#再投稿 #映画感想 『Planetarian』サイトに来ている方は誰も行かなさそうな映画ですが、一応畳みます。配信版があるけど、劇場版だけで分かります。公式サイトにも劇場版に配信版も含まれると書いてあります。配信版を見ましたが、本当にどこが省略されてどこが付け足されたのかを見て楽しむ程度の違いでした。元々は二次創作での考察のために、フィクション上のロボットの情報を入れたいという不純な動機で視聴を決めたのですよ。どうせkeyだから泣けるんだろって思って斜に構えずにはいられなかった。配信版の時点で泣きました。初めての印象を記したいこともあって、配信版を見たときの感想と混じります。伏せた部分を読むエンドロールを見た私「おじいちゃん小野大輔じゃなかったー!」てっきり青年期と同じ人が演じているとばかり思っていました。若いのにおじいさんの演技上手いなプロはすごいなって…すみませんでした。大木民夫さん…ハイジのおんじの方か…そらおじいさん上手いわ…劇場版は配信版でだるいなーと思っていた部分が、適度に端折られてさくさく進むようになっていました。でもほしのゆめみという名前が生まれたエピソードとか、いらない工具を渡そうとするところ(いらないと主人公が言うまでロボットってやっぱり機械に詳しいんだ、すごいって思ってた)とかは、思い返せば好きです。主人公がお酒を手にする前に爆弾に警戒するシーンに絡む回想はあったほうが分かりやすかったかもしれない。子供達に「見ていてあげるからやってご覧」「ええーできないよー」とかのやりとり、key=エロゲという先入観によりエロ台詞っぽいなと思いました。が、原作ゲームは全年齢とのこと。集落の女率の高さは持ち込み企画発祥ゆえかなーと思っていたのですが、そうじゃないのか。配信版でボロッボロ泣いていたプラネタリウムの観客の一言コメントのシーンは乗り切ったのですが、スタッフの皆さんあたりで涙腺が怪しくなり、結局涙をハンカチで押さえることになりました。一度もkeyのゲームをやったことがないのですが、一度やってみようかな。エズラに星を見せてあげたかったな。でもきっと子供達が見せてあげるんでしょう。シスター型ロボットはペンダントに反応するのでしょうか。パンフ買えばよかったかな…。彼女が作られた目的が気になります。放棄されたシェルターという設定だったと思うので、特定の宗教用であることは間違いないのですが、生身のシスターでないことには何か理由があるのでしょうか。大人たちはあれがロボットだと知っているのでしょうか。メモリーを移せなかったことで、ゆめみは死ぬことができたんだと思います。作中のロボットには感情はなく、壊れる間際のゆめみの言葉もプログラムだと思っているのですが、天国の彼女は感情がある気もします。ロボットもいる天国ということは、シオマネキもいるのでしょうか。ゆめみの「筐体」という言い方が、自己はあくまでもプログラムの方だと認識していそうで好きです。(元々バレてますが)メカバレシーンで痛覚のなさなどが言われたり、ロボットの天国のどういうところが天国なのかというポイントとか、熱処理の問題とか、 主人公に質問をして答えを絞り込んでいくところなど、ゆめみがどうやって思考しているのかがなんとなく分かるような造りで、そこもよかったと思います。ゆめみが約束をやぶって屑屋の方に来たところは、そこからすでにロボット三原則に従うプログラムが開始されていたということを劇場版(つまり二回目)を見てやっと理解できました。心配で見に来たら襲われてるから助けなきゃっていう流れかと思っていました。最初に交わされた「壊れているのか」「少し壊れています」の会話の真相が明かされたときとても悲しかったです。なんだよ壊れてないじゃん…最近めちゃくちゃ動くアニメ映画ばかりを見ていたので、撃たれても揺れない戦車が目についてしまったのですが、不満なのではなくて、どこを省力すれば・どこに注力すればいいかということが考えられていて良いと思いました。投影機の動きは細かいし、人物の表情もとても細やか。そういう意味でもいいアニメだなと思います。ロボットの視界情報が変わったのは何故なんだろうと思っていたのですが、Wikipediaによると『配信版はゆめみ視点、劇場版は屑屋視点』とのこと。大きなタイトルではないので仕方ないことですが、もっと大きいスクリーンで見たかったです。欲を言うならプラネタリウムの丸いスクリーンで。せっかくのプラネタリウムなので。名古屋の科学館で眠ってしまった記憶があるけど、もう一回行きたいな。畳む 感想 2016/09/21(Wed) 23:28:07
