#運命の巻戻士 前に書いたクロトキ(こちら。R18作品です)の続きのR18、寝かせすぎてお蔵入りしそうなので一回出しておきます。
#運命の巻戻士 Twitter2024年8月10日 10:48に言った「事故で死ぬのがトキネじゃなくクロノな方の世界で、毎年ふらりと訪ねてくるシライと兄の死を悼み続けるために形だけの結婚をしたトキネが、初夜に儀式的にセックスしようとして勃たずに謝るシライのごめんがどうしても兄に対するものに聞こえてしまうやつ」を書こうとしたんですが、トキネが後ろ向きなん落ち着かんなぁ!ってなったから供養。
#追記 2024/08/14 9:42 結婚後の生活を足しました。
「わたしと結婚しませんか」
プロポーズはトキネからだった。
シライの人となりを十分に知っているとは言い難い。
なにせシライは年に一度、兄の命日に訪ねてくるだけの男だったから。
兄が命を落とした場所で待ち合わせて、トキネの家まで案内する。途中で買うお供えは、トキネの好みに合わせて買い求められる。最初に聞いた「知恵を貸してくれ、菓子だけに」というダジャレは全く上手くなかったけれど、買ってくれるお菓子はいつもおいしい。それだけに、兄の感想が聞けないことが寂しい。
家までの移動時間と、二つ折りにした線香が燃え尽きるまでを十二回分。
それが、トキネがシライと過ごした時間の全てだった。
兄の葬儀はこじんまりとしたものだった。
トキネが生まれるよりずっと前に流行した感染症の影響で、葬儀は身内だけで行われることが主流になっていたが、もし大々的にやったとしても、参列者は少なかったに違いない。トキネは兄が友達と遊んでいるところを見たことがなかったし、友達の話を聞いたこともなかった。
当時のトキネは小さくて、両親と兄の担任が話している内容は半分も理解できなかったけれど、家を出るときの担任が、どことなくホッとした様子だったことを覚えている。そのせいか、それとも違うのか、通夜も告別式も、子供はトキネだけだった。
棺に収められた兄の顔は穏やかで、暗い顔ばかり見ていたトキネには、知らない人であるように見えた。
去りどきが分からないでいるところを母に背中を押されて、元の席に戻る。
シライを見たのは、そのときが初めてだったと思う。
視線を感じて顔を上げて、知らない大人と目が合ったのだ。紫がかった黒髪の、黒猫みたいな黄色い目の人。今なら目礼でもして済ませるところを、トキネは驚き立ち止まってしまった。その日トキネに話しかける大人は一様に、トキネと目を合わせないようにしていたから。母が肩に手を添えてこなければ、そのまま立ち尽くしていたかもしれない。
焼香の列が切れ目なく続いて、両親に倣って頭を下げる。
シライの背中を見たトキネは「さっきのひとだ」と思ったけれど、その日はもう目が合わなかった。
命日は必ず平日になるわけではない。
一周忌、三回忌、七回忌。法事は先に延ばさないという、誰が始めたのか分からない慣例に則って、両親は年忌法要を仕事の都合がつく日に前倒しで執り行った。命日は命日で手を合わせるし、月命日だって朝晩にだって兄の写真を見ているから、法要は両親の言う通り「そういうもの」なのだとトキネは理解している。お宮参りと七五三に神社で撮った写真があるし、クリスマスには毎年ケーキを食べる。小さい頃にはハロウィンだってやっていた。
だから毎年きっちり命日に現れるシライは、トキネから見れば不思議な存在だった。
七月七日の、兄が死亡した時刻。
トキネは最初それを覚えていなかったが、毎年シライが同じ時刻に現れるものだから、逆に覚えてしまった。
七回忌を翌年に控えた頃にはトキネも中学生で、少しは物事が分かるようになっていたから、シライに七回忌法要があるらしいことを告げ、家族だけでするものだけどよければ、と誘ったのだ。一年先の話で、土日にやるということ以外、詳しいことは決まっていなかったけれど。
その時のシライの答えは否だった。
トキネの家のダイニングテーブルについたシライは、先ほど手を合わせたばかりの兄の写真を寂しそうな顔で見てから、「この時間以外来られねえんだ」と首を振った。シライは元々浮世離れした感のある人間だったが、そのときトキネは幽霊を見ているようだと思った。
驚いたときのシライは、急に人間に出会った猫のような顔をする。
トキネがプロポーズをしたのはこれが初めてだったが、シライが断ろうとしているということは分かった。後学のために断り文句を聞いてみたい気がしたが、反論を用意するのが面倒だ。
「おじさん結婚してる?」
「いや」
「だよね、指輪してないもん」
「……しない人もいるだろ」
「でもしてないんだよね」
「からかうのはよせ。トキネちゃんとおれじゃ年が離れすぎてる」
「お兄ちゃんならよかった?」
「……!」
分かりやすい反応だった。
シライはたぶん、トキネの――トキネの兄の前を、自分の感情を隠さなくていい場所だと思っている。十二年分の積み重ねを裏切るようで胸は傷むが、トキネとしては今決めてしまいたかった。
前を向きたくないわけじゃない。ただずっと、兄のことを思っていたかった。
◇
シライはトキネが実家から持ち出した写真を、一枚一枚、目に焼き付けるように見ていた。風呂から上がったトキネが続きは明日にしたらと言っても、もう少しだけと繰り返すばかりで、一向にモニターの前を離れない。
諦めたトキネが隣に座ると、シライはこれ幸いとばかりに、写真にまつわる思い出話をねだってきた。トキネとしても兄の話ができるのはやぶさかではないから、記憶を手繰り寄せて話をする。話の取り散らかり方は子供を相手にするのにも似ていて、これではどちらが年上だか分からない。
トキネが実家にいた頃、訪ねてきたシライにシライと兄の思い出を聞かせてほしいと言っても、シライは困った顔をするだけだった。「トキネちゃんに言えることじゃねえんだけど」という前置きと共に聞かされた「気持ちの整理がついていない」という言葉は、確かに肉親相手に言うには不適切だ。
それでもトキネがシライを兄の知り合いであると信じて疑わなかったのは、リビングに飾られた兄の遺影を見るシライの目が、懇意にした相手でなければありえないほどに柔らかかったからだ。トキネは兄のことをそんな風に愛しげに見る人間を、両親の他に知らなかった。
「おじさん、そろそろ寝ないと。明日も仕事でしょ?」
「トキネちゃんは?」
「わたしはお休み!」
「じゃあもう少しいいだろ」
「もー、知らないからね」
