自由航路

「レモン。今いいか」
 シライが呼び始めた「レモン」という愛称はいつの間にやら定着して、立場上愛称で呼ぶことを避けていたゴローも、周囲に求められて呼び方を改めた。ゴローがレモンの名前を口にするとき、意識に「LM‐1」という音がかぶさらなくなったのは最近のことだ。
 身長差から生じる仰俯角を緩やかにするために、レモンと会話するときは他の者と会話するときよりも距離を開ける。いっそ座って話せばいいのだろうが、本腰を入れるほどの内容ではない廊下での立ち話はいつもよそよそしい。
「その髪飾りはどうした?」
「もらったの」
 ツララ山の任務は特殊な事例だったが、巻戻士の任務の記録を等速で追おうとすれば非常な時間がかかる。レモンが提出したデータをコンピューターに解析させても、忽然と現れた髪飾りに関する情報は見当たらない。スマホン側のデータでも、レモンは任務完了時点では髪飾りを付けていなかった。
 現地調達した衣服や付着した植物の種などのやむを得ない場合を除き、赴任先の時代のものを持ち出すことは禁止されている。レモンの髪飾りは見たところ特殊なものではなく、帰還時のスキャニングでも異常は発見されなかったが、組織の責任者としては確認しておく必要があった。セキュリティチェックに限らずほとんどの定常処理が自動化されている本部でも、人間の仕事というのは完全にはなくならない。
「誰にもらった?」
「ユキ。わたしの友だち」
 ゴローはミッションの渦中にいた少女を思い浮かべた。救出の対象ではないながら、レモンの、そしてクロノの任務で多くの時間を共にしていた少女だ。レモンが二十一年間も足踏みをした直接的な原因はクロックハンズにあったが、間接的にはユキという少女が関わっており、むしろレモンの行動要因という点ではユキを原因とする見方の方が優勢だ。
「大切なものか?」
「とても」
「それなら形状と組成のデータを取っておけ。破損時の修復に必要になる」
「……」
 いつもならばすぐに来る返事がない。レモンの計算速度はゴローが知覚できるものではないから、ゴローが気付くだけの沈黙は不自然だった。
「再生成した髪飾りは、ユキのくれた髪飾りなの?」
 再接合による修復が難しい場合、レモンの機体は部品交換によって修復される。日本政府による製造のため詳細はゴローの預かり知るところではなかったが、レモン本人のパーツを分解して再生成したリサイクルパーツも存在するという。
 呼び名を変えたからと言って、LM‐1とレモンの同一性は失われない。LM‐1は機体と人工知能の両方が揃っている状態を言うものだが、仮にレモンの機体が全損して、一時的にモニター越しにしか話せなくなったとしても、ゴローはそれをレモンとして認識するだろう。
「……物は壊れるし、小さな部品というのは失くすものだ。毎日見ているものでも、いざ組み立て直そうとすると案外細部までは覚えていない。紛失や破損をしないよう本部に残して任務に行くか、付けていくかはおまえの判断だ」
「質問の答えになっていない」
「そうだな」
 ゴローは溜め息をつきたい気持ちを堪えた。
「前言は撤回する。……大事にしろ」
「分かった。行っていい?」
「ああ」
 ゴローは立ち止まったままレモンの小さな背中を見送った。
 先のことを考えすぎるのは、同様の事例を繰り返したことがある大人だからだ。時空警察も日本政府も絡まず、レモンの判断だけで動かしていいものが手に入ったのだ。それも友だちの思い出という掛け替えのない記憶と共に。今はテセウスの船について考える場面ではない。
 目に映っているのは初めてプレゼントをもらった少女なのだ。

投稿日:2024年9月24日
ハイド戦のゴローの回想に出てくるレモンがすごくかわいい。