ならず者の流儀2

ならず者の流儀」の続きです。

「うじうじ考えるのは性に合わん。とりあえず付き合うて、嫌になったら別れたらええんじゃ!」
 それがアカバの出した結論で、クロノに伝えた台詞だった。
 そもそもアカバは元から性欲が薄い方だ。空いた時間すべてを修行に当てているために、煩悩が入る隙がないとも言える。クロノがアカバに対する感情を一足飛びに性欲と結びつけたことは不可解だったが、クロノの思考回路には理解しがたいところがあるから、アカバは読み解こうとするのを諦めた。クロノが聞けば怒るだろうが、他人の気持ちなど考えるだけ無駄なのだ。
「三か月じゃ! 三か月、おまえに付き合うてやる! その間のいつでも、やれそうならしてやってもいい!」
 アカバは三本立てた指をクロノに向かって突き出した。
 クロノと映画を見てから四日が経っている。瞬速を謳うアカバの行動としては遅い方だったが、間にこなした任務は二件。アカバの本職は巻戻士であり、クロノとの交際は枝葉末節に過ぎない。クロノの発言のせいで任務が手につかないということはなく、それはそれ、これはこれ。休憩時間に脳みそをぶん回して出した結論で、三か月というのは一般的な交際期間を参考に算出した長さだ。無理なら三日ともたずに飽きるだろうが、アカバもクロノも任務があるために重なる時間は少なく、三か月間べったりとはいかない。恋人(仮)としての実働時間は、同世代のカップルの一か月分が取れればいい方だろう。
「わしもおまえも午後から休みじゃ。丁度いいから今からデートじゃ!」
「分かった、行こう」
 告白され、返事をした。初めてのデートというのは計画を練り、当日までのドキドキを味わうことも込みのイベントなのかもしれないが、いかんせんアカバもクロノも忙しい。カレンダーの空き部分にスケジュールを登録されることには慣れていて、クロノも展開の早さに驚きはしなかった。
「クロノの好きなものはなんじゃ?」
「おれの好きなもの」
「わしというのはなしじゃ」
 オウム返しに言ったクロノの視線を受けて、アカバは先手を打った。クロノの部屋には趣味と呼べるようなものが何もない。殺風景さがある意味では人柄を表している。部屋に招かれ、何ともつまらん男じゃと思ったあとの爆弾発言で、アカバの中のクロノの印象は爆発四散。今もめちゃくちゃ。ガレキで積み木をしたような状態だ。
「遅い!」
 クロノが考えている時間は五秒もなかったが、アカバはクロノのぬぼーっとした顔を見ていると、悠久の時間が流れたように感じる。ダンッと足を踏み鳴らし、クロノの思考を中断させる。
「もういい、映画にする。嫌いじゃないんじゃろ」
 下手にクロノの立案を待つと「おれがアカバとしたいのはセックスだけだ」と言われそうで、アカバは定番のデートコースを採択した。ズボンのポケットからスマートフォンを出し、本部から一番近い劇場の上映スケジュールを見る。
 そして、ふと思いついて口にした。
「アンドロイドのやつも誘うか? あいつも今日休みじゃったろ」
「デートなのにか?」
「なんじゃ、そういう頭はあるんじゃな」
 アカバがスマートフォンから目を上げて見ると、クロノは怪訝な顔をしていた。アカバとて無理にレモンを誘う気はなかったが、ここでクロノが誘おうと言うのなら――セックスはしないことは念押しするとして――三人で遊ぶのでもいいと思ったのだ。クロノの言う「好き」の意味を、アカバは捉えかねている。クロノが「デート」は二人でするものと認識している。それが分かれば十分だった。
「わしも二人で行くほうがええ。アンドロイドを誘う話はなしじゃ」
「レモンともまた遊びたいな」
「そうじゃな」
 アカバは視線をブラウザに戻した。あらかじめチェックしている作品があるわけではない。クロノと時間を潰す方法が分からないから、とにかく上映開始時間が一番近いタイトルを選ぶ。評判など知るものか。座席の位置は真ん中の真ん中、隣同士の横並び。アカバもクロノも学割料金とは無縁だ。
 決済完了の画面を待たず、アカバはスマートフォンをポケットに戻した。
「よし、上映は三十分後じゃ! はよ用意せぇ! わしは玄関にいるからな!」

