後悔なき航海

以下のものが含まれます。
  • ショート動画ネタ。船乗りのシライ×ドードー鳥のクロノ
  • シライからクロノへの合意のない身体接触
  • 歴史、生物学的に不正確な描写

「クロノ」
 自分の部屋のドアを開けたシライは、奥に佇む鳥の姿を見つけると、驚かさないように呼びかけながら歩みを進めた。
 飛べないのも納得の丸みを帯びた体、両脇に備わったばたつかせる他に使い道のない小ぶりの翼。床を踏みしめる足に水かきはなく、試したことはないが泳げもしないのだろう。青灰色の羽毛は顔周りには生えていないから、人間が前髪を短く刈り込んだようにも見える。
 クロノというのはシライが付けた愛称だった。

 シライがクロノの棲む島を訪れるきっかけは、シライが任された船団のうち、嵐ではぐれた後に合流した一隻から、奇妙な鳥がいる島に着いたという報告を受けたことだった。島には水場と自生している果物があり、船の修繕を済ませて出立するまでの期間に調査した限り、人が住んでいる様子はないという。
 先行した船団の航路を元にした大まかなプランこそあるものの、航路としてはまだ確立していない道をゆく、商船隊ながらも冒険要素の強い航海だ。次回のためにも、周囲の島々の情報は必要だった。シライは帰路に立ち寄ることを決めた。
 鳥は茂みにいたという話だったが、日光浴でもする気だったのか、シライが島を訪れたときには浜辺で群れていた。近づいても逃げるどころか警戒する様子すらなく、捕まえて持ち上げてみても泰然とした態度を崩さない。シライはその鳥の堂々とした姿に感銘を受けた。
 航海の主目的は達成した。天候に恵まれ、航路の選択も正しかったらしく、船員の損耗も先遣隊より大幅に少ない。現地の商人との交渉も成功裏に終わり、山ほど積んだ船の積み荷は換金を待つばかりだ。
 それでも、肝心の帰国は確約できていない。
 風と波の機嫌が悪ければ、帰国は何日だって伸びるだろう。
 余計な食い扶持を増やせない中で食っても美味くない鳥を連れ帰ったのは、久しぶりに触れた温かな生き物を手放しがたくなったからだ。

 シライはいつも通りのマイペースさを貫いているクロノのそばに腰を下ろした。
「もうすぐ港に着く。そしたら果物を買ってきてやるからな」
 隣に座るシライの存在に気づいているのかいないのか、ぬぼーっとした様子のクロノの立ち姿に危ういところはない。船に乗せたばかりの、ささいな揺れにすらよたついていた頃とは大違いだ。
 シライはクロノの体に手を伸ばした。濡れてもないのにしっとりとして柔らかい背中を数度撫で、くるりと丸まった尾羽を指を絡めて伸ばす。尾を構成している白い羽毛は他のどの羽とも違う手触りで、この羽根だけ詰めた枕があればどんなにいいだろうと思う。
 何の気まぐれか、クロノがぬぼーっとした顔をシライの方に向けた。
 シライは驚きながらクロノのつぶらな瞳を見つめ返す。
 生憎シライは今、クロノに食わせてやれるものを何も持っていない。警戒心も何もなく手のひらから餌を食う姿が可愛くて太らせてしまい、司厨長に希望する調理法を聞かれてからは、餌をやりすぎないように気を付けている。
「クロノ?」
 シライはクロノの首から頭をそろりと撫で上げ、嫌がらないことを確かめてから、太いくちばしに触れてみた。クロノはいつだって反応らしい反応をしないから、硬いくちばしに感覚があるのかは定かではない。
 クロノは目を細めるように数度瞬き、目を閉じた。シライはクロノの丸い目を隠した薄い皮膚をまじまじと見る。
 クロノは夜に眠る。急な揺れで転がってしまわないよう、シライのベッドの脇に浅い木箱を固定してある。そこに収まるときは足を腹の下に仕舞っているから、今のは眠っているわけではないだろう。シライは前髪のようになっているクロノの額の羽毛をそっと撫でる。
 再び目を開けたクロノはシライに興味をなくしたのか、それとも元から興味などなかったのか、何事もなかったようにシライから顔を背けて移動を始めた。
 爪が床を擦る音をさせながら歩いて行くクロノの後ろ姿を目で追ったシライは、その場に残された糞に気がついた。


