飲み直し

アカバが成人しています。

「わしの部屋で飲み直しませんか」
 アカバは路肩に停まったパトカーの赤いランプを見ながらシライに声を掛けた。
 喧嘩の仲裁とは名ばかりの、捕り物まがいの運動をしたために体は温まっていたが、店を出るときに持っていた胸の温かさはすっかり消え失せている。シライと二人きりで話せるなどめったにない機会で、そんな特別な日の締めくくりを酔っ払い絡みのドタバタで終えてしまうのは惜しい気がしたのだ。
 野次馬の声に無線の声が重なり、それが合図になったかのようにパトカーのドアが閉まる。アカバはシライから返事がないことに不安になって横を見ると、声は届いていたらしく、ズボンのポケットに手を入れたシライは無言でアカバの方を眺めていた。
 シライはアカバが気負わず酒を飲めようになるまでの年数を内勤で過ごしてもなお、この程度の運動ならば眉一つ動かさずにこなしてしまう。店を出たときに「寒いな」と、子供が珍しさからするのと同じように吐いていた白い息が、微動だにしないシライが呼吸していることを伝えてくる。
「おまえの部屋?」
「はい――あっ」
 アカバは体を硬くした。
 二人きりで酒を飲んで、その上で部屋に誘うことに含められる意図に、今さらアカバは気付いた。
 シライはアカバがシライのことを好きだと知っている。六歳から抱き続けた尊敬の念だけではなく、そういう意味でも思いを寄せていることを。
「なんもしません! ここで解散でも全然っ!」
「別にわねえよ。かけて悪いな」
 慌てるアカバがおもしろかったのか、シライはふっと緩めた口元を隠すようにマフラーを引き上げて、先導するように歩き出した。寒さとは関係なく猫背気味のシライの背中を見送りそうになったアカバは、慌てて駆け出しシライに追いついた。
 部屋飲みと下心。どちらが構わないんですかとは聞けなかった。

「飲み直すんじゃねえの?」
「あ、いや、そっ、ですね」
 まるで自分の部屋のようにくつろいで座っているシライは、アカバがインスタントのカフェオレを入れて運んできたマグカップを見て首を傾げた。
 酒はある。寮に帰る道すがらにコンビニに寄ったし、クロノが「おじさんこれ好きだぞ」と教えてくれた、アカバが飲むには甘すぎるリキュールも実はある。
「外寒かったので……」
「ふぅん。おまえカフェオレなんか飲むの」
「もらったんです」
「女だろ」
 にやつくシライにどう答えても、からかわれる以外の道が見えない。アカバが黙って湯気の立つマグカップを差し出すと、シライは嫌な笑いを浮かべたまま受け取った。
 シライの隣は気が引けて、斜め横辺りに腰を下ろしたアカバは、シライの目が明らかに砂糖を探し求めているのを見ないふりをする。シライの推察通り女性隊員からもらったスティックタイプの粉末は、アカバの舌には一本飲んで放置するには十分なほど甘かったし、グラニュー糖なんてものはアカバの部屋にはない。
 あぐらをかいた足が落ち着かない。アカバは砂糖を諦めたシライがカフェオレを吹いて冷ます様子と、こくりと一口飲み、やはり甘みが足りなかったらしく寂しげな顔をするのを盗み見る。視線はきっとバレている。なのにシライが何の反応も見せないのは優しさか、それとも人から見られることに慣れているからか。
「……クロノは今日いねえだろ」
「はい」
 アカバの視線を流すように、シライの目がクロノの部屋の方に向けられる。巻戻士としての階級が上がっても入隊した時から部屋は変わらずワンルームで、アカバもクロノもそれで不便はなかった。
「丁度いいな」
 笑いを含んだ声。何が、と問う気はない。アカバはマグカップの取っ手を持つ手に力を入れる。先ほどまで何のことなく見られていたシライの顔が見られない。
「アカバの方から来たって言っても怒られるのはおれだ。じゃ、おれから行く方がいいだろ」