   ◇

 アカバとクロノの交際は、始まり方の突飛さが嘘のように類型的なものになった。
 一緒に出かけられる機会こそ少なかったが、職場が同じである上に部屋が隣ということが功を奏し、互いの声を聞き、顔を見る時間はそれなりに確保できた。遠距離恋愛でもないのに行うことに決めた定期連絡は、一か月もすればすっかり習慣づいて、任務で連絡がない日はつまらなさを感じるほどだ。
 今日はクロノが任務でいない日だ。訓練室から大浴場を経由して自分の部屋に戻ったアカバは、当然ながら届いていないクロノからのメッセージを確認し、それきりスマートフォンを手放した。
 クロノの顔を見ていない日に限っては、「そういうこと」をしてやってもいいという気持ちになる。クロノの顔を見るとそんな気は起きないし、クロノも何も言わないから、現実には一度もしていない。出だしのあれはなんだったんじゃ、とベッドの上であぐらをかいたアカバは頬杖をついた。
 気にかかることはもう一点。
 シライに筋を通すべきかどうか、ということだ。
「……何もせん方がいいじゃろうなぁ」
 アカバとクロノが付き合うことは、アカバとクロノ二人の問題だ。同じようにクロノとシライの問題も当事者二人の間で解決するべきもので、アカバからシライに言えることは何もない。クロノから聞いて知った気になっているだけで、アカバが行動するのはお門違いだ。
 アカバはあぐらを解いてベッドに背中を倒した。乾ききらない髪の水分がシーツに染みるが、アカバは気にしない。見つめる先はもちろん、平面でもかっこいいシライの大判ポスターだ。
 アカバの部屋に入ったクロノはシライの写真を見て引いていた。ついでに「おれの写真は貼らなくていい」とも言った。そのときアカバは「誰が貼るか」と答えたが、スマートフォンにあるクロノの写真を見る回数を思えば、貼ってしまった方が効率がいいかもしれない。次に部屋に来たクロノの前で開き直ったとて、アカバの何かが損なわれるわけでもあるまいし。
「……ばかばかしい」
 アカバはごろりと寝返りを打った。
 アカバが自分の写真を飾っているのを知ったクロノが、口の形を変えただけの不器用な笑顔を浮かべる。すべては想像だ。クロノが喜ぶところを想像するだけで、アカバはうれしくなれるようになってしまった。これを恋と呼ぶのかは分からない。だが愛着は間違いなくある。今クロノから別れを切り出されたら、清々するとは思わないだろう。たぶんショックを受ける。
「わしは何を考えとるんじゃ!?」
 アカバは驚き声を上げた。起きてもいないことを考えるなど自分らしくもない。起こったことへの対処を最速ですればいいのだ。訓練の疲れもあってすっかり沈んでしまっていた。
「さては腹が減っとるんじゃな?」
 アカバは手足を伸ばし、反動をつけて起き上がった。