   ◇


 市場は喧騒に満ちていた。
 商人自慢の品が山積みにされた荷台の間を縫って、大荷物の買受人や地元の者らしい人間が行き来する。遠目には通路に思えた空間には敷物が敷かれ、上には生活用品だか工芸品だか判らない珍妙な形の品が並んでいる。視界の端で揺れる鮮やかな色は売り物か、それとも行き交う人々の衣服か。
 店先に立った商人が張り上げる声。練り歩く売り子の呼び声。狭い路地の向こうから流れてくる耳慣れない音曲に呼応するように、シライのような寄港する船の乗組員向けに売られている猿や小鳥の鳴き声が聞こえる。混雑をものともせずに駆け抜けて行く子供の歓声はすぐまた別の音に掻き消され、息を吸えば人いきれに負けない香辛料の匂いが鼻腔をくすぐった。
 人だかり抜けて街路に出たところでやっと、シライは向こうの通りに目当ての店を見つけた。
 遠目にも色鮮やかな果実の山。黄色く熟したバナナに、太陽を照り返して輝くオレンジ色の柑橘類。先客が手にする赤はリンゴとザクロのどちらかだ。
 シライはザクロに苦い思い出がある。床に落ちている赤っぽくなったクロノの糞を見て、怪我をしたのかと大慌てしたのだ。最終的にはザクロを食わせたことが原因だと分かったが、土産に買った鳥が死にそうだと暗い顔をする船員に、次の港で新しいのを買うよう励ました過日が悔やまれた日だった。果実だけに。
「なあ」
 覚えている現地語のフレーズは多くない。シライが店員に声を掛けると、店員はシライに顔を向けた。入れ違いに去って行く買い物客もちらりとシライに一瞥をくれる。
 シライは自分が見るからに異国の船員と分かる出で立ちをしていることを知っている。言葉がまるで通じないのだから、値段の交渉含め、細かい問答なんかできっこないのだ。ここらの海域の勢力図は複雑で、シライの生国ではなく隣国の言葉が返ってくることもある。
「全部一個ずつくれ。支払いはこれで」
 出港の間際にクロノが気に入ったものを多めに積み込むと決めている。そのためには今のうちに色々試さなければならない。クロノのいいところはシライの食えるものを食うところで、シライはクロノが食べこぼしのビスケットの欠片を拾って食っているのを見たとき、これでこぼしても文句を言われなくなったと思った。
 柑橘類を一つ手に取った店員がシライをじろじろと見る。
 何だよ、とシライも店員を見返す。金はやったのだから冷やかしではないと分かっているはずだ。
 店員が何やら言いながら身振りで円を描き、たかる虫でも払うように売り物の果物を指す。店員が伝えようとしていることの意味を察する前に、シライが横手に立った気配に目をやると、空っぽの籠を手にした老婆が満面の笑みで立っていた。技術の違いなんかシライには分からないが、この街でよく売られている藁色やつだ。
「商売上手だな……」
 手ぶらで来たシライが悪いと言えば悪いのだが、相場が分からず老婆が立てた指の通りに支払ったシライは、受け取った籠を右から左で果物屋に渡した。


 青果だけに成果は上々。通りがかりに寄った店で食べた羊と豆の煮込みも美味かった。甘い匂いに惹かれて買った揚げ菓子をかじりながら、船に戻ってクロノのご機嫌伺いをしようと意気込んでいたシライは、路地を抜けたところで案内人を連れた部下にとっ捕まった。
 シライは他の船員のように海の上で役に立つ技能がない。だから陸に着いたときには人の倍以上に働かなければならない。シライの役目というのは交渉だの折衝だのという退屈で平穏な仕事ばかりで、腰に提げた刀はもう随分と長い間抜いていなかった。シライの腰の刀を儀礼用だと信じている数多の船員の命を預かる身では、敵船と鉢合わせて戦闘になることなど願ってはならないのだ。
 今回の休暇は、商館設立のため地固めをしている人間との面談の準備が整うまでという、期限付きの自由時間だった。調整に当たった部下たちはむしろ、シライを待たせていると思っていただろう。シライはもっと遊んでいたいという感情を胸の奥に隠し、果物を満載した籠を部下に託した。


