それからとこれから

おかわり」の続き

 こいつおれのこと好きなんだよな。
 シライは自分の前でハンバーグ定食を食べているアカバをちらとだけ見てから、自分の皿の上、食べかけの煮込みハンバーグに目を落とした。アカバに好意を告げられてから三週間が経過していたが、シライは何のアクションも起こしていない。仕事ではなく私事わたくしごとであるためにリマインドの通知も降ってこない。
 昼食どきの食堂は混み合っている。遠慮から空きがちなシライの向かいの席を指し、座っていいかと尋ねてきたアカバは、シライの皿を見て「煮込みハンバーグおいしいですよね!」と目を輝かせた。秋季限定メニューが出たのは確か今週。シライがアカバの手元にあるデミグラスソースのハンバーグを見て連続でハンバーグなのかと尋ねれば、去年食べたのだと返ってきた。「ハンバーグ食べるって決めてきたから今日はこっちじゃ」と言われれば、選択の違いにも納得だ。
 アカバはシライの前で、シライのことを好きだという素振りを見せない。ラーメン店での告白などなかったような顔で振る舞っている。
 シライはアカバが自分に憧れていることを知っているが、誤解を恐れず言えば、多くの巻戻士がシライに憧れを抱いているから、シライは「アカバが自分を好き」というだけでアカバを特別視することはない。シライがアカバを特別に思っている理由は、クロノやレモンを特別に思っている理由と全く同じ理由だ。優劣はない。強いて言うなら弟子である分だけクロノの優先順位が高いだろうか。そして、アカバとレモンについて「弟子の友達」という保護者じみた視点も入ってきている。
 憧れの人物を前にして平然としているアカバの自制心を、シライは好ましく思っている。もっともその自制心が発揮されるようになったのは最近のことで、以前のアカバはもっと大っぴらにシライのことを好きだと主張していた。鳴りを潜めたのは告白が境だ。それが駆け引きではないことを、シライは何となく分かっている。
 再会したときのクロノやアカバの見た目が、あの文化祭の日と同じだったらどうだったろうか。
 一口大に切り分けたハンバーグにマッシュルームを載せ、口に運びながらシライは考えた。
 最初にレモンと出会ったときはつい名前を呼んでしまった。表に出さないと決めていても、現実に上手くできるかはやってみるまで不確かだ。ゴローに見顕されずに済んだのは、次に出会ったアカバとクロノ、二人の見た目が思い出の中の姿と離れていたことに助けられた可能性が捨てきれない。
 シライは水を飲んだ後の吐息に溜め息を紛れさせた。
 アカバが告白の返事を求めてこないのは、身辺整理だと言った通りシライに何か求めているのではなく、悔いなく生きるための一つの手段なのだろう。任務における巻戻士の死亡率は高くないが、再起不能になる機会はそれなりに多い。何を隠そうシライも休職組だ。任務に就けなくなった巻戻士のケアや異動は、パンフレットが用意されている程度に実績がある。
 肩書きとか、年の差とか。アカバとの交際は、対等なお付き合いを謳うには様々な制約がある。
「……なぁ、アカバ」
「っ!」
「食いながらでいい」
 シライが声を掛けてすぐ、話しかけられるとは全く思っていなかったらしい顔でコップに手を伸ばすアカバを見て、シライは自分の頬が緩むのを感じた。
 交際を始めたとして、きっとアカバが望むような付き合いにはならないだろう。どれだけアカバに年齢らしからぬ分別があろうと、そしてかつて出会った当時シライよりも年上であったとしても、今のシライの目に映るアカバは幼すぎた。
「次の休み、一緒に遊びに行くか」
 シライはアカバの咀嚼を待つ間、かつてクロノを連れ歩いたおかげで検索するまでもなく詳しい近場のレジャースポットを頭の中でリストアップした。たぶん、大きくは変わっていないはずだ。
 クロノを二〇八七年に連れてきたとき、シライは新人指導というのが初めてで、記憶の中にいる中学生のクロノ、そして自分が新人巻戻士として通ってきた道とのギャップを埋めるのに四苦八苦していた。トキネを助けるという明確すぎる目標のために根を詰めるクロノと出かけるのは、クロノの息抜きのほか、シライが目の前にいるクロノの等身大を知るためでもあった。
 クロノと行ったことがない場所の方がいいだろうか。
 楽しみのない子供時代を過ごしたシライには十歳という年齢に適当な施設が分からなかった。それをクロノのこだわりのなさが助長して、行き先は今のクロノの任務スタイルに近いまでの総当り。最終的には科学館や博物館といった学習寄りの施設が多くなったが、今もクロホンの中にデータが残っている本部から日帰りで行けるスポットのピンが立ったマップは、そのままファミリー向けレジャーマップとして公開できそうな出来栄えだ。
「シライさん」
 口の中のものを飲み込んで、さらに水を飲んで。
 自分のスマートフォンを操作したアカバは、シライが候補を出すより先に、ウェブページをシライに向けて差し出した。見覚えのある館内写真だった。
「プラネタリウム、どうじゃろうか」
「すぐそこじゃねぇか」
「クロノからシライさんと行ったっちゅう話を聞いて、いっぺん行ってみたいと思っとったんです。始まりの時間と終わりの時間が分かってるから、シライさんも気楽じゃと思うんじゃが」
 仕事の合間を縫って行く前提の提案に、シライは苦笑した。どうにもこうにも、他人が想像する自分は忙しすぎる。
「おれだって休みの日は休みだぜ。仕事は済ませてんだから休ませて?」