   ◇

「アカバ」
 元々豊かではなかったクロノの表情は、一旦誰が見ても分かりやすく多彩になり、〝巻戻士最強〟を冠するようになってから再び分かりにくくなった。隠そうとしていないときならば何のことなく考えていることが表に出るから、今のクロノの頭にはアカバに読まれたくないことがあるということだ。
 そこの詰めが甘いんじゃなあ、とアカバはとことんまでに腹の内を読ませなかったゴローの顔を思い浮かべた。師匠であるはずのシライとあまり似ていないクロノは、どちらかと言えばゴローに似ていて、けれどもやはりゴローとも違う。アカバの目から見るクロノはクロノ個人だ。
「なんじゃクロノ、何か用事か?」
「……シライおじさんと何かあったのか?」
 アカバは肩を竦めた。きっと煙に巻いてくるシライではなくアカバに聞きに来るあたり、クロノはアカバの身に起きている事態を真剣に考えてくれているらしい。
 シライと二人で飲んだ日の晩、シライはアカバのことを抱くつもりだった。
 コンビニの買い物にシライがまぎれこませていたコンドームはアカバも問題なく使えるサイズで、その場では見て見ぬふりをしたアカバはその時から何となく、シライがそっちのつもりであることは知っていた。訂正は部屋に着いてからでいいと思ったのだ。なし崩し気味の展開だったが、一応、アカバとしてはきちんと思いを伝えたかったのもある。
「おまえはもう知っとるじゃろうから言うが、シライさんとそーゆーことになったんじゃ」
「よかったじゃないか!」
「最後まで聞け。それで、シライさんはわしを抱く気じゃった」
「なるほど……?」
「おまえコトの重大さが分かっとらんじゃろう」
「いや……うん、分かっていない。シライおじさんに全くやる気がないよりよくないか?」
「わしはシライさんを抱きたいんじゃ。男ならそうじゃろ」
「それはおれには分からない」
「スマホのやつにも似てきたのう……」
「スマホンがどうかしたのか?」
「こっちの話じゃ」
 シライほどの男ともなると、排便にしか使ったことのないアカバの尻の穴にもスムーズに入れられるものなのかもしれないが、アカバは自分がシライに抱かれるのではなく、自分がシライを抱きたいのだ。シライを想像しながらする自慰では罪悪感に勝てずに最後までやりきれたことはなかったが、とにかく、シライを抱きたい。あの余裕たっぷりで余計なことばかり並列して考えている頭を、アカバのことでいっぱいにしたいのだ。
 そんな生々しい目論見は流石にクロノに言えず、アカバはじっと目を見てくるクロノに頷きを返す。クロノは何を納得したのか、分かったという風にぱっと口を開けて笑った。
「それじゃあ、シライおじさんとは上手く行ってるんだな!」
「上手くと言えるかは分からんが、進んでることは間違いない」
「よかった。シライおじさんがおれにセックスの練習に付き合ってくれって言ってきたから」
「なーにをやっとるんじゃ、あの人は!」
 クロノが言うのを皆まで聞かず、アカバはいきり立った。

「シライさん!」
「げぇ! アカバ!」
「何が『げぇ!』ですか! 何をクロノに頼んどるんですか!」
 クロノの協力のおかげでシライを見つけるのは簡単だった。スマホン経由でクロホンに居場所を聞き、シライの承諾を得ずにもたらされる位置情報。それはいいのかと渋るアカバに、クロノもスマホンも、ついでにクロホンも問題ないの一点張りだった。
「あいつ……!」
「なんでわしに言うてくれんのですか。信用できんようなら無理せんでください。わしは待てるし、一切触れられんでも構いません!」
 ここが廊下でなければ正座していた。アカバは逃げられないようシライの腕を掴みながら言った。二十歳を過ぎても背は伸びると言うが、今後シライの身長を抜かせるかはギリギリのラインだ。
「別におまえを信用してねえわけじゃねえよ。こっちにも見栄ってもんがあるだろ。半端な技術じゃお目見えできねえ。その点クロノなら」
「シライさん!」
「おう」
 アカバはシライの上腕を掴んで揺さぶった。シライもアカバの鬼気迫る様子に思うところはあるらしく、両腕を大人しく揃えて揺さぶられながらアカバの目を見つめ返す。
「シライさんの恋人は誰ですか」
「……アカバ」
「じゃあ、わしを頼ってください。わしはシライさんの一番でいたいです」

投稿日:2025年2月5日
シライはアカバは恋人だからアカバの前では格好つけたいけど、クロノはダチだし長年の連れだから迷惑かけてもいいと思っています。