依存症の続きで、シライのリトライアイが修理可能と分かる前に思いついた話です。
離脱症状
別件ついでに多目的室で行うことが多いブリーフィングを、ゴローの部屋で行ったのは偶々だった。
「カウンセリングはまだ行ってねぇ」
一瞬の間。何の話なのか思い当たったらしいゴローは、どうすれば相手を威圧しないか模索するようにシライから視線を外した。
ゴローからカウンセリングの案内を受け取る際、報告する必要はないと言われている。しかも、シライは案内が入った封筒を開けてすらいない。封筒はシライの部屋にある書類トレーの上にあり、その後に受け取ったいくつかの書類の下敷きになっている。
「行ってみようという気があるのなら、今ここで予約していくか?」
ゴローが再びシライに目を向けて、尋ねる。
内容が内容だけに、報告の必要はないと突っぱねる気はないらしい。シライがカウンセリングに行っていないのは面倒だからという理由以外に何もなかったが、たった今、それをゴローに告げた理由は自分でも分かっていない。ゴローの気を引こうとしたのではなく、単にボトルネックの報告をしただけであるような気もする。言ってみたものの、気が楽になった感じはしなかった。
「気乗りしないならいい。手段の一つというだけだ」
シライが足元に視線を落としたのを躊躇いと取ったらしい。声が柔らかく聞こえたのは気のせいではないだろう。いつだって厳しい男にも、ときたま優しいときがある。そういうのは大体自分と相手の年の差を思い出しているときで、生きた年数が四半世紀を超え、後輩を抱える身となった今では、シライも身に覚えのある感覚だった。
「シライ」
椅子から立ち上がったゴローが応接ソファの方を目で指し示す。話と呼べるような話はないのに、ゴローは腰を据えて話す気らしかった。
「……いや」
「話さなくてもいい。少し休んでから行け」
ゴローが把握している通り、今日のシライはこの後すぐの予定がない。抗弁する気の失せたシライはのろのろと歩いて行き、どこのオフィスにでもあるようなありふれたデザインのソファに腰を下ろした。
活動が秘されているために、地下にある巻戻士本部への人の出入りは限られている。シライがゴローの部屋にある応接セットについて一体いつ使うのかと疑問に思っていたことを裏付けるように、ソファのクッションに使用感はなかった。
座り心地は悪くない。けれど、その場から動く気を失くすほど安らげるわけでもない。まさに応接用と言えるソファの上で、シライは気持ちを落ち着けるために軽く目を閉じた。
シライは人の気配が好きだった。人が話している声を聞くことも。
階級が上がるにつれて周囲を気遣うことを覚えて、ゴローに倣って休憩はピーク時を外して取るようになったが、食堂やカフェで顔を合わせた巻戻士の面々は案外フランクに話しかけてくる。輪の中に入れなくとも、自分と関わりのある人々が楽しげにしているところを見るのは、心が満たされる心地がした。談笑する仲間達を見るときに湧き上がる気持ちは、巻戻士になる前、自分を遠巻きにする学友達に対して抱いていた羨みや疎外感とは無縁だった。
「選択肢がなくてすまないな」
踏み入りかけた夢から引き戻されるように、シライはぱちりと目を開けた。
物音よりも香りに釣られてテーブルを見る。コーヒーの入った紙コップに続いて、スティックシュガーとコーヒーフレッシュが入れ物ごと置かれる。好きなだけ入れろという意味だろうが、さしものシライもあるだけ全部は必要ない。
「至れり尽くせりだな」
シライは皮肉に聞こえるように言ったが、本心ではないために、思ったより悪意を含ませられなかった。
何もかも見透かしているくせに何も響いていないような顔で、ゴローは向かいのソファに腰を下ろす。
「そうも訳ありの顔をされては構わざるを得ない」
「お優しいこって」
スティックシュガーの包みを次々に開けながら、シライは見なくても分かるゴローの渋面にほくそ笑んだ。コーラを好んで飲む人間でも、コーラに含まれているのと同量の砂糖を飲み物に入れるとなると躊躇うものだが、シライはその線を越えるのに躊躇いがない。いつも砂糖を入れずに飲むゴローからすれば信じられない光景だろう。
