実用品

シンさんのネタをお借りしています。

 きっかけは海外ドラマのワンシーンだった。
 追っている事件の手掛かりを得るために、主人公の刑事がナイトクラブに赴いて、界隈を仕切るマフィアでもあるオーナーに接触を試みる場面だ。
 ナイトクラブの様子は作り込まれていたが、あくまで舞台装置、背景だ。主人公の視線もカメラも、下着同然の衣装を纏ったフロアスタッフには向けられない。淡々と流されシライとしては気になるものではなかったが、クロノはそうではなかったようだ。
「こういうの苦手か?」
 隣り合って座ったフロアソファの上、触れ合わせた肩からクロノの緊張を読み取ったシライは、からかうつもりではなく情報収集の一環として尋ねた。
 クロノが小さい頃ならシライも見せる種類を選んでいたが、近頃は気にしなくなって久しい。フィクションの展開よりも現実の恋人の反応の方が大事である。試しに頼んだ料理が口に合わないか確かめる、それぐらいの感覚だった。
「裸みたいで落ち着かない。普通の服じゃだめなのか?」
「こういうのは雰囲気だからな。非日常感の演出ってやつ」
「好きじゃない人の裸なんか見ても仕方ないだろ」
 シライはクロノの師匠だが、道徳教育は守備範囲外。つまりクロノの発言は、クロノの出身時代の教育の賜物、あるいはクロノ自身の感性によるものだ。
 シライがリモコンに手を伸ばすとクロノは首を振る。鑑賞は続行だ。テレビの中ではオーナーの女が凶器じみた爪をひらめかせながら、際どい格好のウエイターからグラスを受け取っている。使命感に燃え、情熱ばかりが先走る青二才の主人公は、海千山千のオーナーの老獪な返答に苦い顔だ。
「じゃあおれが着るなら興味あるわけだ」
 あの手の下着試したことがあるな――とシライは男の尻を見ながら思った。動きやすさよりも無防備さが気になって一度でやめてしまったが、捨てた覚えがないからまだタンスに入っているはずだ。
「ある」
「だよなぁ……え?」
「興味はある。おじさん着てくれるのか?」
「お……おう」
「いつ?」
 クロノの瞳に映るテレビの光を見ながら、シライは目を見張った。
 シライの想定では「そうは言ってない」というのがクロノの答えだった。クロノの何でも試してみる性質と、思い切りのよさは知っていたはずなのに、愛弟子兼恋人が隣にいる幸福に気を取られて、先読みが疎かになっていたらしい。
 いつ着るか。何を着るか。
 通販で買うのか。一緒に買いに行くのか。
 今すぐ着るならタンスの肥やしのパンツ一択、後で着るなら実行日を決める必要がある。それまでの間にクロノが飽きたらお流れ。シライのタンスに人に見せられない服がまた一枚増えることになる。
 動画配信サービスにCMなんてものはない。ドラマは切れ目なく続いていたが、クロノの興味は完全にシライの方に向いていた。
「……まんまのはないけど、似た下着なら持ってる」