 面談は先方の私宅らしい、中庭を持つ邸宅で行われた。気安いムードが演出にすぎないことは分かっているが、郷里を懐かしがる言葉までもを嘘とは思わない。現地で雇ったらしい使用人すべてに母国風の服を着せているのも、きっと里心がさせたことなのだろう。
 シライは通されたときには輝くばかりだった、今はすっかり夕闇に紛れてしまった中庭に目をやった。
 船に戻ったらクロノを砂浴びに連れて行ってやるつもりだったが、クロノはもう眠っているに違いない。それにシライは会合が終わった後、明日以降の動向を決めるために身内で話を詰めなくてはならない。
 航海中の役割がない人間はシライだけではない。責任者という立場上、船員たちと気兼ねなく雑談するなど夢のまた夢な状態で、会話に飢えてすらいるのに、いざ人と話せる場面となると腹の読み合いと算盤がセットになってくる。腹を割って話そうと笑いかける同盟者を疑って掛からなければならない自分の立場が、シライは正直なところ嫌だった。
 横手から声が掛かって、シライは顔を戻した。
 美しい庭だったのに見られなくて残念だという世辞を言えば、男が笑みを浮かべる。
 男に手で示されてもう一度庭を見ると、松明を手にした使用人たちが庭に明かりを灯していくところだった。男は庭を別の角度から見られる部屋に食事の支度をさせていると言う。
 シライはもてなしを断わるほど無粋ではないし、もてなしを受ける必要性も分かっている。同輩しかない空間で、毎日代わり映えのない冷えた飯に文句を言い、肘をぶつけ合いながら狭い食卓を囲んだ日が懐かしかった。


   ◇


 航海中の船には柔らかいものなど何もない。
 保存性第一のビスケットに、水分が抜けきったチーズ、水をケチったせいで戻りきっていない乾燥豆。干された肉も塩漬けの魚も、食うことは食えるが筋ばかりが舌に残る。寝床は塩水で洗うから硬くなる一方で、毛布は帆布と手触りが同じ。着たきり同然の服なんか、言わずもがなでゴワゴワだ。
 有事のときには船に乗っている全員が駆り出されるから、どいつもこいつも肉体労働に長けていて、頼もしさはあれども癒やしにはなり得ない。遺体を海に沈めて弔うときになって初めて、くたりと力も形もなくすらなら、手応えしかない体の方がマシだったと思う。その繰り返しだ。

 シライは羽毛の中に首を埋めるようにして眠っているクロノの背中をそっと撫でた。
 船の警備や修繕を担当する不運な船員は残っているものの、半数以上が出払っているために、船内は夜らしく静まり返っている。船の横腹を叩く波は穏やかで、呼吸のたびに体を膨らませたりすぼめたりするクロノの寝息が聞こえてきそうだった。
 シライが船に戻ったとき、行き合う船員の誰もが驚いた顔をした。時間も時間だ。陸で泊まると思っていたのだろう。上がいないうちに羽を伸ばしたい気持ちが分かるだけに悪いと思ったが、シライはねぎらいの言葉を掛けて自室に急いだ。陸にしかない洗いたてのシーツに包まるより、クロノに会いたかった。
 部下に預けた果物籠はまっさらなまま部屋の隅に置かれている。皮を剥かなければ食えないものばかりだから、クロノには摘み食いのしようがなかったのだ。すやすやと眠るクロノの飢えた様子のない体に、シライは深い安心を覚える。
「……おまえに埋もれてぇな。不毛な考えだけどな、羽毛だけに」
 鳥としては大きいながら、腕の中に収めてしまえるサイズ感。しっとりと手に馴染む青い羽。ぬぼーっとした顔に似合わず旺盛な食欲と、とくとくと脈打つ心臓が巡らせる血の温かさ。
 航海を終えて、家に帰って、クロノと一緒に暮らしたい。それは本国から出港するよりももっと昔、郷里を発つときにはなかった里心とも呼べる感情だった。

