合っている。最高に格好いい自慢の彼氏だ。
 シライが勧めたクッションを腕に抱き、クロノは床に直座りする。
「『別れる』って知ってた?」
「は? 話が見えねえ。ちゃんと順を追って話せ」

 そこからクロノが話した内容にシライは驚愕した。
 好き合って付き合い始めたカップルが、関係を解消することがあるというのだ。

「嘘だろ……聞いたことねえぞ……」
「おれも初めて聞いた。パニックになるから伏せてるんじゃないか?」
「おれの立場で手に入らない情報あんのはおかしいだろ。隊長に聞いてみるか?」
 シライは組織の大人代表であるゴローを思い浮かべた。
 シライは年齢だけなら大人だったが、単純な利害だけではない、感情も絡んだ人間関係となるとひよっこと言っていい。付き合う、付き合わないという話ならゴロー以外にも頼れそうな顔が思い浮ぶが、こうも複雑な事態となると、ゴローに相談することこそが最適解であるように思える。なんせゴローは巻戻士の創設者なのだ。
 シライの提案に対して、クロノは「いや」と首を振った。
「嘘をついてる感じじゃなかった。そうなる確率は少なくとも、あると想定して動いたほうがいいと思う」
 顎に手を当てて考えていたクロノは、きりりとした目をシライに向けた。
 シライもクロノと同じ考えだった。
「今知れたことは幸運だった。直面に備えて訓練するぞ」
「分かった。じゃあおれが『別れよう』って言うから」
「待て、仮定でもつらい。最悪を想定するのが肝要でも寛容になれねえ」
「おれだって嫌だよ。でも仕方ないだろ。おじさんが言う?」
 何てことを言うんだ、とシライはクロノを見た。
 クロノが叱られた犬のように申し訳なさそうな、それでいて辛そうな顔をする。
 シライとクロノの交際は、クロノの告白から始まった。この情報を持ち込んだのもクロノだ。恐らく、始めた責任を取るつもりなのだろう。どこまでも格好いい男だ。シライは本日二度目の「俺の彼氏は最高に格好いい」を思った。
「……手、握ってていいか」
「うん」
 シライがずいと差し出した手をクロノが取る。
 ぎゅっと互いに握り合って、呼吸を揃える。
「言うぞ」
「ああ」
「……別れよう」
「嫌だ」
「うん、おれも嫌だ。別れたくない」
 シライとクロノは二人揃って溜め息をついた。
 たったこれだけのことで、手のひらはじっとりと嫌な汗をかいている。
「……好きだ、クロノ」
「おれも好きだ」
 シライとクロノは互いに頷き合った。不安は解消されたというのに手を離し難くて、どちらからともなく指相撲を始める。いつも通りシライが勝ったところで、ようやく手を離した。
「この訓練、どれくらいの頻度でする?」
「この一回で十分だろ。想定が実情に沿うてねえ」

投稿日:2024年9月19日
めちゃくちゃアホな話を書いてしまった……