トキネはシライが何の仕事をしているのか知らない。毎朝ふらりと出て行って、夜に帰って来ることもあるし、日をまたぐことも珍しくない。弔問するシライがスーツを着ていたのは、仕事帰りだからではなくわざわざなのだと知ったのは、一緒に住むようになってからだ。
目の下の隈の濃さを見れば、シライが眠れていないのは明らかだった。
トキネがシライの寝顔を見たのは結婚初夜。「そういうものだから」という理由でしようとしたセックスに失敗して、裸で抱き合って眠ったその日だけだ。
シライの体を抱いて、同時に抱かれているとき、トキネは自分が兄に向けている感情に、珍しくもない名前が付いていることを知った。畳む
#追記 2024/08/14 9:42 結婚後の生活を足しました。
「わたしと結婚しませんか」
プロポーズはトキネからだった。
シライの人となりを十分に知っているとは言い難い。
なにせシライは年に一度、兄の命日に訪ねてくるだけの男だったから。
兄が命を落とした場所で待ち合わせて、トキネの家まで案内する。途中で買うお供えは、トキネの好みに合わせて買い求められる。最初に聞いた「知恵を貸してくれ、菓子だけに」というダジャレは全く上手くなかったけれど、買ってくれるお菓子はいつもおいしい。それだけに、兄の感想が聞けないことが寂しい。
家までの移動時間と、二つ折りにした線香が燃え尽きるまでを十二回分。
それが、トキネがシライと過ごした時間の全てだった。
兄の葬儀はこじんまりとしたものだった。
トキネが生まれるよりずっと前に流行した感染症の影響で、葬儀は身内だけで行われることが主流になっていたが、もし大々的にやったとしても、参列者は少なかったに違いない。トキネは兄が友達と遊んでいるところを見たことがなかったし、友達の話を聞いたこともなかった。
当時のトキネは小さくて、両親と兄の担任が話している内容は半分も理解できなかったけれど、家を出るときの担任が、どことなくホッとした様子だったことを覚えている。そのせいか、それとも違うのか、通夜も告別式も、子供はトキネだけだった。
棺に収められた兄の顔は穏やかで、暗い顔ばかり見ていたトキネには、知らない人であるように見えた。
去りどきが分からないでいるところを母に背中を押されて、元の席に戻る。
シライを見たのは、そのときが初めてだったと思う。
視線を感じて顔を上げて、知らない大人と目が合ったのだ。紫がかった黒髪の、黒猫みたいな黄色い目の人。今なら目礼でもして済ませるところを、トキネは驚き立ち止まってしまった。その日トキネに話しかける大人は一様に、トキネと目を合わせないようにしていたから。母が肩に手を添えてこなければ、そのまま立ち尽くしていたかもしれない。
焼香の列が切れ目なく続いて、両親に倣って頭を下げる。
シライの背中を見たトキネは「さっきのひとだ」と思ったけれど、その日はもう目が合わなかった。
命日は必ず平日になるわけではない。
一周忌、三回忌、七回忌。法事は先に延ばさないという、誰が始めたのか分からない慣例に則って、両親は年忌法要を仕事の都合がつく日に前倒しで執り行った。命日は命日で手を合わせるし、月命日だって朝晩にだって兄の写真を見ているから、法要は両親の言う通り「そういうもの」なのだとトキネは理解している。お宮参りと七五三に神社で撮った写真があるし、クリスマスには毎年ケーキを食べる。小さい頃にはハロウィンだってやっていた。
だから毎年きっちり命日に現れるシライは、トキネから見れば不思議な存在だった。
七月七日の、兄が死亡した時刻。
トキネは最初それを覚えていなかったが、毎年シライが同じ時刻に現れるものだから、逆に覚えてしまった。
七回忌を翌年に控えた頃にはトキネも中学生で、少しは物事が分かるようになっていたから、シライに七回忌法要があるらしいことを告げ、家族だけでするものだけどよければ、と誘ったのだ。一年先の話で、土日にやるということ以外、詳しいことは決まっていなかったけれど。
その時のシライの答えは否だった。
トキネの家のダイニングテーブルについたシライは、先ほど手を合わせたばかりの兄の写真を寂しそうな顔で見てから、「この時間以外来られねえんだ」と首を振った。シライは元々浮世離れした感のある人間だったが、そのときトキネは幽霊を見ているようだと思った。
驚いたときのシライは、急に人間に出会った猫のような顔をする。
トキネがプロポーズをしたのはこれが初めてだったが、シライが断ろうとしているということは分かった。後学のために断り文句を聞いてみたい気がしたが、反論を用意するのが面倒だ。
「おじさん結婚してる?」
「いや」
「だよね、指輪してないもん」
「……しない人もいるだろ」
「でもしてないんだよね」
「からかうのはよせ。トキネちゃんとおれじゃ年が離れすぎてる」
「お兄ちゃんならよかった?」
「……!」
分かりやすい反応だった。
シライはたぶん、トキネの――トキネの兄の前を、自分の感情を隠さなくていい場所だと思っている。十二年分の積み重ねを裏切るようで胸は傷むが、トキネとしては今決めてしまいたかった。
前を向きたくないわけじゃない。ただずっと、兄のことを思っていたかった。
◇
シライはトキネが実家から持ち出した写真を、一枚一枚、目に焼き付けるように見ていた。風呂から上がったトキネが続きは明日にしたらと言っても、もう少しだけと繰り返すばかりで、一向にモニターの前を離れない。
諦めたトキネが隣に座ると、シライはこれ幸いとばかりに、写真にまつわる思い出話をねだってきた。トキネとしても兄の話ができるのはやぶさかではないから、記憶を手繰り寄せて話をする。話の取り散らかり方は子供を相手にするのにも似ていて、これではどちらが年上だか分からない。
トキネが実家にいた頃、訪ねてきたシライにシライと兄の思い出を聞かせてほしいと言っても、シライは困った顔をするだけだった。「トキネちゃんに言えることじゃねえんだけど」という前置きと共に聞かされた「気持ちの整理がついていない」という言葉は、確かに肉親相手に言うには不適切だ。
それでもトキネがシライを兄の知り合いであると信じて疑わなかったのは、リビングに飾られた兄の遺影を見るシライの目が、懇意にした相手でなければありえないほどに柔らかかったからだ。トキネは兄のことをそんな風に愛しげに見る人間を、両親の他に知らなかった。
「おじさん、そろそろ寝ないと。明日も仕事でしょ?」
「トキネちゃんは?」
「わたしはお休み!」
「じゃあもう少しいいだろ」
「もー、知らないからね」
トキネはシライが何の仕事をしているのか知らない。毎朝ふらりと出て行って、夜に帰って来ることもあるし、日をまたぐことも珍しくない。弔問するシライがスーツを着ていたのは、仕事帰りだからではなくわざわざなのだと知ったのは、一緒に住むようになってからだ。
