無断入居者
「わしの勝ちじゃ。今回は惜しかったのう」
「アカバ」
「もうやらんぞ、これで終わりの約束じゃ」
アカバは落胆もあらわに眉を下げるクロノの顔を見ないようにしながら、自分の言葉を念押しするように将棋盤から駒を回収していく。
「なんでわしを誘ったんじゃ。スマホならいくらでも付き合うてくれるじゃろ」
「スマホンとするのも楽しいけど……アカバとやりたかったから」
箱の蓋に貼られているのはレクリエーションルームの棚番号で、クロノがこのためにわざわざ借りてきたことが窺える。アカバが駒が入った箱をクロノに差し出すと、クロノは受け取った箱を畳んだ将棋盤の上に載せた。
「スマホのやつはおまえに合わせそうじゃからな。勝敗が均等になるようにするじゃろ」
思い当たったアカバが言うと、アカバの背後、クロノのベッド脇のサイドボードで充電されているスマホンが、ギクリと体を強張らせた気配がする。見えているはずのクロノにスマホンの反応を気にした様子がないのは、スマホンの調整に気づいていたからだろう。
クロノの勝負事に対する姿勢は、アカバから見れば不思議なものだった。
ひたすらアカバの挑戦を断るから勝負事が嫌いなのかと思えばそうではなく、食堂のど真ん中で腕相撲が繰り広げられていたとき、声を掛けられたクロノによってアカバまで輪に引き入れられた。真剣勝負は受けないくせにゲームの類には度々誘ってくるし、スポーツなんかでも当然という顔で頭数に入れてくる。思い返してみれば、ろくに話したこともないレモンとキャンプに行くことになったのもクロノの差し金だった。
クロノは散々人に付き合わせるくせに、アカバが一番やりたいことには乗ってこない。これは少しばかりではなく、完全に不公平だ。
アカバは将棋でこれだけ勝ち星を付けられるなら、勝負を受けることを敗北時の条件として付けておけばよかったと思ったが、今さらどうにもならない。入隊試験から格段に上がっているだろう今のクロノの実力は、また別の機会に確かめるしかなかった。
「将棋セット返してくるついでに飲み物買ってくる。アカバは何がいい?」
「なんじゃ……」
返すのなんか後でいいじゃろ、と言おうとしたアカバは、対局が終わった今、クロノの部屋に用などないことを思い出した。暇なときに一緒にいることが恒常化しつつあるせいで感覚にずれが生じている。
「……なんでわしがおまえの部屋の留守番をするんじゃ。わしも行く」
「それなら食堂まで行こう。あそこが一番種類が多い」
「仕方ないのう」
立ち上がるアカバを見るクロノは何となくうれしそうだ。散歩に行く前の犬を連想するような、それでいて静かなクロノの様子に、そしてそのささやかな変化にかき乱されている自分の胸に居心地の悪さを感じながら、アカバは先に戸口に向かう。間取りは自分の部屋と同じで、そうでなくとも何度も訪ねている部屋だ。間違うことはなかった。
別にこのまま自分の部屋に戻ったって構わないのだ。すぐ隣にあるのだし。
靴をつっかけたアカバは、肩越しにクロノを振り返る。アカバが振り返った理由を知らないクロノはアカバが一緒に来ると信じ込んでいて、伴われてきたスマホンもクロノと似た表情でアカバのことを見つめている。
「忘れ物か?」
「……いんや、なんもない」
行かない理由を考えるのが面倒だ。きっとクロノは「やっぱりやめじゃ」と伝えても「そうか」とだけ言って一人で向かうだろう。それから、アカバの分を買ってきたと言って部屋のドアを叩くのだ。
アカバはクロノがすっかり自分の頭に住み着いているのを自覚して顔をしかめた。
勢い、大開きにドアを開ける。自分のためと思ったクロノが礼を言うのが耳で聞く前に分かって、地団駄を踏みそうだった。
- 投稿日:2024年11月2日
- スパークでお話しした名前を入力してくださいさんがスケブ代わりに小説を書いてくださるとおっしゃったので、私も書きますよ!と言った産物です。味が……薄い……