アカバは出ません。

洗いざらい

 全てが地下にある本部において、地下にある駐車場は単に駐車場と呼ばれている。居住性を高める必要がないために他のフロアよりも殺風景で、見た目には、マンションやショッピングモールの駐車場と大差ない。フィクションさながらの本部の秘密基地ぶりに瞳を煌めかせていた十歳当時のクロノの目にすら、駐車場は新鮮には映らなかった。
 クロノが本部の駐車場の隅に洗車スペースがあることを知ったのは、つい最近のことだ。
「アカバのやつ、何でも自分がやるって言うよな。あれが体育会系ってやつかね」
 洗浄機の片付けをクロノに任せて車体の拭き上げを始めていたシライは、ぼやくように言った。
 そう言うシライこそ運動部の出身のはずだったが、クロノの知る短針中の剣道部は闖入者である自分たちを除けばシライ以外に部員はおらず、シライは運動部にあるという上下関係とは無縁なのかもしれない、とクロノは思い直した。クロノの通っていた小学校にクラブ活動はなく、すべてが各家庭の習い事として行われていて、運動系の習い事をしていなかったクロノには、体育会系というのはぼんやりしたイメージしかなかった。
「おじさんにいいところを見せたいんだろ」
「いいとこなんかいくらでも見てんのにな。世辞じゃなく誠実に」
 シライの言い分を聞いたクロノは、「おじさんがそんな風だからだ」とは言わなかった。
 クロノ相手に限らず、普段のアカバは相当に横暴で自分勝手だ。アカバが気を利かせようとするのはシライに対してだけなのに、シライは自分が特別扱いされていることに気づいていない。鳥の求婚並みのアカバの甲斐甲斐しさを、日常的なものだと思っている。今日のドライブだって、シライが「クロホンに仕事残してやれよ」と言わなければ、アカバは片時も地図から目を離さなかったかもしれない。幸い、レモンが切り出した変則ルールの山手線ゲームのおかげで、クロホンはシライの要望通り一行を湖までナビゲートできたのだが。
 尊敬の眼差しを向けられることの多いシライは、人から好意を向けられるのに慣れていて、その分鈍くなっているのかもしれない。
 二級昇格試験に顔を出したシライが歓声を浴びていたことを思い出しながら、シライの鈍感さを受け入れかけたクロノは、否定する材料を一つ思い出した。
 巻戻士の任務は他の時代への転送から始まる。本部が都心にあるために任務のないときでも車に乗る機会は少なく、運転技術の習得がぶっつけ本番になるのは、クロノに限ったことではない。
 シライが運転するバイクの後ろに乗って出かけた日、シライが単車の免許を取得するに至った経緯を尋ねたとき、見せてもらった免許証の写真は指名手配犯のような面相だった。思わず「おじさんもう少しかっこよくないか?」と漏らしたクロノに、免許証の写真がいかに変に撮れるものなのかを説明するシライは、任務のレポートをクロホン任せにできない不満を言うときと似ているながら、どことなく居心地が悪そうだった。意図しないタイミングの賞賛には、シライの反応は鈍くなりがちだ。それは、褒められ慣れている人間の反応ではなかった。
 記憶の端を一つ掴んでしまえば、シライがぞんざいに扱われるエピソードはずるずると芋づる式に出てきてしまう。自分たちのような入隊して日が浅い人員と違い、シライと付き合いが長いらしい面々は、気軽にシライを小突き回していなかっただろうか。クロノがテクノロジー・オブ・ジ・アースへの侵入を試みていたとき、巻戻士本部ではスパイ探しが行われていて、クロノはアカバから、シライの武勇伝と共にヒヤマがシライに向けて発砲したことを聞かされた。
「……おじさん」
「ん?」
「おじさんはアカバに褒められるのが恥ずかしいのか?」
 クロノが拭いているのはシライとは逆サイドの窓ガラスだ。声は届くしお互いの存在も見えるが、細かな反応までは分からない。それでも、付き合いの長さのおかげで、自分の発言が図星を突いたらしいことは察せられた。
 シライは洗車の手伝いをすると意気込むアカバを、次の任務が始まるまでの時間を理由に部屋に戻らせ、アカバよりスケジュールに余裕があるクロノに手伝わせたのだ。クロノは別に否やはないから、アカバの不服そうな視線を受け止めながらも二つ返事で承諾した。シライと二人で車に残る水気を拭き上げていることについては、今も別段不満はない。黙々と手を動かしていけば終わる作業は好きだ。しかし。
 クロノはアカバが「シライさんはわしの話を聞いてくれん」と拗ねるように言っていたことを思い出す。
「次はアカバと二人で出掛けてくれ。おれはおじさんの格好いいところを聞き飽きてる」

投稿日:2025年10月1日