 起こしてしまったのか、目を開けたクロノは首を縮めたままシライを見た。
 折よく船室に月明かりが差し込んで、クロノの瞳を星のようにきらめかせる。
 茂みで暮らしていたクロノは日光に当たることにこだわりがないらしく、海上でシライが甲板に出してやればそこにいるものの、シライの部屋にいるときに太陽を求めて移動するようなことはしない。日の当たる場所にいるという決まりがないから、シライはいつもクロノの姿を探すことになる。
 起きているということは、もっと触っても平気だろうか。
 起こしてしまったという罪悪感はすぐに消え失せて、シライはクロノの体を抱き上げ、あぐらをかいた足の上に乗せた。縮めていた首を伸ばしてしまったクロノは、シライの置いた場所に身動ぎもせずに収まる。
 シライはクロノを寝かしつけるつもりで、クロノの背中を羽毛の流れに沿って撫でた。警戒か、別の理由か、クロノは首を羽に収めようとはしない。シライはどこを見ているのか分からないクロノの眉間の、ぴょいと飛び出た羽を親指で撫でてやる。クロノはぱちりと一度瞬きをしたが、それ以上の変化はしなかった。
「眠っちまえ。おれはおまえを食ったりしねぇよ」
 シライは近頃すっかりする機会のなくなった砕けた口調で言いながら、体を屈めてクロノの小さな丸い頭に口付けた。胸に生えている翼とは違う短い羽毛の集まりを探り、柔らかな腹の下に手を差し込めば、夜気とは無縁のぬくもりが伝わってくる。
 シライは思わず溜め息を漏らした。
 疲れか安堵か。溜め息の理由が分からないままクロノを抱き上げたシライは、未だ伸ばされたままのクロノの首元に鼻先を埋めた。飛べないクロノは足が地に着かないことが落ち着かないのか、水を掻くように一度だけ足を動かす。
 保存のいい木の実ばかり食わせているせいか、クロノからはナッツのような匂いがする。少し甘くて温かみのある、顔を離してしまえば忘れてしまうような儚い香りだ。シライはクロノの体温を感じながら匂いを嗅いでいるとき、安らぎを覚えるあまりそのまま眠ってしまいたくなる。
 クロノに顔を埋めたシライが、クロノの柔らかく弾力のある腹を思うままに撫でていると、クロノがビクッと体を震わせた。
「クロノ?」
 シライは持ち上げたままのクロノの顔を覗き込んだ。珍しくクロノの方もシライを見ている。いつもどこを見ているのか曖昧なのに、シライのことを見ていると感じられる目つきだ。
「どうかしたのか?」
 痛みでもあるのか。シライは患部を探し出すつもりでもう一度、クロノを腕に抱き込んだ上で腹の下を探る。
「お?」
 尾羽の方に向かう途中だった。シライが指先にくぼみを感じると同時、クロノは足をばたつかせた。
 短い翼を羽ばたかせようとしたらしい、が、シライの腕が邪魔になってできない。抱き込んだ腕に感じるのは心臓の鼓動とは違う、普段のクロノにはない生き物らしい抵抗だ。
「おいクロノ待て、暴れるな」
 シライはひとまずクロノを下ろしてやろうとする。すでにシライから視線を外しているクロノは、いち早く足を地面に着こうとして空を掻く。
「……ケツの穴か?」
 自分がどこに触れたのかに思い当たったシライは、クロノを床ではなく膝の上に戻した。片手でクロノの体を押さえながら、尻の羽毛を掻き分ける。
 指はすぐにぺたりと粘膜質な部分に触れた。クロノは何が起きているのか分からない様子で頭を左右に振っている。
「嫌なのか?」
 いつもぬぼーっとしているクロノが初めて見せる反応だ。シライが探り当てた粘膜の内側に指先を浅く入れ込むと、クロノは鳴き声を漏らしながらもがいた。攻撃性がまるでない爪がシライのブーツの表面をカリカリと掻く。
「…………」
 シライの頭の中にある欲求が形を持ちそうになったとき、邪念を打ち払うようにノックの音が飛び込んできた。返事をすれば、夜分の訪問についての謝罪と、報告したいことがあるという言葉が返ってくる。
「今行く。そこで待て」
 シライはクロノを膝から下ろして立ち上がった。


   ◇


 シライの手から果物を食うクロノは相変わらず無警戒だ。翼が短いせいで他の鳥より余計に露出している背中を撫でても、後ろの様子を確かめることすらしない。そのクロノも尻の穴を触られれば反応を見せるということを知って以来、シライの心はその穴に囚われていた。
 半分に割ったイチジクをやりながら、シライは首を傾けてクロノの尻を覗き込む。人間のように尻を拭く習慣があるわけでもないのに、クロノの肛門周りは汚れていない。シライは掃除してもいつの間にか部屋に落ちているクロノの糞を横目で見て、もう一度クロノの尻に視線を戻す。
 シライはクロノが雌雄どちらなのかを知らない。気にしたことがなかった。
「いてっ」
 目を離した隙にイチジクをすっかり胃に収めたクロノがシライの手をついばんだ。催促ではなく、果汁まみれのシライの手とイチジクの見分けがついていないのだろう。シライはクロノのくちばしを手で軽く掴んだ。
「これでしまいだ。太ったら司厨長にシチューにされちまうぞ」
 シライはぱっとくちばしから手を離し、言葉が通じないおかげで脅しを怖がりもしないクロノを抱き上げる。温かな重みが心地よい。
 あとは国に帰るだけだ。シライはクロノのひなたの匂いのする背中に頬を寄せた。

投稿日:2024年12月19日
公式YouTubeのショート動画「絶滅した理由が悲しすぎる動物3選」がすごくよかったです。ぬぼーっとしてるドードー鳥のクロノがたくさんいるのがいいし、シライの服のデザインもすごくいい。