キスしてって言わせたい

「なぁシオン。ジャミールの言葉で『キスして』ってどう言うんだ?」
 ふらりと白羊宮に現れたマニゴルドの質問に、シオンは胡乱な目で見ることでもって答えた。
 厳しい風土のこともあり、ジャミールの娘はたとえ戦士でなくとも芯の強い者が多い。しかし剛に対して強かである反面、マニゴルドのように甘く柔い言葉を弄す男への耐性はなかった。修行のために一時ジャミールに身を寄せていたマニゴルドのその行いを、シオンはよく知っていた。
「ない」
「んな連れないこと言うなよ」
 シオンの反応を見越していたように、肩を組もうとしたマニゴルドの手をはたく。その状態からよからぬ発言をして、慌てふためくシオンをおもしろげに見る。何度も食わされた手だ。聖闘士となった今、二度と食うものか。
「ないのだ。マニゴルド」
 小虫のように払われたことを気にする風もなく、ひょいと眉を上げたマニゴルドに正対してシオンは続けた。
「我々ジャミールの民はそういった直截な表現を持たない」
「……ホントか?」
「真実だ」
「キス、しねぇの?」
 む、と口をつぐむ。マニゴルドは揶揄するために言っているのではないだろうが、まだ、ヨーロッパの習慣には慣れない。シオンにとって「相手の体に口付ける」という行為は、たとえ頬であっても、気軽にするものではなかった。
「あー……分かった」
 察しと引き際のよさが有り難くも憎らしい。この男ほど慣れているのもどうかと思うが、ここは冷静に対処すべき場所だったと思う。シオンはせめてホッとしていることを悟られないよう、努めて自然に息を抜いた。
「ないんなら仕方ねぇな」
 言って、マニゴルドは踵を返した。
 そのためだけに来たのか。第四の宮から、第一の宮へ。近いとは言えない距離をわざわざやってきて、それだけの用か。
 シオンは口に出さないまま、帰って行くマニゴルドを見送った。

投稿日:2016年8月16日