ワークフロー
「なんだよ、ドアは開けるためについてるんだろうが」
シライはドアを開けるなり突き刺さった、なぜ開けたと言わんばかりのゴローの視線を受けて気色ばんだ。新人なら凍りついて動けなくなるような睥睨に怯むことなく部屋に入ると、丸裸でクリップすら留めずに掴んできた書類の束をばさりとゴローの机に載せる。広げた資料の上だろうがお構いなしだ。
「始末書。車一台と外壁と、あとなんだ、ハシゴの親玉みたいなやつ」
「送電塔だ」
「そうそれ。書いたら正式名称忘れちまった。……隊長、期限内の提出だってのに機嫌悪ぃな」
「おまえの顔を見るまではもう少し良かった」
「おれのせいだってのか」
反省を欠片も声に含ませることなく、完全に開き直った態度でシライは言った。
「他に思い当たる原因があるのか?」
「そりゃあ色々あるだろ。腹が減ってるとか歯が痛ぇとか」
「……おまえの健康診断の結果だが」
「おい待て今その話すんのはズルだろ。なんで隊長はおれと二人になると小言ばっかなんだよ」
「人前で叱られたくはないだろう」
「それはそうだけどよ……」
シライの言葉が途切れたところで、ゴローはシライの始末書を引き寄せた。
ぱらぱらとめくって形式に則って書かれていることを確認し、端を整え机の端に置く。巻戻士の任務の事後処理は、時空を跨いでいるせいでより複雑だ。片手間に見られるものではなかった。
「……シライ、おまえは私物から業務用端末へのデータ転送について、申請を出しているな」
「あれ隊長のとこ行ってんのか」
シライは目を丸くした。
「たかだかパソコンの壁紙変えるだけじゃねーか、隊長のとこ行くほどの話じゃねえだろ。担当が入院でもしてんのか?」
「却下だ」
「なんで。つーかおれこれ再申請のときも書いたよな。客観性のある却下理由を言うべきじゃねーか?」
「再申請の理由が『なんで?』で通ると思っている人間に伝えるべきことはない。そもそも担当部署からは説明があったはずだ」
「セキュリティ上の理由だろ。何が危険なんだよ。ただの写真じゃねーか。クロホンに安全性をチェックさせたっていい」
特例を認める煩雑さはシライとて知っているが、申請の件数が増えるならチェック体制を自動化させれば済むことで、そのためのAIだ。網の目を掻い潜られる不安なら今だってある。
「……念のために聞くが、どういうデータだ? 今ここで説明できるか?」
「サンプルついてなかったか? これもセキュリティ上の理由ってやつで途中で分離されてんのか?」
「どういうデータだ?」
「クロノの写真」
威圧するように再度問いかけたゴローは、シライの返事を聞くと、肺の中の空気を吐き切る勢いで溜め息をついた。まさか言うとは思わなかったという、呆れというより落胆に近い思念が、ゴローの全身から陽炎のように立ち上っている。
「……フォトフレームの持ち込みなら条件付きで認められる」
ゴローは頭を抱えたいところを拳を握って堪え、絞り出すように言った。
「はがきサイズって言うつもりだろ。そうは問屋が卸さねえ」
「それを決めるのはおまえの仕事じゃない」
「隊長って好きな人とかできたことねえの?」
「ノーコメントだ」
短い沈黙だった。
シライがポケットに手を入れたのは無意識に手をやりがちな刀の鞘を掴まないためで、ゴローが机の上で両手の指を組んでいるのも似たような理由だ。双方ともに敵意も害意もなかったが、ポーズで示しておくに越したことはない。
膠着した場を動かしたのは、執務室のドアをノックする軽い音だった。
「失礼します」
ドアを開けたのは、知らないところで渦中の人となっているクロノだった。
クロノは部屋の中にいたシライを見て意外そうな顔をしたが、口には出さずに軽い会釈で済ませ、持ってきた角2の封筒をゴローに差し出す。
「待てクロノ」
取り込み中と思ったか、即座に踵を返したクロノをシライは呼び止めた。
「外で待っててくれ。一緒に飯食おうぜ」
「ごめん、もう済ませた。この後訓練室の予約入れてるんだ」
「そうか。じゃあまた今度な」
「うん」
ドアを閉めるクロノが残した「失礼しました」の余韻にたっぷり浸ってから、シライはゴローの顔に視線を戻した。
この場でゴローの認可が下りることはまずない。シライは一旦退散して申請し直しても構わないつもりだった。仮に再申請封じとして却下も差し戻しもされずにゴローの手元に留め置かれたとしても、返事がもらえるまで督促し続けるだけの気力がシライにはある。たった今ゴローがした回答は、口頭であるために証拠が残っていないからノーカウントだ。
別にクロノと任務に出たいなどと言っているわけではないのだ。
もちろん行ってみたい気持ちはある。シライならクロノの巻き戻し回数に付き合うことができるし、クロノならシライが同道していようがシライの顔を窺うことなく自分の判断で巻き戻しできるだろう。だが、シライはそれをゴローに進言するつもりはなかった。
「分かるだろ、隊長」
「寂しさは理解するが、クロノの前で言えないようなことをするな」
「別におれはクロノに言ったって構わねえ。隊長のお気遣いを無下にするのは気が引けて黙ってただけだ」
「……クロノはいいと言っているのか? おまえたちは交際を公にはしていないだろう」
「クロノには聞いてねえ。つーか言ってないだけで隠してるわけじゃねえよ。それこそ結婚でもしたら言うけどよ」
「恋人に見せる顔を他人に知られたくないということもあるだろう」
「なんだ隊長、経験談か?」
「一般論だ」
「別にそんな――」
言いかけたシライの頭の中で、ぐるりとクロノの様子が駆け巡った。
クロノがアカバやレモンに接するときの態度は、シライに対するものとは違う。細かく見ていけばアカバに対するときとレモンに対するときでも異なるし、クロノは二人の前でシライに会うときは若干よそよそしくなる。恐らくは身内意識の発露で、恋人だからと言うには語弊があるが、クロノに二人きりのときにしか見せない顔があるというのは確かにそうだ。
「それにずっと同じ写真というわけにもいかないだろう。都度申請を出す気か?」
「……確かに疲れてくると刺激が足りなくなるもんな……」
シライは増え続けるカフェイン量には覚えがあるし、デスクに突っ伏して寝落ちたとき、目覚めてから机周りの惨状に驚いた記憶もある。栄養補助食品というものはどうして一個一個が小袋に入っているのだろうか。健康診断の結果はゴローに責任の一端があるように思う。
シライは口元に手を当てて考えた。
申請の面倒も認可までのタイムラグもなく、新鮮なクロノを摂取する方法が必要だった。
「……隊長」
「なんだ?」
「寮でクロノと同棲するってのは隊則違反か?」
「おれに規則を増やさせるな」
- 投稿日:2024年10月12日
- クロホンで撮ればいけるんでしょうか。シライは今はもう任務出てない気もするんですが、今回は出てるパターンで。