目の下の隈の濃さを見れば、シライが眠れていないのは明らかだった。
トキネがシライの寝顔を見たのは結婚初夜。「そういうものだから」という理由でしようとしたセックスに失敗して、裸で抱き合って眠ったその日だけだ。
シライの体を抱いて、同時に抱かれているとき、トキネは自分が兄に向けている感情に、珍しくもない名前が付いていることを知った。畳む
#運命の巻戻士 スマホンとクロノ
「スマホンは通話できるのか?」
「できますよ。誰にかけますか?」
スマホンが問い返すと、クロノは問いかけた口の形をしたまま動かなくなった。
待ち時間の間、親しみやすさを与えるためだけに用意されたまばたきのアニメーションを再生していたスマホンは、長過ぎる沈黙に不自然さを感じて密かに探知機能を作動させる。ここはクロノの部屋の中だ。厳重なセキュリティに守られた本部の中でもある。クロックハンズの手が入っているとは考えられないが、万が一ということがある。
「聞いただけだ」
クロノからあっけらかんと言われたのはその時だった。
「そうでしたか。クロノさんが動かなくなるから、何かあったのかと驚きました」
スマホンはホッとした顔を画面に表示させた。
クロノはベッドマットの側面に背中を預けている。一度断られてから提案していないが、床に座るのならラグや座布団を使う方が体にいい。求められればすぐに出せるよう、作成したリストは今もバックグラウンドで更新を続けている。
クロノの部屋の家具は入居した日から増えていない。任務で弁償したものが一時的に置かれることはあるものの、基本的には初期状態が保たれていて、あとは机の上に図書室の本が出現するくらいか。
動物図鑑に植物図鑑、地図帳に鉱物の本。本部の図書室に子供向けの本がほとんどないことを差し引いても、クロノの興味はヒト以外のことを書いた書物に向かっている。唯一私蔵している本は辞典で、クロノがそれを開くたび、スマホンは自分に聞いてくれればいいのにと思っている。
「誰の連絡先も知らないからかけられないだろ。あ、おじさんのは知ってるか」
「連絡先の閲覧について、クロノさんの権限を調べましょうか?」
「ううん、いいんだ。本当に聞いてみただけだから」
スマホンが食い下がったのには理由がある。
クロノは休日の大半をぼんやりして過ごしている。野生動物は餌を探している時と食べている時以外はほとんど寝ていると言うが、健康なヒトが同じ状態というのは少々心配になる状況だ。クロノの人生に巻戻士としての時間以外が存在しないことの危うさを、スマホンは新人教育AIとして、当事者であるクロノよりも理解していた。
「クロノさん……」
一人でゆっくりと過ごしたいと言うのなら止めはしない。それもまた一つの休息の形だ。だが、通話機能の有無を確かめたということは、誰かと話したいということではないのだろうか。
「……トレーニングルームに行きますか? 誰かいるかもしれませんよ」
「うん」
意識が向いているのだから生返事とは言わないが、同意と判断することはできない応答だ。スマホンはもう一度まばたきをして、判断を補強する材料の表出を待つ。蓄積されたデータを元にすると、クロノが今からトレーニングルームに行く可能性は限りなく低い。
果たして立ち上がらなかったクロノは、分かりにくいなりに口角を上げた。
「スマホンと話したかったんだ」
「そうでしたか!」
スマホンはぱっと画面の輝度を上げた。
「何の話をしますか? 本日のニュースから、クロノさんが興味を持ちそうな話題をピックアップします」
スマホンは張り切って検索を始めた。任務後に充電したからバッテリーは満タンだ。CPUの温度も適正。クロノの役に立つために、何の不安もなかった。畳む
スマホンもモデルAみたいに一個の人格があってほしい気持ちと、感情を持ったアンドロイドが存在する世界であえてのAIなんだから感情を模しただけの別物であってほしい気持ちの両方がある。この話は後者です。
「スマホンは通話できるのか?」
「できますよ。誰にかけますか?」
スマホンが問い返すと、クロノは問いかけた口の形をしたまま動かなくなった。
待ち時間の間、親しみやすさを与えるためだけに用意されたまばたきのアニメーションを再生していたスマホンは、長過ぎる沈黙に不自然さを感じて密かに探知機能を作動させる。ここはクロノの部屋の中だ。厳重なセキュリティに守られた本部の中でもある。クロックハンズの手が入っているとは考えられないが、万が一ということがある。
「聞いただけだ」
クロノからあっけらかんと言われたのはその時だった。
「そうでしたか。クロノさんが動かなくなるから、何かあったのかと驚きました」
スマホンはホッとした顔を画面に表示させた。
クロノはベッドマットの側面に背中を預けている。一度断られてから提案していないが、床に座るのならラグや座布団を使う方が体にいい。求められればすぐに出せるよう、作成したリストは今もバックグラウンドで更新を続けている。
クロノの部屋の家具は入居した日から増えていない。任務で弁償したものが一時的に置かれることはあるものの、基本的には初期状態が保たれていて、あとは机の上に図書室の本が出現するくらいか。
動物図鑑に植物図鑑、地図帳に鉱物の本。本部の図書室に子供向けの本がほとんどないことを差し引いても、クロノの興味はヒト以外のことを書いた書物に向かっている。唯一私蔵している本は辞典で、クロノがそれを開くたび、スマホンは自分に聞いてくれればいいのにと思っている。
「誰の連絡先も知らないからかけられないだろ。あ、おじさんのは知ってるか」
「連絡先の閲覧について、クロノさんの権限を調べましょうか?」
「ううん、いいんだ。本当に聞いてみただけだから」
スマホンが食い下がったのには理由がある。
クロノは休日の大半をぼんやりして過ごしている。野生動物は餌を探している時と食べている時以外はほとんど寝ていると言うが、健康なヒトが同じ状態というのは少々心配になる状況だ。クロノの人生に巻戻士としての時間以外が存在しないことの危うさを、スマホンは新人教育AIとして、当事者であるクロノよりも理解していた。
「クロノさん……」
一人でゆっくりと過ごしたいと言うのなら止めはしない。それもまた一つの休息の形だ。だが、通話機能の有無を確かめたということは、誰かと話したいということではないのだろうか。
「……トレーニングルームに行きますか? 誰かいるかもしれませんよ」
「うん」