「シライさんじゃ……!」
 人で賑わう食堂。食べ終わった食器を返しに行ったアカバは、同じようにトレーを持ったシライを見つけた。
 何という幸運! アカバは素早く移動して、礼儀を失さない距離で一旦立ち止まり、ゆっくりと距離を詰めた。シライの存在に気づいたのが食事が終わってからでよかった。先に憧れの人の姿を見つけてしまっていたら、食べるどころではなかったかもしれない。
「シライさん、お疲れ様です!」
「おう、アカバか。お疲れ」
「聞きましたよ。今年の模擬戦、シライさんもコーチとして参加しとるって。わしももう一年遅く入れば、シライさんに相手してもらえたんじゃろうか」
 掛け値なしの本音だ。新人が羨ましい。カトラリーを専用ボックスに、食器とトレーをそれぞれ返却用レーンに置いたアカバは、シライと一緒に返却コーナーを離れる。
「別に混じりに来ても構わねぇぞ。現役が来てまじぃってことはねぇだろ。入隊前のやつに負けるのはあるまじきことだけどな」
「そんなん言われたらほんまに行ってまいますよ。わし隊長に怒られるのはいやじゃ」
「大丈夫だって、雑用させられるだけで済む」
「雑用は勘弁してほしいのぅ……。あ、わしは寮に戻るんでここで」
 アカバは食堂を出たところでシライに軽く会釈をしたが、シライの視線に物言いたげなものを感じて足を止めた。
 滞在者がリラックスできるような気配りが随所にある食堂を一歩出れば、本部のどこを切り取っても変わらない、均質で硬質な廊下が続いている。電灯の配置は暗い場所ができないよう図られていて、シライの表情が暗く見えるのは、シライの髪型と心理的な要素によるものだ。
「おれはアカバはもっと顔に出やすいと思ってた」
「シライさんに言われると面映いの」
 シライの顔が暗いのは今に始まったことではない。それこそ後光が差して見えるくらい朗らかな表情も知っているアカバは、明るさを肩代わりするように笑った。退路を探ってしまったことが悔しい。
「クロノが不満か?」
「まさか。毎日楽しいです」
「……」
「あぁ、なんじゃ」
 そのことか。アカバはクロノはそんなことまでシライに話しているのかと一瞬呆れたが、特定の任務に向けた修行だったと考えれば、報告していてもおかしくない。それかもっと単純に、人生の先輩に悩みとして相談したのかもしれない。クロノのやつはなぜわしに直接言わんのじゃ――と続けて浮かんだ不満のあまりの「それっぽさ」に、アカバはその場でうずくまりそうになった。
 シライの対処が先決だ。アカバは上目遣いにシライを見上げる。
「……このこと、クロノは知っとりますか?」
「いいや、おれの独断だ」
「分かりました。クロノと話してみます。ありがとうございます」
「すま――」
「シライさん!」
 アカバはシライの言葉を遮った。アカバの人生、シライの言葉に聞き惚れることはあっても、遮ろうと思ったことは一度もない。それでも声を上げずにはいられなかった。はっとした顔をしたシライを見て、アカバは案外だだ漏れの人だという感想を抱く。
「シライさんはわしの憧れなんじゃ」
 アカバはシライの発言を止めた理由を告げる代わりに、もう幾度となく口にしている事実を口にした。すべてはクロノのせいだ。歯噛みしたい思いを胸の奥の深い深い場所に沈める。シライに助けられたあの日こそが人生の始まりで、憧憬は憧憬のままにしておきたかった。
「……呼び止めて悪かった」
「いいえ! 話せてよかったです。いつかわしにも稽古つけたってください!」

   ◇

シライおじさんからお土産だ。このビスケットはすごくコーヒーに合う」
 持ってきた箱を見せる気があるのかないのか、クロノはクッションに座るなり箱の蓋を開け、アカバの前にとんと置いた。アカバはシライの行き先を知らないが、転送を伴う任務で土産など買ってこられるはずがなく、ほとんど現場に出ることのないゴローのように、ターゲットの救出以外の仕事に行ったのだろう。
 空色をした箱の中身は大ぶりなビスケットだ。種類が違うらしく、詰められたビスケットそれぞれの色が微妙に違う。首を傾けて見ると、ビスケットの間にクリームが挟まっているのが見えた。つまりはビスケットサンドだ。全部で十個で、色を頼りに考えれば味は五種類。一個ずつフィルムに包まれていて、すぐに食べる必要はなさそうだった。
「好物なんじゃろ? おまえだけで食わんでいいのか?」
「二人で食べろって。おれはこんなに食べないし、おいしいからアカバにも食べてほしい。ちなみにシライおじさんはいつも自分用にもう一箱買ってくる」
 クロノに言わでもの情報を付け足され、アカバは頭を抱えた。クロノが一箱もいらないということは、シライは自分用の一箱に加えて、クロノが余らせる分も食べるということだ。
「おまえと付き合うとるとシライさんのイメージが壊れる一方じゃ」
「アカバの思うシライおじさんは贔屓目が過ぎると思うぞ」
「なんじゃマウントか?」
「違う!」
 アカバがじとりとした目で見ると、クロノは勢いよく否定した。その様子がおもしろくて、アカバは自分から湯を沸かしに行ってやることにする。クロノの部屋と違い、アカバの部屋のコーヒーはコーヒーポーションしかない。クロノがアカバを自分の部屋に呼ばなかったということは、それで構わないということだろう。
 ほとんど使わないせいで新品同様の状態のミニキッチンに立ったアカバは、電気ケトルのスイッチを押して、水切りカゴのカップを取り、引き出しからもう一つ取り出した。揃いでも何でもないカップはどちらもアカバの私物だ。
「おまえの口からシライさんのことを聞くのは久しぶりじゃ」
「それは……アカバが嫌がるから……」
「なんじゃわしのせいか? 付き合うてから、わしが嫌な顔をしたことがあったか?」
 クロノの顔が見えないのをいいことに、アカバは言いたいことを言った。
「……ない」
「きちんと人を見んから対人戦の戦績がどんケツなんじゃ。それでよぉわしのことが好きと言うたもんじゃ」
 アカバはコーヒーポーションをカップに注いで、ゴミ箱のペダルを踏んで空になった容器を捨てた。二杯分ギリギリの水量で仕掛けた電気ケトルがボコボコと音を立てるのを聞いて、安全装置が作動する前に取り上げる。カップに湯を注ぐと、あたりにコーヒーの香ばしい匂いが広がった。
「そんな我慢した状態で付き合うてもおもしろくないじゃろ」
 カップを手にクロノの元に戻ったアカバは、カップを置いてから腰を下ろした。難敵に挑むように緊張感のある顔をしているクロノを一瞥し、ビスケットサンドを箱から一つ取り出す。一番味が分かりやすいチョコレート色を避けたから、ビスケットとクリームがチョコレート味ではないことは確かながら、何の味かまでは分からない。
「そりゃあ、おまえとシライさんの関係はどうかと思うとる。わしの常識じゃありえん話じゃ。じゃがそれは嫌だというのとは違うし、わしが傷ついとるわけでもない」
 クロノは猫舌ではない。アカバがコーヒーの入ったカップをクロノの方へ押しやると、クロノはやっと手に取った。小さな「ありがとう」が聞こえて、アカバは満足した。

