筋肉痛

 エレベーターの扉に貼られた紙を見て初めて、クロノは今日がエレベーターの点検日であることを思い出した。告知は毎日見ていたはずだったが、一か月も前から張り出されていたせいで、すっかり景色の一部と化していたのだ。
 用があるのは三階上。エリアに二基あるエレベーターのうち片方は動いていたが、来るのを待ったり別のエリアに移動したりするよりも階段を使った方が早い。
 踵を返して階段室に向かったクロノは、階段の一段目に足を乗せた瞬間に内腿の痛みに気が付いた。
「なんじゃクロノ、変な顔して」
 階段を使う方が早いと思うのはクロノだけではなかったようで、丁度上階から降りてきたアカバが、一段目で足を止めているクロノを不審そうな顔で見る。
「……筋肉痛だ」
「おまえ昨日は休みじゃろ。いつも寝てばかりいるくせに、珍しく運動でもしたんか?」
「…………した。一時間か、それくらい」
「たかだかその程度で筋肉痛か! たるんどるのう! 任務でヘマせんか心配じゃ!」
「それはなんとかする」
 四六時中体を動かしているアカバでも筋肉痛の経験はあるらしい。クロノに意外さを覚える暇すら与えず、アカバはすたすたと軽い足取りで残りの階段を降り切ると、すれ違いざまにクロノに「筋肉痛には軽い運動をするとええぞ」と言い残していった。


「――というわけで、終わったらクールダウンのストレッチをしようと思う。おじさんも一緒にする?」
「……うん、どうしようかね。運動だけに」
 床にあぐらをかき、晴れやかな表情でシライを見上げてくるクロノに対して、椅子に座ったシライはいかにも悩んでいますというポーズで額に拳を当てた。
 昨日クロノがした「運動」とは、シライとのセックスだ。体位は正常位で、名前の通りにオーソドックス。別段アクロバティックな体勢を取ったわけではない。肛門性交は後背位の方が挿入しやすく腰への負担が少ないと聞いているながら、顔を見ながらしたいという二人の希望が一致した結果だった。
 受け入れられるものの、快感を得るまでは至らない。そんな状態で冷静さを残しているクロノが、どことなしに照れくさそうにシライを見る様子は大変好ましく、シライとしては挿入している間中、クロノに無理をさせないという大前提を頭の中で念仏のごとく唱え続ける必要があった。
「筋肉が衰えないよう定期的にやるのはどうだ?」
 終わった後はベッドでいちゃいちゃしたい。
 ここでクールダウンを認めると、クロノはきっちりクールダウン用のメニューを組んでしまうだろう。そう考えたシライは対案を出した。
 素っ裸のクロノの柔軟がてらのストレッチを目にして、自らの煩悩に耐えきれる気がしない。上手い具合に教育モードに入れる可能性もあったが、昨日の自分の様子を思い出す限り望み薄。真面目に体をほぐしているクロノに二度目を迫って、呆れられるのは御免被りたい。
「おじさんそんなにできるのか?」
「おい」
「だって筋トレとすると週に二、三回だぞ。おじさんそんな暇ないだろ」
 クロノはシライが気色ばんだ通りに「シライは頻回にセックスできない」という意味で言っていたがそこに悪意はなく、シライが勝手に含意を読み取っているだけだった。
 年齢差を気にしているのは自分ばかりなのだろうか、ともやもやとしながら、シライは目の前の問題に向き合う。毎日だってやりたいという欲深い発言は腹の底に沈めた。実際そこまでずっとムラムラしているわけではなく、クロノを抱いて寝たいというくらいの気持ちが大半だった。
「おれは暇だからやってるわけじゃねえ」
「気持ちいいからだろ?」
「……」
 気持ちいいから。それは確かにそうだ。だが、シライとしてはもっと即物的ではない理由を挙げたい気分だった。可愛い恋人に性欲一辺倒だと思われたくない。
「おじさん、自分が誘ったときのこと忘れたのか? 気持ちいいことしようって言ってたぞ」
「あー……言ったな」
 シライの記憶力はいい。クロノがリトライアイなしで記憶が保持できていた件はさておき、単純な記憶力だけならクロノよりも上だ。それなのにクロノに指摘されるまで忘れていたのは、クロノと過ごす時間が、あまりにも甘く満ち足りた時間だったからだ。
「正直、おれは尻にちんこが入ってるのは気持ちよくなかった。キスの方が好きだ」
 クロノはぎょっとしているシライの目をまっすぐに見る。
「でもおじさんとくっついてるのは気持ちいいし、おじさんが気持ちよさそうにしてるのもうれしかったから、また挑戦したい」
「……次はクロノも気持ちよくなれるよう鋭意努力します」
「なんで急にですますなんだ?」
「そりゃそうなるだろ……」
 最中に言われたのでなくてよかった。自分の発言がシライに与えるダメージの大きさが本気で分かっていないらしく、首を傾げるクロノにシライは首を振った。クロノとしてはただのフィードバックと今後の目標の宣言なのだ。
 そこで、ふとシライは気付いた。
「……おまえ、キス好きなの?」
「好きだ。する?」
「……する」
 ぱっと目を輝かせたクロノが、立ち上がろうとした次の瞬間に顔を顰める。察したシライは椅子から降りてクロノの前に膝をついた。キスを待っているクロノというのは貴重である。だが、ケーキの箱を開けるのを待っているような可愛らしさばかりが前に出ていて、シライは自分がクロノを抱いた事実が心配になる。
 ちゅ、と一度。合わせただけのそれにクロノの瞳が緩むから、シライはあえて気を逸らす。
「痛いのどの辺だ?」
「腿の内側」
 巻戻士として運動量の多いクロノが普段使わない筋肉。分かっていたことなのに、なぜ聞いてしまったのか。問題の部分に目を落としたシライの頬を、クロノの両手がぐいと挟んで持ち上げる。
「もう一回したい」
 キスの話だ。クロノの休憩はあと二時間。
 できないことはないと思う自分を黙らせるために、シライはクロノに唇を寄せた。

投稿日:2025年3月19日
同人誌用にとにかくネタ出ししてたときにできたものです。長さが出ないからこれはだめだなーとなったのですが、もったいないからサイトに上げます。