意識が向いているのだから生返事とは言わないが、同意と判断することはできない応答だ。スマホンはもう一度まばたきをして、判断を補強する材料の表出を待つ。蓄積されたデータを元にすると、クロノが今からトレーニングルームに行く可能性は限りなく低い。
果たして立ち上がらなかったクロノは、分かりにくいなりに口角を上げた。
「スマホンと話したかったんだ」
「そうでしたか!」
スマホンはぱっと画面の輝度を上げた。
「何の話をしますか? 本日のニュースから、クロノさんが興味を持ちそうな話題をピックアップします」
スマホンは張り切って検索を始めた。任務後に充電したからバッテリーは満タンだ。CPUの温度も適正。クロノの役に立つために、何の不安もなかった。畳む
スマホンもモデルAみたいに一個の人格があってほしい気持ちと、感情を持ったアンドロイドが存在する世界であえてのAIなんだから感情を模しただけの別物であってほしい気持ちの両方がある。この話は後者です。
#運命の巻戻士 習作的なもの。シライとクロノ。
カフェスペースの奥、壁面に据え付けられたカウンターに珍しい姿を見つけて、通り過ぎようとしていたシライは足を止めた。
昼間ならば休憩や気分転換を兼ねた作業場として活気に満ちているこの場所も、夜に近づくにつれて静けさが幅を利かせだす。施設内の温度は巻戻士たちを万全の状態で送り出せるよう常に一定に保たれていたが、誰もいないというだけで体感温度は一、二度低くなる。
「クロノ」
「おじさん」
「お兄さんだ。どうした、こんなところで」
任務終了後、次の任務を与えられるまでのインターバルの中に、高負荷のトレーニングが禁止されている期間がある。生憎シライは特級巻戻士を冠していた間、インターバル制度の恩恵にあずかれたことはなかったが、高負荷トレーニング禁止期間の存在は知っていた。
肉体を追い込むことで精神的な傷から目をそらしても、その先に待つのは破滅以外にない。適切なカウンセリングを受けた結果の休職と、それに伴う慢性的な人手不足。シライに付けられた管理監督者に準ずる役職は、労務部門の小言をかわすための方便で、シライは現場に出る以外の仕事をしたことはなかった。
「疲れていないと寝付かれないか?」
「……」
初任務はつつがなく終わったと聞いている。クロノの手元にあるドリンクは、館内の自動販売機ではなく、外で買ってきたものだ。本部を出て左に進んだ先の角にある店のロゴが入った蓋付きカップ。カップの外見からホットドリンクだと推察できるものの、何を飲んでいるのかまでは分からない。
平時のクロノの表情に覇気がないのは今に始まったことではないし、自分も人のことは言えない。シライはじっと見てくるクロノの瞳を見つめ返しながら、不調の兆しがないかを探った。精神の強さは贔屓目なしに折り紙付き。それでも、クロノが子供なのだということを忘れる気はなかった。
「別に、いつでも寝られる」
「そうか」
先に目をそらしたのはクロノの方だった。
事実として、クロノの寝付きは驚くほどにいい。巻戻士に必要な、後付けで身に付けることが難しい技能だ。クロノの持つそれが生来のものか後天的なものなのかは、巻戻士を目指す前のクロノを知らないシライには分からない。
「何を飲んでいるんだ?」
「コーヒー」
「へえ、大人だな。おれは飲めない」
本当かという目を向けてきたクロノに、シライは軽く頷いた。
「嘘をつく意味がないだろう。おまえ相手に取りつくろう必要もない」
「おじさん結構抜けてるもんな」
春の日差しのようにうららかで、悪意のない眼差しだった。あまり見る機会のない和やかな表情に気を取られ、ツッコミが遅れたシライを尻目に、クロノはカップに手を添える。
「ミルクと砂糖が入ってる。なしだとまだ飲めなかった」
悔しさも何も含まない、課したトレーニングの進捗報告じみた口調だった。
「この時間にコーヒーは眠れなくなるぞ。怖い夢でも見たか?」
「……いい夢だった」
嘘ではないと言うように、クロノは下手くそな笑顔をシライに向けた。
夢は記憶のデフラグだという。いい夢と言いつつ眠ることを躊躇うクロノの記憶に、シライには一つしか心当たりがない。
シライは不得手な自覚のある慰めを口にする代わりに、巣立ったばかりの弟子の頭をひと撫でした。寝る子は育つと言える空気ではない。
撫でられているクロノは全くうれしそうではなかったが、嫌がられていないことだけは確かだった。畳む
タイトルを付けるなら「寝る子は巣立つ」かな。何がつらいってシライのだじゃれノルマですよ。
カフェスペースの奥、壁面に据え付けられたカウンターに珍しい姿を見つけて、通り過ぎようとしていたシライは足を止めた。
昼間ならば休憩や気分転換を兼ねた作業場として活気に満ちているこの場所も、夜に近づくにつれて静けさが幅を利かせだす。施設内の温度は巻戻士たちを万全の状態で送り出せるよう常に一定に保たれていたが、誰もいないというだけで体感温度は一、二度低くなる。
「クロノ」
「おじさん」
「お兄さんだ。どうした、こんなところで」
任務終了後、次の任務を与えられるまでのインターバルの中に、高負荷のトレーニングが禁止されている期間がある。生憎シライは特級巻戻士を冠していた間、インターバル制度の恩恵にあずかれたことはなかったが、高負荷トレーニング禁止期間の存在は知っていた。
肉体を追い込むことで精神的な傷から目をそらしても、その先に待つのは破滅以外にない。適切なカウンセリングを受けた結果の休職と、それに伴う慢性的な人手不足。シライに付けられた管理監督者に準ずる役職は、労務部門の小言をかわすための方便で、シライは現場に出る以外の仕事をしたことはなかった。
「疲れていないと寝付かれないか?」
「……」
初任務はつつがなく終わったと聞いている。クロノの手元にあるドリンクは、館内の自動販売機ではなく、外で買ってきたものだ。本部を出て左に進んだ先の角にある店のロゴが入った蓋付きカップ。カップの外見からホットドリンクだと推察できるものの、何を飲んでいるのかまでは分からない。
平時のクロノの表情に覇気がないのは今に始まったことではないし、自分も人のことは言えない。シライはじっと見てくるクロノの瞳を見つめ返しながら、不調の兆しがないかを探った。精神の強さは贔屓目なしに折り紙付き。それでも、クロノが子供なのだということを忘れる気はなかった。
「別に、いつでも寝られる」
「そうか」
先に目をそらしたのはクロノの方だった。
事実として、クロノの寝付きは驚くほどにいい。巻戻士に必要な、後付けで身に付けることが難しい技能だ。クロノの持つそれが生来のものか後天的なものなのかは、巻戻士を目指す前のクロノを知らないシライには分からない。