 濃厚な味のビスケットサンドは食べごたえがあった。キャラメル味が一番好きだと言うクロノから味見のために一口もらって、もう一個はクロノに丸のまま残すことにする。全部一個ずつ分けるつもりだったらしいクロノは不服そうにしていたが、押し切ったアカバは、キャラメル味のビスケットサンドを自分の側に置くクロノが少しうれしそうにしたのを見逃さなかった。
「クロノ、手を出せ」
「なんだ?」
 コーヒーのカップを洗ったクロノが帰ってきたところで、アカバはクロノに右手を差し出した。
 素直に差し出されたクロノの右手は、水を触ったばかりだからひんやりしている。クロノが怪訝な顔をするのを無視して握り続けていると、クロノも同じくらいの力で握り返してきた。色っぽさも仲睦まじさもない、政治家がカメラの前でする握手と同じ状態だ。
「……」
「……?」
「…………やっぱりピンとこんのぅ……」
 アカバは深々と溜め息をついた。シライに言われたからというわけではないが、アカバはクロノとのセックスを前向きに考えるつもりだった。手始めに接触を持ってみたものの、具体的にどうという考えが浮かばない。指同士を交互に組む握り方に変えても触感以外に何が変わるでもなく、アカバはクロノの手を掴む手をにぎにぎと動かしながら壁に貼ったシライの写真を見るが、何の後押しにもならない。
 諦めて手を離そうとしたアカバは、クロノの顔を見て驚いた。真っ赤になっていたのだ。アカバは思わずクロノの手をぎゅっと握り直す。
「どうしたんじゃ?」
「どうもしない」
「どうもしないわけないじゃろ!?」
「どうもしない!」
 手を触るのは初めてではない。アカバは入隊半年後の合同任務から回想したが、付き合うと決めてからは一度も接触していないことに気がついた。アカバはクロノの手を握りたいわけではなかったから、付き合ってからも偶然に手や肩が触れるくらいがせいぜいだった。そしてクロノは初っ端からセックスしたいと言ってきたくせに、自分から触れてくることがなかったのだ。
「なんじゃクロノ、まさかおまえ照れとるんか!」
「照れるに決まってるだろ! おれはアカバが好きなんだぞ!」
 明らかに優位な状況にうれしくなったアカバが存分にからかう気で言うと、クロノは負けじと怒鳴り返してきた。逆ギレもいいところだったが、アカバの機嫌は傾かない。
「知っとる。最初に聞いた」
 アカバが手を離した瞬間、クロノの顔が途端に物足りなさそうなものに変わる。アカバはもう一度、今度は左手でクロノの手を握り直した。握手でもなく、恋人繋ぎでもない。ただ軽く掴んだだけだ。
 ひんやりしていたクロノの手は今や熱いくらいだ。繋ぎ方が違うという以外の理由で、最初とは異なるむずがゆいような感覚がある。アカバは「うん」と一人頷き、及び腰になっているクロノの手をぐっと握る。
「わしもおまえのことが好きじゃ」

投稿日:2024年6月18日
アカバはだだ漏れだって言うけど挿話の「スタビライザー」を踏まえるとこのシライは漏れてない方です。ビスケットサンドはこちらのビスキュイサンドをイメージして書きました。食べたことないんですけどね。