雑記帳

日記とか備忘録とかそういうの

#運命の巻戻士 スマホンとクロノ

「スマホンは通話できるのか?」
「できますよ。誰にかけますか?」
 スマホンが問い返すと、クロノは問いかけた口の形をしたまま動かなくなった。
 待ち時間の間、親しみやすさを与えるためだけに用意されたまばたきのアニメーションを再生していたスマホンは、長過ぎる沈黙に不自然さを感じて密かに探知機能を作動させる。ここはクロノの部屋の中だ。厳重なセキュリティに守られた本部の中でもある。クロックハンズの手が入っているとは考えられないが、万が一ということがある。
「聞いただけだ」
 クロノからあっけらかんと言われたのはその時だった。
「そうでしたか。クロノさんが動かなくなるから、何かあったのかと驚きました」
 スマホンはホッとした顔を画面に表示させた。
 クロノはベッドマットの側面に背中を預けている。一度断られてから提案していないが、床に座るのならラグや座布団を使う方が体にいい。求められればすぐに出せるよう、作成したリストは今もバックグラウンドで更新を続けている。
 クロノの部屋の家具は入居した日から増えていない。任務で弁償したものが一時的に置かれることはあるものの、基本的には初期状態が保たれていて、あとは机の上に図書室の本が出現するくらいか。
 動物図鑑に植物図鑑、地図帳に鉱物の本。本部の図書室に子供向けの本がほとんどないことを差し引いても、クロノの興味はヒト以外のことを書いた書物に向かっている。唯一私蔵している本は辞典で、クロノがそれを開くたび、スマホンは自分に聞いてくれればいいのにと思っている。
「誰の連絡先も知らないからかけられないだろ。あ、おじさんのは知ってるか」
「連絡先の閲覧について、クロノさんの権限を調べましょうか?」
「ううん、いいんだ。本当に聞いてみただけだから」
 スマホンが食い下がったのには理由がある。
 クロノは休日の大半をぼんやりして過ごしている。野生動物は餌を探している時と食べている時以外はほとんど寝ていると言うが、健康なヒトが同じ状態というのは少々心配になる状況だ。クロノの人生に巻戻士としての時間以外が存在しないことの危うさを、スマホンは新人教育AIとして、当事者であるクロノよりも理解していた。
「クロノさん……」
 一人でゆっくりと過ごしたいと言うのなら止めはしない。それもまた一つの休息の形だ。だが、通話機能の有無を確かめたということは、誰かと話したいということではないのだろうか。
「……トレーニングルームに行きますか? 誰かいるかもしれませんよ」
「うん」
 意識が向いているのだから生返事とは言わないが、同意と判断することはできない応答だ。スマホンはもう一度まばたきをして、判断を補強する材料の表出を待つ。蓄積されたデータを元にすると、クロノが今からトレーニングルームに行く可能性は限りなく低い。
 果たして立ち上がらなかったクロノは、分かりにくいなりに口角を上げた。
「スマホンと話したかったんだ」
「そうでしたか!」
 スマホンはぱっと画面の輝度を上げた。
「何の話をしますか? 本日のニュースから、クロノさんが興味を持ちそうな話題をピックアップします」
 スマホンは張り切って検索を始めた。任務後に充電したからバッテリーは満タンだ。CPUの温度も適正。クロノの役に立つために、何の不安もなかった。畳む


スマホンもモデルAみたいに一個の人格があってほしい気持ちと、感情を持ったアンドロイドが存在する世界であえてのAIなんだから感情を模しただけの別物であってほしい気持ちの両方がある。この話は後者です。
#運命の巻戻士 習作的なもの。シライとクロノ。

 カフェスペースの奥、壁面に据え付けられたカウンターに珍しい姿を見つけて、通り過ぎようとしていたシライは足を止めた。
 昼間ならば休憩や気分転換を兼ねた作業場として活気に満ちているこの場所も、夜に近づくにつれて静けさが幅を利かせだす。施設内の温度は巻戻士たちを万全の状態で送り出せるよう常に一定に保たれていたが、誰もいないというだけで体感温度は一、二度低くなる。
「クロノ」
「おじさん」
「お兄さんだ。どうした、こんなところで」
 任務終了後、次の任務を与えられるまでのインターバルの中に、高負荷のトレーニングが禁止されている期間がある。生憎シライは特級巻戻士を冠していた間、インターバル制度の恩恵にあずかれたことはなかったが、高負荷トレーニング禁止期間の存在は知っていた。
 肉体を追い込むことで精神的な傷から目をそらしても、その先に待つのは破滅以外にない。適切なカウンセリングを受けた結果の休職と、それに伴う慢性的な人手不足。シライに付けられた管理監督者に準ずる役職は、労務部門の小言をかわすための方便で、シライは現場に出る以外の仕事をしたことはなかった。
疲れ(・・・)ていないと寝付かれ(・・・)ないか?」
「……」
 初任務はつつがなく終わったと聞いている。クロノの手元にあるドリンクは、館内の自動販売機ではなく、外で買ってきたものだ。本部を出て左に進んだ先の角にある店のロゴが入った蓋付きカップ。カップの外見からホットドリンクだと推察できるものの、何を飲んでいるのかまでは分からない。
 平時のクロノの表情に覇気がないのは今に始まったことではないし、自分も人のことは言えない。シライはじっと見てくるクロノの瞳を見つめ返しながら、不調の兆しがないかを探った。精神の強さは贔屓目なしに折り紙付き。それでも、クロノが子供なのだということを忘れる気はなかった。
「別に、いつでも寝られる」
「そうか」
 先に目をそらしたのはクロノの方だった。
 事実として、クロノの寝付きは驚くほどにいい。巻戻士に必要な、後付けで身に付けることが難しい技能だ。クロノの持つそれが生来のものか後天的なものなのかは、巻戻士を目指す前のクロノを知らないシライには分からない。
「何を飲んでいるんだ?」
「コーヒー」
「へえ、大人だな。おれは飲めない」
 本当かという目を向けてきたクロノに、シライは軽く頷いた。
「嘘をつく意味がないだろう。おまえ相手に取りつくろう必要もない」
「おじさん結構抜けてるもんな」
 春の日差しのようにうららかで、悪意のない眼差しだった。あまり見る機会のない和やかな表情に気を取られ、ツッコミが遅れたシライを尻目に、クロノはカップに手を添える。
「ミルクと砂糖が入ってる。なしだとまだ飲めなかった」
 悔しさも何も含まない、課したトレーニングの進捗報告じみた口調だった。
「この時間にコーヒーは眠れなくなるぞ。怖い夢でも見たか?」
「……いい夢だった」
 嘘ではないと言うように、クロノは下手くそな笑顔をシライに向けた。
 夢は記憶のデフラグだという。いい夢と言いつつ眠ることを躊躇うクロノの記憶に、シライには一つしか心当たりがない。
 シライは不得手な自覚のある慰めを口にする代わりに、巣立ったばかりの弟子の頭をひと撫でした。寝る子は育つと言える空気ではない。
 撫でられているクロノは全くうれしそうではなかったが、嫌がられていないことだけは確かだった。畳む



タイトルを付けるなら「寝る子は巣立つ」かな。何がつらいってシライのだじゃれノルマですよ。
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