「何を飲んでいるんだ?」
「コーヒー」
「へえ、大人だな。おれは飲めない」
本当かという目を向けてきたクロノに、シライは軽く頷いた。
「嘘をつく意味がないだろう。おまえ相手に取りつくろう必要もない」
「おじさん結構抜けてるもんな」
春の日差しのようにうららかで、悪意のない眼差しだった。あまり見る機会のない和やかな表情に気を取られ、ツッコミが遅れたシライを尻目に、クロノはカップに手を添える。
「ミルクと砂糖が入ってる。なしだとまだ飲めなかった」
悔しさも何も含まない、課したトレーニングの進捗報告じみた口調だった。
「この時間にコーヒーは眠れなくなるぞ。怖い夢でも見たか?」
「……いい夢だった」
嘘ではないと言うように、クロノは下手くそな笑顔をシライに向けた。
夢は記憶のデフラグだという。いい夢と言いつつ眠ることを躊躇うクロノの記憶に、シライには一つしか心当たりがない。
シライは不得手な自覚のある慰めを口にする代わりに、巣立ったばかりの弟子の頭をひと撫でした。寝る子は育つと言える空気ではない。
撫でられているクロノは全くうれしそうではなかったが、嫌がられていないことだけは確かだった。畳む
タイトルを付けるなら「寝る子は巣立つ」かな。何がつらいってシライのだじゃれノルマですよ。
#BLEACH 前に書いた一斬よしよし筆おろしセックスの導入(これ )の続き。導入部分の尻尾を少し変えて常識人&ストッパー役として白一護を投入たので導入部から再投稿です。
「経験がないことは恥ではない」
「何も言ってねえだろ!」
いつも通りの断定系で言った斬月を一護は睨んだ。
精神世界の中。斬月はビルの最上階に近い位置で、まるで生き物のようになびく裳裾の中心に立っている。
信頼関係と呼べるものを築けた今でも、斬月が最初に現れる場所までの距離は、出会った当初と変わっていない。
余人のいない空間といえども声を張って話したい内容ではなく、一護は斬月にもう少し近くに来てほしいと思った。しかし一護のことを文字通り生まれてからずっと見守り続けていた斬月を相手に、女性経験がないことを取り繕う意味はない。一護はそれ以上言うことを諦めて、苛立ち紛れに大きく息を吐いた。
久しぶりの学び舎、久しぶりの馬鹿騒ぎ。
尸魂界の面々とも馬鹿げた掛け合いはやっていたが、日常そのものである友人らと話すのは格別の楽しさだ。数々の特異な事象を経てもなお変わらず接してくる面々にもみくちゃにされ、一護の抱えていたわだかまりは一瞬で彼方へと押し流された。
――が、日常に身を置く仲だからこそ、重大事も変わってくる。
現世や尸魂界、果てはこの世界そのものまで担ったことのある一護の両肩には、今は「童貞」の二文字が重く伸し掛かっていた。
「ならば私とするか」
「は?」
「経験がないことが不安なのだろう。一護、お前が曇ることを私は望まぬ」
斬月の言葉を正しく聞き取った一護は、現実逃避から無意識に空を見上げた。
心情はさておき曇る気配はなく、ところどころに白い綿雲が浮かんだ穏やかな青空が広がっている。
いや、違う。
「そういうことじゃねえだろ! そうやってするもんじゃねえし!」
「果たすあてがあるのか?」
「ねえけど、でもそれは、ほら」
好きなやつとするもんだろ、とごにょごにょと言った声は、臨戦時の一護しか知らない者ならば驚くような歯切れの悪さだ。
言ったものの具体的に思い浮かぶ「好きなやつ」のない一護は、学校で言われたからかいを頭の中で反復し、うるせえという文句を声に出さないまま眉間に皺を刻んだ。
「それならば私の方は問題ない」
「なん……でだよ」
一護の眉間に刻まれた皺に困惑が加わる。
「私はお前のことを好いている。ずっとだ。問題があるとすれば一護、お前の方にある。私が相手に適さぬと言うのならば身を引こう」
「適すも適さないも、斬月のおっさんはおっさんだろうが」
「若い方がいいか」
瞬間、二人の脳裏をよぎったのは天鎖斬月の姿だ。
一護は刃を交えていない時にまで相手の思考が読めるわけではなかったが、サングラス越しに合わせた目から斬月が同じことを考えていると察する。
「違う!」
そして、思わず吠えた。姿が若ければいいというわけではないし、ついでに言うなら自分によく似た容姿をした斬月もごめんだった。体を乗っ取ろうとしているという認識こそ改まっているが、今までの経験を踏まえると、白い死覇装を纏う斬月がどんな教え方をするか想像は容易い。容易すぎるあまり脳裏に浮かんできた映像を一護は手を振って打ち払う。
「そりゃあ、俺だっておっさんのことは嫌いじゃねえよ」
考えていることは元から筒抜けだ。一護はぐちゃぐちゃと言い訳するのが馬鹿らしくなり、眉間に深々と皺を寄せたまま、ひとまず斬月からの好意に好意を返した。何年も共に歩み、導いてくれた相手を嫌うわけがなかった。
「ならば決まりだ」
そう言った斬月の声からは、滲み出すような安堵が感じられた。合わせられた瞳の穏やかさ。まるで与えられた役目をようやっと果たせるとでも言うような様子に、一護は喉まで出掛かっていた抗弁を飲み込む。
「――待てよ、斬月さん」
「ッ!」
背後で膨れ上がる気配。振り返った先に抜き身の刀を引っ提げたもう一人の斬月を見た一護は目を見張った。一体いつからいたのか。目の前の斬月に意識を注いでいたばかりにまるで気が付かなかった。
「お前……っ! いるなら最初からいろよ!」
「うるせえ。俺も出る気はなかった」
決まりの悪さからつい大声になった一護の抗議を、白い斬月はしかめ面で受け流す。見据えているのは一護を挟んだ向こう側、黒い斬月だ。
「言ってたことと違うじゃねえか。元はこいつが流されて変なことにならないよう釘を刺すって話だったろ。あんたが流してどうすんだ」
「…………」
「だんまりか?」
「……欲は初めから備わっているが、交わり方は学ばなければ身に付かない」
「いきなり過ぎんだよ。そもそもやる前提で進めんな」
「……一護」
しばらくの沈黙の後、一護の肩越しに斬月と見合っていた斬月が、再び一護の方を向く。身構えた一護が後退しなかったのは二人の教育の賜物だ。
「いついかなる時でも中断できる。一度受けたからといって気負う必要はない。私からお前への信頼は、そんなことで損なわれるものではないのだから」
微動だにしない斬月とは反対に、すたすたと軽い足取りで一護の斜め前まで歩み出た斬月は、そうじゃねえんだよ、とばかりに溜め息を吐いた。
「好きだからってやらなきゃなんねえ道理はねえ」
「それが本能でもか?」