感心するほどスマートに開けられたジャケットのボタン。お手本のようなシャツの袖の長さに、膝の間で組まれたごつい指先。股間に移ろうとした視線を引き戻して、シライはゴローが用意した、誰が作っても同じ味になる企業努力の賜物に口をつけた。
今ここで、抱いてほしいと伝えたらどうなるだろう。
色だけは無糖と変わらないコーヒーの水面に目を落とし、シライは考える。
狭い組織だ。お世辞にも付き合いやすい性格をしているとは言えないシライですら、隊員から思いの丈を打ち明けられた経験がある。採用を絞っているわけでもないのに少数精鋭。職務内容どころか存在自体が特殊だから、出会うに任せた人間関係を築けるわけもなく、付き合う相手は自然と時空警察内に限られてくる。合同任務となると互いに命を預け合う場面まであるのだから、任務明けの関係の変化はある種の風物詩のようなものだ。
一過性の熱病。合同任務が上手くいきすぎた時にありがちなやつ。
シライは何度も自分の気持ちの一般化を試みてきたが、適当なラベルを付けられたとて、ゴローに対して募らせた感情が消えるわけではなかった。第一、頭にあるのは「付き合いたい」ではなく「ヤりたい」だ。ゴローに対して求めているのが自分より強い者への安心感なのか危機感なのかは分かっていないが、少なくとも、ハートの形をしたストローでドリンクを飲んだり、夜景を見たりしたいわけじゃない。欲しいのはいつも通りの生活プラス、セックスだ。
自分の頭が盛り上がっている原因がカフェインの興奮作用ではないことを分かりつつ、シライは飲みかけのコーヒーをテーブルに置いた。毎年の研修を思い出すまでもなく、職場の人間にセックスの話を持ちかけるのは御法度だ。それでも、この先ずっと「もし」を考え続けるより、この場で一発殴られて終わりにする方がいい気がしてくる。
「隊長」
何も考えずに呼べばこんな声になるのか。
自分の喉から転がり出た声のあまりの切実さにシライは笑った。笑えたはずだった。口の形は笑っているのに声にならない。シライはゆっくりと静かに息を吸う。この期に及んで平静を装うのは意地だった。ゴローに対して、それ以外の態度を取れる時期はとっくに過ぎている。
「一人で遊ぶのは退屈で仕方ねぇ。相手してくれねーか?」
傍迷惑な破滅願望。相も変わらずゴローの表情は変わらなかったが、シライは自分の意図が正確に伝わっていることを確信した。どんなにまともじゃない話でも、まともに取り合ってくれるのがゴローのよさだ。目を逸らすことで結果が変わってしまうことを恐れて、シライは逸らされることのないゴローの目を見続ける。
「……シライ」
言葉を切ったゴローは、まるで痛みを堪えるように目を伏せ、深く息を吸った。
「おまえの状況は理解する。だが、そのやり方では一時しのぎにもならない。別の方法を模索するべきだ」
予想の範囲内。シライは薄い笑みを浮かべたまま柔らかさのないソファに背中を預け、まだ言葉を続けるつもりらしいゴローを見つめる。
「おれは責任者として、おまえの置かれている状況が少しでもよくなるよう、できる限りの手を尽くそう」
「……さすが隊長、断りを入れるのも理を説くのも上手いな」
言った限りは、いや、言わなくたって、ゴローは手を尽くしてくれるだろう。シライの悩みはゴローが思っていたものではなかっただろうが、次に会うときには対策を引っさげてくるに違いない。実際に解決するかは脇に置いても、参ってしまっている隊員に対して、組織としてノウハウがないわけではないのだ。
シライは残っていたコーヒーを飲み干した。空になった紙コップをテーブルに戻せば、空気にそぐわない軽い音がした。片付けくらい甘えたっていいだろう。
「変な話して悪かった。おれの仕事量増やしてくれ。あと、久しぶりに隊長がメニュー組んだトレーニングやりてぇ」
先に吹っ掛けると希望が通りやすくなる。有名すぎて陳腐になっている手段だったが、ゴローはそう受け取ってはくれないだろう。
シライはゴローの膝の上で握られた拳を見ながら、殴られない物足りなさを思った。
- 投稿日:2025年9月9日