すれ違う事後
土下座。それはもう見事な、国語辞典の挿絵として採用されそうなほど立派な土下座を決めたカラ松は、ベッドを飛び降りた先の床に額を擦りつけながら、自分の身に起きた――起こしてしまったことを振り返った。
弟と、セックスをしてしまった。
詳細は思い出すまでもない。フラッシュバックしてくる体験は、良い夢か悪い夢かで言えば悪夢だったが、気持ちいいか悪いかで言えば、間違いなく気持ちよかった。反省と言えば聞こえはいい、ゆらりと陽炎のように湧き上がってくる不埒な考えを、カラ松は額を床に叩きつけることで打ち壊した。
酒に弱い自覚はあった。身を置くだけで愉快な気分になれる盛り場の空気はもちろん、酔いの回った兄弟たちと交わす会話の何もかもが許されている雰囲気が好きで、誘いを断ったことはない。いつの頃からか自分に対してそっけない態度を取るようになっていた一松が、二人で飲みに行こうと言ってきたときも、なぜなんてことは全く考えもせずに二つ返事で了承したのだ。
了承した後にじわじわと込み上げてきた一松に構われた嬉しさは、一杯目のグラスを相手のそれに打ちつけた時点ですでにピークに達していた。我ながら感心するほど、立て板に水の勢いで舌が回る。決してペースが早いわけではない一松を相手に酒量を過ごしたのは、己の至らなさゆえと言うほかなかった。タイムマシンがあるのならば、あの時の自分を殴ってでも止めたい。話など帰ってからでもできるのに、なぜ真っ直ぐに家に帰らなかったのか。なぜ手近な川に飛び込んで頭を冷やさなかったのか。
一夜の過ちを一夜の夢と変えてしまえるような技量はない。自分は女の子とろくにしゃべったこともない童貞だったのだ。こういう時の身の処し方なんて、分かるはずがなかった。
一松の反応を待って頭を下げ続けていたカラ松は、何の音沙汰もないことに不安を覚えて、額を床に擦りつけたままで視線を彷徨わせた。いつもならばここで一松から鉄拳が入る。そして、自分はもう一度渾身の謝罪をする。それがお約束の筋書きだった。結末の決まっていない芝居を、アドリブだけで乗りきれるほど芸達者ではない。
このままでは埒が明かない。カラ松が恐る恐る顔を上げると、一松は寝て起きた姿勢のまま、じっとカラ松を見下ろしていた。気怠そうな半眼は、いくらも見ないうちにふいと逸らされる。目の端がぼやけているのは寝不足によるものだろうか、それとも。
「一松」
泣いているのかと思ったのはドラマの見すぎで、呼びかけに応えてこちらを向いた一松は、何てことない平常通りの顔をしている。そこでもう一度、カラ松は戸惑った。
「いいんじゃないの」
中途半端な位置に視線と手を彷徨わせているカラ松を見て、一松はひひっと嫌な笑い声を立てた。
「酔っていたって言うなら、それでいいよ」
ずりずりと尻でベッドの上を移動した一松は、かろうじてベッドの下に脱いであったサンダルを踏みつけるようにして履いた。どことなく違和感のある足取りで向かう先はトイレだろうか。ラブホテルなのだからバスルームも存在するのだろうが、昨日使った覚えはない。
ドアを開けた一松が、入る前に振り返る。
「……僕の下、勢いだけでできるほどゆるくないよ。それにあんたの目を覚まさせられないほど短い付き合いじゃない」
逆光の中に浮かび上がった、見慣れているはずの一松の顔は、見たことのない表情をしていた。
- 投稿日:2016年8月15日