「俺たちの王はひとりだけだ。当代限りで何の不足がある」
かつて自分が一護に向けた単語を向けられた斬月は、当て擦りとも取れそうなそれを気にした風もなく即答する。
「おい」
「てめえは黙ってろ」
一護の不服の声を聞いた斬月が、声と背中に不機嫌を纏わせる。
しかしそれに怯む一護ではない。
斬月の声の調子から真面目な回答であることは察せられたが、一生童貞で構わないと言われるのは違う。一護は死覇装の背中に文句を投げつける。
「つったって俺の話だろうが」
「今ここで答えを出すことじゃねえって言ってんだ。てめえがやりてえのは分かった。だが今すぐにする必要はどこにある?」
「いや……それは、そう……だけどよ……」
「分かったなら帰れ」
振り返らないまま追い払おうとしてくる斬月をとりあえずそのままに、一護は先にいた方の斬月を見た。
助けを求めたわけではない。兄としての習い性だ。妹二人を持つ身としては、いくら納得がいったからといって、片方だけの言い分を聞くわけにはいかない。
「私は結論を急ぎすぎた。ここは一度引いてくれ。お前の望むようにすることが私の望みだ」
おっさんそれはずりぃだろ、と思いながら一護が瞬くと、目の前の景色は自室の壁に変わっていた。
◇
意を決して入った精神世界の中で、一護は黒い斬月を見据えた。
「おっさん自身はどうなんだよ」
セックスに興味がある。
いずれはしたいと思っている。
するなら相手は女だと思っていたが、斬月を相手にするのが嫌だということはない。
それが刃禅ではなく、坐禅の真似事をしながら考えた一護が出した答えだった。
経験の有無などどうでもいいと開き直れない自分と違って、斬月は見てくれ通りに大人なのだから、セックスに対して一護のような考え方をしているわけではないだろう。例えば遊子に求められた一護が買い物に付いていくように、何の気負いもなく日常の一端としてできるものなのかもしれない。
だが仮にそうだとしても、きちんと意志を確認しておきたかった。
「俺のためとかそういうんじゃなくて、斬月がどうしたいかを聞きたい」
一護はかつてない緊張感を覚えながら、自分を見ている斬月が静かに瞬くのを見つめる。気を利かせたのか、探ってみてももう一人の斬月の気配は感じられなかった。
「私はお前と交合したい」
明瞭すぎる答えに一護は呻いた。
一護はいつも通りの立ち位置から動く様子のない斬月を見ながら、きゅっと嫌な縮み方をした心臓が、年齢に似合わない不整脈のような打ち方をするのをなだめる。
あまり負荷を掛けすぎると、白い斬月が一護の危機と判断して出てきてしまうかもしれない。前回はさておき今回は完全に自分の責任だ。姿を見せないだけで思考も会話も筒抜けだろうが、今この場で顔を合わせたくなかった。
「一護、お前は思い違いをしている。私は、私が望むことしかしていない。お前の望みを何でも叶えてやりたいというのは、ただの私のわがままだ」
「そうかよ……」
会話を終えても逸らされることのない斬月の目に、他に聞きたいことがあると見透かされているのを感じて、一護はすいと目を逸らした。
斬月から提案を受けた日からずっと、男同士でどうやってするのだという疑問、もとい興味が、心の中にドーンと腰を据えている。男女の性交ですら児童向けの絵本でなぞっただけの曖昧な知識なのだ。男同士の方法など、斬月に尋ねる以外に知る術を思いつかなかった。
一護は気づいていなかったが、今や一護の興味は童貞を捨てることではなく、斬月とセックスすることに主軸を移しつつあった。コウノトリだとかキャベツ畑だとかの子供だましを言うこともないだろう、という信頼もある。
一護はもう一度斬月を見た。
「……最初に言ったけどよ、俺もおっさんも男だろ。どうやってやるんだ?」
「性交の方法は一つに限らないが、感覚を膣性交に近づけるのならば肛門を使う。膣口に見立てた肛門に、勃起した陰茎を挿入するということだ。この場合は直腸が膣の役割を担う」
説明を聞いているうちにどんどん顔色を変えていく一護をどう思ったか、斬月は心得ているとばかりに頷いた。
「安心するといい。私は食事を摂らない。排泄もしない。私の肛門は今――お前のためにある器官だ」畳む
「経験がないことは恥ではない」
「何も言ってねえだろ!」
いつも通りの断定系で言った斬月を一護は睨んだ。
精神世界の中。斬月はビルの最上階に近い位置で、まるで生き物のようになびく裳裾の中心に立っている。
信頼関係と呼べるものを築けた今でも、斬月が最初に現れる場所までの距離は、出会った当初と変わっていない。
余人のいない空間といえども声を張って話したい内容ではなく、一護は斬月にもう少し近くに来てほしいと思った。しかし一護のことを文字通り生まれてからずっと見守り続けていた斬月を相手に、女性経験がないことを取り繕う意味はない。一護はそれ以上言うことを諦めて、苛立ち紛れに大きく息を吐いた。
久しぶりの学び舎、久しぶりの馬鹿騒ぎ。
尸魂界の面々とも馬鹿げた掛け合いはやっていたが、日常そのものである友人らと話すのは格別の楽しさだ。数々の特異な事象を経てもなお変わらず接してくる面々にもみくちゃにされ、一護の抱えていたわだかまりは一瞬で彼方へと押し流された。
――が、日常に身を置く仲だからこそ、重大事も変わってくる。
現世や尸魂界、果てはこの世界そのものまで担ったことのある一護の両肩には、今は「童貞」の二文字が重く伸し掛かっていた。
「ならば私とするか」
「は?」
「経験がないことが不安なのだろう。一護、お前が曇ることを私は望まぬ」
斬月の言葉を正しく聞き取った一護は、現実逃避から無意識に空を見上げた。
心情はさておき曇る気配はなく、ところどころに白い綿雲が浮かんだ穏やかな青空が広がっている。
いや、違う。
「そういうことじゃねえだろ! そうやってするもんじゃねえし!」
「果たすあてがあるのか?」
「ねえけど、でもそれは、ほら」
好きなやつとするもんだろ、とごにょごにょと言った声は、臨戦時の一護しか知らない者ならば驚くような歯切れの悪さだ。
言ったものの具体的に思い浮かぶ「好きなやつ」のない一護は、学校で言われたからかいを頭の中で反復し、うるせえという文句を声に出さないまま眉間に皺を刻んだ。
「それならば私の方は問題ない」
「なん……でだよ」
一護の眉間に刻まれた皺に困惑が加わる。
「私はお前のことを好いている。ずっとだ。問題があるとすれば一護、お前の方にある。私が相手に適さぬと言うのならば身を引こう」
「適すも適さないも、斬月のおっさんはおっさんだろうが」
「若い方がいいか」
瞬間、二人の脳裏をよぎったのは天鎖斬月の姿だ。
