ばったりバッティング

「なァ、どっかで会ったことあるか?」
「……記憶するのは得意だろう、巻戻士」
「他人の空似で犯罪者扱いは悪ぃだろ。そら似てるわな本人なら」
 口から出たのはナンパにしては出来の悪すぎる台詞だったが、答え合わせを済ませたシライは恥じるどころかむしろ清々しい気分だった。
 焼きとん屋のカウンター。二階にテーブル席があるらしいが、人と来たことがないために上がったことはない。週中でも賑わっている店は休前日のハッピーアワーとなると満席に近い状態で、シライの逆隣には予約席であることを示す皿と箸が置かれている。
 シライは頼んでいた日本酒を運んできた店員のために体を斜にして、視線を隣に座っている、たった今1時ワンオクロックと確定したばかりの男に据えた。
 忘れようもない苦渋を舐めさせられた相手なのに、いざ本部に帰ってみると男の容貌は驚くほど記憶に残っていなかった。今目の前にいてもなお、目を逸らせば忘れてしまいそうなほどに特徴がない。中肉中背。極端に若くも年寄りでもないが、十代後半と言われても四十代前半と言われても納得できる。
「悪ぃ、お猪口もう一個」
 やめだ。シライは外見から年齢を探ろうとするのを取りやめて、去ろうとする店員の背中に声を掛けた。そもそも今の姿が1時ワンオクロックの真の姿とは限らない。ハクギンなんかが好例だ。
 シライは感情の読めない平坦な、それでもシライの方を見たというだけでシライの意図が通じていると分かる1時ワンオクロックに向かってニヤリと笑んでみせる。
「飲ませてえ要求は山程あるけど飲まねえだろ」
「珍しい、試しもしないのか」
コンマ以下のこんまい数字でも目があるなら賭けるが、0にゃ賭けねえ。誰かさんのおかげで目もねぇしな」
「ご愁傷さま」
「どーも。まあ一杯やれよ、一杯食わされたお返しだ」
 隣に座ったのがまさかの仇敵。気付いていながら座ったか、向こうも後で気付いたか。偶然か必然か、起因なんかどちらでもいい。使えるのは今ここにあるものが全てだ。
 シライは好機に逸る好奇心を宥めつつ、届けられた猪口の礼を言い、1時ワンオクロックに向かってどうぞと手のひらで指し示す。向こうの一杯目が何であるかなど関係ない。犯罪組織にしろ組織をやってるんだから社会性はあるはずだ。
 当然と言えば当然の冷ややかな眼差しを受け止めて、シライは肩を竦める。
「もし潰れたら家まで送ってやるから心配すんな」


 メニュー代わりの木札が壁に掛かっているのは知っているが、手元の紙を見るばかりで使ったことがない。横目に見上げた札には「裏メニュー」の文字が踊っている。ああも堂々とした裏メニューとは何なのか。
 食べ終えた串を容器に入れて、シライは一口分残っていたグラスの中身を空にする。
「上喜元で上機嫌ってな」
 注文したものの辛すぎたモツ煮は、辛いやつ好きだろ、と器ごと1時ワンオクロックに押し付けた。ピリ辛という表記にはどうにも幅がある。一人飲みに便利という理由で入っている店なおかげで器の盛りは一人前に丁度よく、モツ煮の代わりに分捕れるものがないのが残念だった。
 このまま続けるか、河岸を変えるか。もう一回食ってもいいなと目の前にあるメニューのガツ串の文字に視線を注ぎつつ、シライは手を挙げて店員を呼ぶ。酔いが程よく回っていて、左肘に掛ける体重が平時より心持ち多くなっている。
 シライは追加の酒を頼んでから、大人しくモツ煮をつつき始めた1時ワンオクロックのために前割りも頼んでやる。やっぱ焼酎は芋だろ。この次はハイボールにしてやろう。敵を吐かせるための費用は経費で落ちるだろうか。
「分かってくれない克紅かつくれない。好きなやつ教えてくれないなら総当たりでいかせてもらうぜ」
 運命論者らしく押し付けるもの全てを黙々と消費している1時ワンオクロックは、シライのギャグにも無反応だ。
「この店よく来んの? 明日休み?」
「……」
「おれは明日もお仕事です。本部にいるから訪ねてきてくれていいぜ、相手してやるよ」
「……本当におまえの存在は厄介だよ、シライ。まだ若いだろう? 他の業界を経験してみるのも悪くないんじゃないか?」
 久しぶりの返事らしい返事だった。それなりに来ている店だから摘まみ出されることはないにしろ、あまりにも一方的に絡んでいるのはまずいから助かる。
「生憎本職が天職でね。転職の予定はねーよ。そっちは小遣いくれるジジイがいなくなって大変だろ? 若手ばっかのベンチャーで、たまには言われた仕事だけやりてぇってならねぇ? うちは上はいてもおべんちゃら言う必要ねーから気楽だぜ?」
「その上は随分と年上になったらしいじゃないか」
「老けても頭髪の増減に気遣いがねぇから楽ちん。ジジイが悪口にならなくなっちまったのは残念だけどな」
 どこまで情報が伝わっているのか。恐らくと前置きするまでもなく、手札はクロックハンズの方が多いだろう。組織に潜むスパイの存在に気付いていなかった現状からして不利だ。タイムマシンの性能差も大きい。
 それでも、わざわざ人員が現地に足を運んで活動していることに勝機はある。1時ワンオクロックがヒトとして生命活動をしていること合わせて。
 カウンターの前から豚串の載った皿が差し出され、同じタイミングで店員が一升瓶とグラス二つを運んでくる。酒を頼んだのはシライだから、1時ワンオクロックは我関せずの態度で豚串の皿を受け取っている。
 シライは店員がまず1時ワンオクロックの元に前割りを置き、次に自分のところに空のグラスを置くのを見守る。次に来たときに1時ワンオクロックについてよく来る客なのかを聞いてみてもいいが、記憶力がいいシライをして、すぐに1時ワンオクロックと思い出せなかったのだ。望み薄だろう。
「なあ、もう一軒付き合えよ。ここまで来たらウイスキーも飲みてえだろ」
 忙しくて行けてないようだから隊長のキープボトルを減らすのを手伝っておいてやろう。どうして行けないのにキープしているのか、と人を連れて行く度に思う。そのくせ次もボトルを入れるのだから、もはや酒を飲める隊員への福利厚生だ。
 シライは1時ワンオクロックの返事を待たず、バーのマスターにメッセージを送った。

投稿日:2025年4月6日
Webオンリー「シライ生誕祭」にて展示
更新日:2025年4月7日
サイトの小説ページに収録