   ◇

 機材の刷新を挟んでいたが、施設のアピールポイントはシライが前に行ったときと変わっていなかった。
 没入感たっぷりのドーム型シアターに、包み込むような音響、標準の座席とは別に用意された、大人二人がゆったりと横になれるソファベッド調のペアシート。アカバと行くにあたって普通の座席ではなくペアシートを予約したのは、アカバの視線が明らかにそこを向いていたからだ。うろたえるアカバにクロノと行ったときもそこを選んだと言えば、アカバはホッとしたような残念そうなような複雑な表情を見せた。
 科学館に併設されたプラネタリウムと違い、どちらかといえば大人向けの施設だ。学習目的で行くより、今みたいにデートまがいのことをするのに向いている。シライはゲートでチケットをかざして館内に入ると、勝手知ったる身勝手さで、予約したシートを目指して進んでいく。目当てのシートに腰を下ろし、後から着いてきたアカバが普段の振る舞いとはかけ離れた慎重さで隣に収まるのに忍び笑いを漏らせば、アカバの不満げな視線が突き刺さった。
 ナレーションと共に、日暮れを模して照明が暗くなっていく。手を繋ぐなら今だな、とシライは思ったが、行動には起こさなかった。アカバもまた同じだった。

 かつてシライがクロノをプラネタリウムに誘った理由の一番は、本部から近いということだった。クロノの集中力と行儀のよさはプラネタリウム以前に足を運んだ施設での過ごし方から明らかだったから、自分たちが施設の想定するメインターゲットに含まれないことに不安はなかった。
 開演時刻から逆算して本部を出て、業務で使っている椅子より余程居心地のいい座席の座り心地を堪能する。始まる前に寝ちまいそうだな、とシライとは違い座席の上に完全に足が収まってしまうクロノに声を掛けたシライは、まるでそれがフラグだったかのように上映が終わるまで安眠を貪った。帰りがけにさも起きていたような顔で楽しかったかとクロノに尋ねれば、おじさんも見ればよかったのにと返された。寝ていたのはバレバレだったらしい。
 復習の名目でクロノから聞く星の話は、次は本物を観に行ってみるかと誘う口実になったものの、機会はその回のテーマだった流星群に負けないくらいに流れてしまい、実際に星を見るのは離島で実施したサバイバル訓練と同時になってしまった。だから最近になってクロノからアカバやレモンとキャンプに行った話を聞いたとき、シライは大いに歯噛みした。自分が連れて行ってやりたかった気持ちが半分、一緒に遊びたかった気持ちがもう半分だ。

 シライは再び明るくなった半球状の天井を見ながら、良い夢を見たような気分で思い出をなぞっていた。隣にいるのがクロノではなくアカバであることは、思い出すまでもなく分かっている。少し手を動かせば触れられる距離で星空を見るアカバを盗み見て、いたずらを思いつきながら仕掛けなかったのは誠実さではない。それを思いつく大人に誠も実もないのだ。
寝足りねぇことねえのに眠くなっちまう。プラネタリウムだけに。誘ってくれたのに悪ぃな」
「わしも寝とったからおあいこじゃ」
 シライが体を起こして伸びをすると、アカバも合わせて起き上がった。館内には人がはけていく物音と、ひそやかながら熱を帯びた話し声が聞こえている。カップルと確定しているわけではないにしろ、記憶と違わず二人連れの客が多い。
「そんなこと言って、おまえずっと起きてたろ」
「なんで疑うんですか。わしだってちゃんと寝とりました」
「ちゃんとって何だよ。起きてろよ」
 アカバはクロノやレモン相手なら主題を変えていつまでも続けるのだろう言い合いも、シライが相手では長く続かない。先に立ち上がったシライがアカバを見下ろし笑うと、アカバも発言のおかしさに気付いたらしく照れたように笑った。
「すぐに帰るのもなんだろ。おやつでも食おうぜ。奢りの代わりにおれの好きな店な」