一護は刃を交えていない時にまで相手の思考が読めるわけではなかったが、サングラス越しに合わせた目から斬月が同じことを考えていると察する。
「違う!」
そして、思わず吠えた。姿が若ければいいというわけではないし、ついでに言うなら自分によく似た容姿をした斬月もごめんだった。体を乗っ取ろうとしているという認識こそ改まっているが、今までの経験を踏まえると、白い死覇装を纏う斬月がどんな教え方をするか想像は容易い。容易すぎるあまり脳裏に浮かんできた映像を一護は手を振って打ち払う。
「そりゃあ、俺だっておっさんのことは嫌いじゃねえよ」
考えていることは元から筒抜けだ。一護はぐちゃぐちゃと言い訳するのが馬鹿らしくなり、眉間に深々と皺を寄せたまま、ひとまず斬月からの好意に好意を返した。何年も共に歩み、導いてくれた相手を嫌うわけがなかった。
「ならば決まりだ」
そう言った斬月の声からは、滲み出すような安堵が感じられた。合わせられた瞳の穏やかさ。まるで与えられた役目をようやっと果たせるとでも言うような様子に、一護は喉まで出掛かっていた抗弁を飲み込む。
「――待てよ、斬月さん」
「ッ!」
背後で膨れ上がる気配。振り返った先に抜き身の刀を引っ提げたもう一人の斬月を見た一護は目を見張った。一体いつからいたのか。目の前の斬月に意識を注いでいたばかりにまるで気が付かなかった。
「お前……っ! いるなら最初からいろよ!」
「うるせえ。俺も出る気はなかった」
決まりの悪さからつい大声になった一護の抗議を、白い斬月はしかめ面で受け流す。見据えているのは一護を挟んだ向こう側、黒い斬月だ。
「言ってたことと違うじゃねえか。元はこいつが流されて変なことにならないよう釘を刺すって話だったろ。あんたが流してどうすんだ」
「…………」
「だんまりか?」
「……欲は初めから備わっているが、交わり方は学ばなければ身に付かない」
「いきなり過ぎんだよ。そもそもやる前提で進めんな」
「……一護」
しばらくの沈黙の後、一護の肩越しに斬月と見合っていた斬月が、再び一護の方を向く。身構えた一護が後退しなかったのは二人の教育の賜物だ。
「いついかなる時でも中断できる。一度受けたからといって気負う必要はない。私からお前への信頼は、そんなことで損なわれるものではないのだから」
微動だにしない斬月とは反対に、すたすたと軽い足取りで一護の斜め前まで歩み出た斬月は、そうじゃねえんだよ、とばかりに溜め息を吐いた。
「好きだからってやらなきゃなんねえ道理はねえ」
「それが本能でもか?」
「俺たちの王はひとりだけだ。当代限りで何の不足がある」
かつて自分が一護に向けた単語を向けられた斬月は、当て擦りとも取れそうなそれを気にした風もなく即答する。
「おい」
「てめえは黙ってろ」
一護の不服の声を聞いた斬月が、声と背中に不機嫌を纏わせる。
しかしそれに怯む一護ではない。
斬月の声の調子から真面目な回答であることは察せられたが、一生童貞で構わないと言われるのは違う。一護は死覇装の背中に文句を投げつける。
「つったって俺の話だろうが」
「今ここで答えを出すことじゃねえって言ってんだ。てめえがやりてえのは分かった。だが今すぐにする必要はどこにある?」
「いや……それは、そう……だけどよ……」
「分かったなら帰れ」
振り返らないまま追い払おうとしてくる斬月をとりあえずそのままに、一護は先にいた方の斬月を見た。
助けを求めたわけではない。兄としての習い性だ。妹二人を持つ身としては、いくら納得がいったからといって、片方だけの言い分を聞くわけにはいかない。
「私は結論を急ぎすぎた。ここは一度引いてくれ。お前の望むようにすることが私の望みだ」
おっさんそれはずりぃだろ、と思いながら一護が瞬くと、目の前の景色は自室の壁に変わっていた。
◇
意を決して入った精神世界の中で、一護は黒い斬月を見据えた。
「おっさん自身はどうなんだよ」
セックスに興味がある。
いずれはしたいと思っている。
するなら相手は女だと思っていたが、斬月を相手にするのが嫌だということはない。
それが刃禅ではなく、坐禅の真似事をしながら考えた一護が出した答えだった。
経験の有無などどうでもいいと開き直れない自分と違って、斬月は見てくれ通りに大人なのだから、セックスに対して一護のような考え方をしているわけではないだろう。例えば遊子に求められた一護が買い物に付いていくように、何の気負いもなく日常の一端としてできるものなのかもしれない。
だが仮にそうだとしても、きちんと意志を確認しておきたかった。
「俺のためとかそういうんじゃなくて、斬月がどうしたいかを聞きたい」
一護はかつてない緊張感を覚えながら、自分を見ている斬月が静かに瞬くのを見つめる。気を利かせたのか、探ってみてももう一人の斬月の気配は感じられなかった。
「私はお前と交合したい」
明瞭すぎる答えに一護は呻いた。
一護はいつも通りの立ち位置から動く様子のない斬月を見ながら、きゅっと嫌な縮み方をした心臓が、年齢に似合わない不整脈のような打ち方をするのをなだめる。
あまり負荷を掛けすぎると、白い斬月が一護の危機と判断して出てきてしまうかもしれない。前回はさておき今回は完全に自分の責任だ。姿を見せないだけで思考も会話も筒抜けだろうが、今この場で顔を合わせたくなかった。
「一護、お前は思い違いをしている。私は、私が望むことしかしていない。お前の望みを何でも叶えてやりたいというのは、ただの私のわがままだ」
「そうかよ……」
会話を終えても逸らされることのない斬月の目に、他に聞きたいことがあると見透かされているのを感じて、一護はすいと目を逸らした。
斬月から提案を受けた日からずっと、男同士でどうやってするのだという疑問、もとい興味が、心の中にドーンと腰を据えている。男女の性交ですら児童向けの絵本でなぞっただけの曖昧な知識なのだ。男同士の方法など、斬月に尋ねる以外に知る術を思いつかなかった。
一護は気づいていなかったが、今や一護の興味は童貞を捨てることではなく、斬月とセックスすることに主軸を移しつつあった。コウノトリだとかキャベツ畑だとかの子供だましを言うこともないだろう、という信頼もある。
一護はもう一度斬月を見た。
「……最初に言ったけどよ、俺もおっさんも男だろ。どうやってやるんだ?」
「性交の方法は一つに限らないが、感覚を膣性交に近づけるのならば肛門を使う。膣口に見立てた肛門に、勃起した陰茎を挿入するということだ。この場合は直腸が膣の役割を担う」
説明を聞いているうちにどんどん顔色を変えていく一護をどう思ったか、斬月は心得ているとばかりに頷いた。