 衣装持ちではないおかげで、目当てのものはすぐに見つかった。
 ジョックストラップと呼ばれる陰部を固定するサポータータイプの下着で、決してやましい目的で買ったものではないながら、発端のせいで扇情的な形状に思える。新品ではなく、一度下着として使ったことがあるから余計にだ。
「あった?」
「……あった。着替えたら呼ぶからテレビ見てろ」
 シライは爛漫とした瞳を向けてくるクロノに指示を出したが、ソファの背もたれに顎を預けたクロノはシライから目を離さない。
「なんでだ? おじさん普段そんなの気にしないだろ?」
「見られて楽しいもんじゃねえんだよ」
「ふーん、分かった。じゃあ終わったら呼んでくれ!」
 シライは映像をヨーチューブに変えたらしいクロノに背を向けて、タンスの奥から引っ張り出してきた下着を広げた。
 股間を覆うための布と、ウエストと尻に渡して固定する太めのゴムベルト。尻に食い込むのは痛そうだという理由でTバックじゃない方を選んだが、尻をベルトで持ち上げられるのもそれはそれで落ち着かなかった記憶がある。
 ズボンとパンツは脱ぐとして、靴下を履いてるのはまぬけじゃないか? となるとパーカーも脱ぐべきか? タンクトップは着ててもいいか? おれ今までクロノとヤるときどういう風に脱いでたっけ?
 次々に出てくる疑問符を頭の中で散らかしながら、シライはズボンとパンツを脱ぎ、ゴムベルトの間に足を入れた。足を通す場所はどうやら合っていたらしく、股間の位置に来た股布の中に竿と玉を収め、ベルトを尻の肉に沿わせて整える。手探りの作業に不安はあったが、鏡の所まで行く気力はなく、体をひねって目視で済ませた。
「……クロノ」
「できた?」
 ぱっと振り向いたクロノの嬉しそうな顔と声は、まるでご飯ができたと聞いたときのようだった。シライの罪悪感が羞恥心を振り切って急上昇するのも知らず、ソファの背に腕を乗せて身を乗り出したクロノはこてんと首を傾げる。
「なんで服着てるんだ?」
「そうだよな!」
 シライはパーカーの裾に手を掛けた。ズボンは脱いでいたが、ドラマの再現なんだからパンイチが正解だった。日和るべきではなかった。
 パーカーをタンクトップとまとめて脱ぎ捨てたシライのやり切った感は、ほんの一瞬しか保たなかった。コスチュームプレイのコの字もない、至極真面目な顔をしたクロノの視線に晒されて、破廉恥な格好をしている現状が心臓をちくちくと針のように刺してくる。クロノの表情が変わらない一方で、つけっぱなしのテレビからはヨーチューバーの大げさなリアクションが聞こえてきた。
「これは……恥ずかしいな」
「……そだな」
「ああごめん! おじさんの格好が恥ずかしいんじゃなくて!」
 クロノは慌てたように手を振って、答えを探すべく視線をうろつかせる。
「なんだろう……家を出てから靴下が左右違うことに気付いたみたいな……解決方法は分かってるけど実行できなくて、どうしようって感じ……?」
「それはおれの格好が恥ずかしいってことじゃねえか?」
「そうかも……」
 シライが言うと、視線をシライに戻したクロノは素直に頷いた。諦めの境地に入っているシライは頷き返す。
 見慣れようとしているのか、クロノはシライをじっと見る。見慣れるべきものは股間にしか纏っていないから、必然的に視線はそこに向けられることになる。シライとしては落ち着かない。審査会の壇上よろしく突っ立って、平静を保とうとしていたが、すぐに馬鹿らしくなった。
 シライは脱いだ服を拾い、ソファを回り込んでクロノの隣に腰を下ろした。盛り上がったときにベッドに行かなくても済むようにソファにはカバーを掛けてあるから、尻が生だろうが気にする必要はなかった。
 自分の裸にだけ興奮するクロノというのはお預けというわけだ。クロノはジョックストラップを「エッチな下着」とは認識していない。うっかり自分だけスイッチが入ったら大惨事だ。
 これまでの経緯をなかったことにしたシライがテレビのチャンネルを変えると、クロノの視線も自然とそちらに向かう。クロノはシライが裸なのを気にすることなく、元のように肩を寄せてくる。
「なんでおじさんそんなの持ってるんだ?」
「運動するのにいいって聞いて、試しに買ったんだよ」
「よかった?」
「ケツが丸出しなのが気になっちまって一回しか使ってねえ。上からズボン穿くから関係ねえっちゃねえんだけどよ」
「丸出し」
「おう。ほら」
 シライは体を傾けてクロノに自分の尻を見せた。股布を支えるベルトは腹周りと尻たぶ周りを走っているが、尻そのものの部分はガラ空きで、肌が露出した状態になっている。ベルトの間に何もないと示すために尻のゴムベルトの下に指をくぐらせみょんと引っ張ると、クロノは目を丸くした。
「風呂入るときも落ち着かねえし、いつもので足りてるからいいやってやめたんだよ。元々そんな気になってなかったしな」
 こうしてネタにできたんだから元は取れてる。
 シライは体を傾けたついでにズボンを穿いてしまおうと思い立ち、持ってきたもののソファの脇に放っていた服を取り上げる。
「……クロノ?」
 この際パンツはこのままでいいか。ズボンを穿こうと背を屈めたシライは、黙りこくっているクロノの顔を屈んだ姿勢のまま覗き込んだ。さっきは無反応だったクロノの顔が、難問にぶち当たったような真剣なものに変わっている。
「どした? 腹でも痛いか?」
「おじさん、それで風呂に行ったのか? 大浴場に?」
「そりゃ行くだろ。……言っとくけどこれ普通に売ってるやつだからな? 別にやらしいやつじゃねえぞ?」
 公然わいせつ罪の文字が頭に浮かんだシライは弁解した。ジョックストラップに着替えるときに抱いていた期待は完全にしぼんで、残っているのは恥ずかしさだけだ。
「二度としないでくれ」
「分かってるよ。もう着ねえ。今日で捨てる」
 手を握って言い聞かせんばかりの顔でクロノに言われて、シライは深々と頷いた。足を通しかけたズボンを置いて、クロノの背中をポンと叩く。
「心配すんなよ、な?」
 安心してほしい。シライがそう伝えるつもりで自分より遠い側のクロノの肩に手を回すと、顔を上げたクロノはじっとシライを見返した。
「おじさんおれが何を気にしてる分かってる?」
「おれが公序良俗に反することだろ。隊長に何聞いたか知らねえけど、おまえが弟子入りしてからは落ち着いてんだぞ」
「……」
 なおもクロノにじっと見られて、シライは首をひねりながら自分の胸に手を当てる。さらにはもう片方の手も加えるが、クロノの眉間の皺は深まるばかりで、シライは溜め息をつきながら両手を離した。
「ああ、はい、分かりましたよ。おれだっておまえがおんなじことしてたら心配する。考えすぎとは言わねーよ」
「分かったならいい」
「まったく愛されてるったらねーな。とぼけるがねえよ、好きだけに」
 シライは穿きかけていたズボンを足だけで脱ぐと体を反転させ、膝立ちでクロノの膝を跨いだ。部屋の圧迫感軽減のためもあるが、こういう使用場面での安全性を考慮した上でのフロアソファという選択だ。
「穿き納めってことで有効活用してくれよ。これ、脱がなくても色々できるから」
 シライはクロノの手を自分の後ろ、Tバックではないおかげで全く無防備な尻に導いた。

投稿日:2024年10月10日
元のツイートは『「くそっ・・・」とか言いながら自分からエッチな下着つけてベッドに寝転ぶシライ』というものだったのですが、例のごとく全然違うものができました。なぜだ……?