 メニューを見たアカバが飯食ってもいいですかと言うのに許可を出せば、アカバはクリームソーダとサンドイッチを頼んだ。トマトにレタスにローストチキン。トーストの間に挟まった具が予想に違わず皿にこぼれ落ちるのを見ながら、シライはパフェの最上段に載ったアイスクリームをすくい上げる。独断専行型のくせに、アカバは案外甘えるのが上手い。
「アカバおまえ、モテるだろ」
「シライさんに言われるとは驚きじゃ」
「おれのはモテてるって言わねーよ。もて囃されてんの。言っとくがおまえが初めてだぞ、付き合ってくれって言ってきたの」
「嘘じゃろ!?」
「嘘ついてどうすんだよ。おれが誰と付き合ってるって聞いたことねーだろ?」
 驚いた顔をしたアカバは、シライに言われて記憶を掘り返しているらしい。おもしろいくらい分かりやすく心ここにあらずの様相で、目はテーブルの上を見ているようで見ていない。シライはアカバを置いてパフェを食べ進める。ほんのりとラム酒の風味がする栗のクリームは滑らかに舌に馴染んだ。
 感情の上で、アカバと付き合うことが「あり」な自分を、シライは持て余している。
 嫌じゃないというか、誰が相手でも嫌はないのだ。アカバに限らず。
 シライは自分が他者に割り振れる好意――誰かのために取れる労の量が人より多いことを自覚している。巻戻士をやっている人間は総じてその傾向があるが、その巻戻士たちに言われるくらいだから、相当なのだろうという認識がある。クロノと再会する前はクロノほどではねぇだろ、と思っていたが、そのクロノの幼少期を見て、やはり自分はちょっとばかりおかしいらしいと思い直した。シライはクロノと違って目的がない。
「……シライさんのこともじゃが、わし、誰と誰がどうって話を知らん」
 顔を上げたアカバは、シライがモテないと明かしたときとはまた違った様子で目を丸くしていた。
「情報収集が足りんかった。なんせ人を好きになるのはシライさんが初めてなもんじゃから、シライさんがわしと付き合えんとは考えても、シライさんが誰かと付き合うとるからってのは考えとらんかった。モテると思っとるのに」
 アカバは感慨深そうに頷き、食べかけのサンドイッチにかぶりつく。先に具が落ちるだけ落ちているおかげで今度はスムーズだ。
「いいのか? フリーフリしてるかもしれねーぞ?」
「シライさんほどの男ともなると二人三人と同時に付き合うっちゅーのもあるもんですか?」
「おまえのイメージするおれはどんなだよ。言ったのおれだけどあまりのダメさにダメージ入ったわ」
「どんなもこんなも、シライさんはわしに捉えきれるような人物じゃないじゃろうし……わしはもし付き合うなら一対一がええと思っとりますが、シライさんが選んだなら口を出せることじゃないです」
 どこまでも真剣な顔をされると、シライもふざけたことを反省するほかない。自分も付き合うとしたら一対一がいいと思うと付け加え、誰とも付き合っていないことを念押しする。アカバは真剣な表情を保ったまま、頷きながらクリームソーダに手を伸ばす。浮かんだアイスクリームをストローで突いてからソーダを吸い上げる。
「……シライさん、今度また、次はわしから誘ってもいいですか?」
「んー……」
 パフェのスプーンを置いたシライはコーヒーを飲んだ。一緒に食べているものがどれだけ甘かろうが砂糖は満量入れる派で、パフェの甘味に負けないくらい甘い。
「いいけど、これ以上のことはできねーぞ。一緒にどっか出かけたり、飯食ったり。アカバがクロノたちとできるようなことしかできねぇ。だったら付き合わなくたっていいだろ」
 巻戻士の人間関係は狭い。シライと付き合ったことがあるという事実は、アカバのこれからの人生で負債になるかもしれない。そうなったときに責任を取る術を考えている時点で、シライはアカバと付き合うべきではないのだ。
「なんじゃ、シライさん、そんなこと気にしとったんですか」
 クリームソーダのグラスを脇に置いたアカバは、再びサンドイッチを手に取った。中のトマトが滑り出る前にしっかりと両手を添えて、かぶりつく前にシライを見る。
「シライさんがわしを特別に思ってくれんでもいいんです。最初に言うた通り、付き合えるどころか検討してもらえるとすら思うとらんかった」
 悪いことしたのう、と独り言のように言って、アカバはサンドイッチを口に入れる。黙々と咀嚼する、その隙に、アカバが望む意味を捉えきれていないシライもパフェの侵攻を再開する。コーヒーゼリーのクラッシュゼリーはカフェモカ風味のソースが絡んでいる。
「シライさんは自分のこと後回しにするタイプじゃろ。わしはシライさんに面倒を掛けとうないから、プライベートな関係になればあるいはと思うたんじゃ。シライさんは付き合うとるからなんて理由で優先はせんじゃろ」
「後回しって、んなことはねぇよ。それなら隊長はあんなハゲてねぇ。おれが業務にまねえせいで気の毒に」
「隊長のハゲは趣味じゃろ。産毛も生えとらん」
「アカバはまだ若ぇから知らねぇだろうけど、初心さがなくなると毛は生えなくなんだよ。代わりにヒゲとかすね毛とかが生える」
「……嘘じゃろ」
「嘘だと思うなら隊長に聞いてみろ」
「絶対嘘じゃあ……」
 言いながら自分の腕に目をやるアカバを見て、シライはにやけ顔を隠すべくコーヒーカップを持ち上げた。

投稿日:2025年4月6日
Webオンリー「シライ生誕祭」にて展示
更新日:2025年4月7日
サイトの小説ページに収録