「安心するといい。私は食事を摂らない。排泄もしない。私の肛門は今――お前のためにある器官だ」畳む
#BLEACH 導入だけ書いた一護×斬月のおっさんの筆おろしよしよしセックス
「経験がないことは恥ではない」
「何も言ってねえだろ!」
真正面。いつも通りの断定系で言った斬月を一護は睨んだ。
信頼関係と呼べるものを築けた今でも、現れた斬月が最初に立つ位置は出会った当初から変わっていない。
余人のいない空間といえども声を張って話したい内容ではなく、もう少し近くに来てほしいと思ったが、一護のことを文字通り生まれてからずっと見守り続けていた斬月に改めて言い訳をする意味はない。一護はそれ以上言うことを諦めて、苛立ち紛れに大きく息を吐いた。
久しぶりの学校、久しぶりの馬鹿騒ぎ。
尸魂界の面々とも馬鹿げた掛け合いはいくらでもやっていたが、死線などというものを意識したことがない頃からの相手と話すのはまた別の楽しさがある。変わらず接してくる面々にもみくちゃにされ、一護の抱えていたわだかまりは一瞬で彼方へと押し流された。
――が、生死を意識したことがない仲だからこそ、重大事も変わってくる。
現世や尸魂界、果ては世界そのものまで背負ったことのある一護の両肩には、今は「童貞」の二文字が重く伸し掛かっていた。
「ならば私とするか」
「は?」
「経験がないことが不安なのだろう。一護、お前が曇ることを私は望まぬ」
一護は現実逃避から無意識に空を見上げた。心情はさておき曇る気配はなく、ところどころに白い綿雲が浮かんだ穏やかな青空が広がっている。
いや違う。
「そういうことじゃねえだろ! そうやってするもんじゃねえし!」
「では誰とする」
「それは、ほら」
好きなやつと、とごにょごにょと言った声は、臨戦時の一護しか知らない者ならば驚くような歯切れの悪さだった。
好きなやつとは言ったものの具体的に思い浮かぶ顔のない一護は、学校で言われた「子供だ」というからかいを頭の中で反復し、うるせえと声に出さないまま眉間に皺を刻んだ。
「ならば私の方は問題ない」
「は?」
「私はお前が好きだ。問題があるとすれば一護、お前の方にある。私が相手に適さぬと言うのならば身を引こう」
「適すも適さないも、斬月のおっさんはおっさんだろうが」
「若い方がいいか」
瞬間、二人の脳裏をよぎったのは天鎖斬月の姿だ。一護は刃を交えていない時にまで相手の思考が読めるわけではなかったが、サングラス越しに合わせた目からそれを察する。
「違う!」
一護は思わず吠えた。姿が若ければいいというわけではないし、ついでに言うなら自分によく似た容姿の虚の力を宿した方の斬月もごめんだった。斬魄刀の打ち直しを経て体を乗っ取ろうとしているという認識こそ改まっているが、あちらの斬月がどんな教え方をするか想像したくもない。
「……そりゃあ、俺だっておっさんのことは嫌いじゃねえよ」
考えていることは元から筒抜けだ。一護はぐちゃぐちゃと言い訳するのが馬鹿らしくなり、眉間に深々と皺を寄せたまま、ひとまず斬月からの好意に好意を返した。何年も共に歩み導いてくれた相手を嫌うわけがなかった。
「ならば決まりだ」
そう言った斬月の声からは、どことなく安堵が感じられた。表情は相変わらずの無表情。それでも伝わってくるまるで己の役目を果たせるとでもいうような様子に、毒気を抜かれた一護はついに抗弁の機会を逃した。畳む
「経験がないことは恥ではない」
「何も言ってねえだろ!」
真正面。いつも通りの断定系で言った斬月を一護は睨んだ。
信頼関係と呼べるものを築けた今でも、現れた斬月が最初に立つ位置は出会った当初から変わっていない。
余人のいない空間といえども声を張って話したい内容ではなく、もう少し近くに来てほしいと思ったが、一護のことを文字通り生まれてからずっと見守り続けていた斬月に改めて言い訳をする意味はない。一護はそれ以上言うことを諦めて、苛立ち紛れに大きく息を吐いた。
久しぶりの学校、久しぶりの馬鹿騒ぎ。
尸魂界の面々とも馬鹿げた掛け合いはいくらでもやっていたが、死線などというものを意識したことがない頃からの相手と話すのはまた別の楽しさがある。変わらず接してくる面々にもみくちゃにされ、一護の抱えていたわだかまりは一瞬で彼方へと押し流された。
――が、生死を意識したことがない仲だからこそ、重大事も変わってくる。
現世や尸魂界、果ては世界そのものまで背負ったことのある一護の両肩には、今は「童貞」の二文字が重く伸し掛かっていた。
「ならば私とするか」
「は?」
「経験がないことが不安なのだろう。一護、お前が曇ることを私は望まぬ」
一護は現実逃避から無意識に空を見上げた。心情はさておき曇る気配はなく、ところどころに白い綿雲が浮かんだ穏やかな青空が広がっている。
いや違う。
「そういうことじゃねえだろ! そうやってするもんじゃねえし!」
「では誰とする」
「それは、ほら」
好きなやつと、とごにょごにょと言った声は、臨戦時の一護しか知らない者ならば驚くような歯切れの悪さだった。
好きなやつとは言ったものの具体的に思い浮かぶ顔のない一護は、学校で言われた「子供だ」というからかいを頭の中で反復し、うるせえと声に出さないまま眉間に皺を刻んだ。
「ならば私の方は問題ない」
「は?」
「私はお前が好きだ。問題があるとすれば一護、お前の方にある。私が相手に適さぬと言うのならば身を引こう」
「適すも適さないも、斬月のおっさんはおっさんだろうが」
「若い方がいいか」
瞬間、二人の脳裏をよぎったのは天鎖斬月の姿だ。一護は刃を交えていない時にまで相手の思考が読めるわけではなかったが、サングラス越しに合わせた目からそれを察する。
「違う!」
一護は思わず吠えた。姿が若ければいいというわけではないし、ついでに言うなら自分によく似た容姿の虚の力を宿した方の斬月もごめんだった。斬魄刀の打ち直しを経て体を乗っ取ろうとしているという認識こそ改まっているが、あちらの斬月がどんな教え方をするか想像したくもない。
「……そりゃあ、俺だっておっさんのことは嫌いじゃねえよ」
考えていることは元から筒抜けだ。一護はぐちゃぐちゃと言い訳するのが馬鹿らしくなり、眉間に深々と皺を寄せたまま、ひとまず斬月からの好意に好意を返した。何年も共に歩み導いてくれた相手を嫌うわけがなかった。
「ならば決まりだ」
そう言った斬月の声からは、どことなく安堵が感じられた。表情は相変わらずの無表情。それでも伝わってくるまるで己の役目を果たせるとでもいうような様子に、毒気を抜かれた一護はついに抗弁の機会を逃した。畳む