サイトに来ている方は誰も行かなさそうな映画ですが、一応畳みます。
配信版があるけど、劇場版だけで分かります。公式サイトにも劇場版に配信版も含まれると書いてあります。配信版を見ましたが、本当にどこが省略されてどこが付け足されたのかを見て楽しむ程度の違いでした。
元々は二次創作での考察のために、フィクション上のロボットの情報を入れたいという不純な動機で視聴を決めたのですよ。どうせkeyだから泣けるんだろって思って斜に構えずにはいられなかった。配信版の時点で泣きました。
初めての印象を記したいこともあって、配信版を見たときの感想と混じります。
エンドロールを見た私「おじいちゃん小野大輔じゃなかったー!」
てっきり青年期と同じ人が演じているとばかり思っていました。若いのにおじいさんの演技上手いなプロはすごいなって…すみませんでした。大木民夫さん…ハイジのおんじの方か…そらおじいさん上手いわ…
劇場版は配信版でだるいなーと思っていた部分が、適度に端折られてさくさく進むようになっていました。でもほしのゆめみという名前が生まれたエピソードとか、いらない工具を渡そうとするところ(いらないと主人公が言うまでロボットってやっぱり機械に詳しいんだ、すごいって思ってた)とかは、思い返せば好きです。主人公がお酒を手にする前に爆弾に警戒するシーンに絡む回想はあったほうが分かりやすかったかもしれない。
子供達に「見ていてあげるからやってご覧」「ええーできないよー」とかのやりとり、key=エロゲという先入観によりエロ台詞っぽいなと思いました。
が、原作ゲームは全年齢とのこと。集落の女率の高さは持ち込み企画発祥ゆえかなーと思っていたのですが、そうじゃないのか。
配信版でボロッボロ泣いていたプラネタリウムの観客の一言コメントのシーンは乗り切ったのですが、スタッフの皆さんあたりで涙腺が怪しくなり、結局涙をハンカチで押さえることになりました。一度もkeyのゲームをやったことがないのですが、一度やってみようかな。
エズラに星を見せてあげたかったな。でもきっと子供達が見せてあげるんでしょう。
シスター型ロボットはペンダントに反応するのでしょうか。パンフ買えばよかったかな…。彼女が作られた目的が気になります。放棄されたシェルターという設定だったと思うので、特定の宗教用であることは間違いないのですが、生身のシスターでないことには何か理由があるのでしょうか。大人たちはあれがロボットだと知っているのでしょうか。
メモリーを移せなかったことで、ゆめみは死ぬことができたんだと思います。
作中のロボットには感情はなく、壊れる間際のゆめみの言葉もプログラムだと思っているのですが、天国の彼女は感情がある気もします。ロボットもいる天国ということは、シオマネキもいるのでしょうか。
ゆめみの「筐体」という言い方が、自己はあくまでもプログラムの方だと認識していそうで好きです。(元々バレてますが)メカバレシーンで痛覚のなさなどが言われたり、ロボットの天国のどういうところが天国なのかというポイントとか、熱処理の問題とか、 主人公に質問をして答えを絞り込んでいくところなど、ゆめみがどうやって思考しているのかがなんとなく分かるような造りで、そこもよかったと思います。
ゆめみが約束をやぶって屑屋の方に来たところは、そこからすでにロボット三原則に従うプログラムが開始されていたということを劇場版(つまり二回目)を見てやっと理解できました。心配で見に来たら襲われてるから助けなきゃっていう流れかと思っていました。
最初に交わされた「壊れているのか」「少し壊れています」の会話の真相が明かされたときとても悲しかったです。なんだよ壊れてないじゃん…
最近めちゃくちゃ動くアニメ映画ばかりを見ていたので、撃たれても揺れない戦車が目についてしまったのですが、不満なのではなくて、どこを省力すれば・どこに注力すればいいかということが考えられていて良いと思いました。投影機の動きは細かいし、人物の表情もとても細やか。そういう意味でもいいアニメだなと思います。
ロボットの視界情報が変わったのは何故なんだろうと思っていたのですが、Wikipediaによると『配信版はゆめみ視点、劇場版は屑屋視点』とのこと。
大きなタイトルではないので仕方ないことですが、もっと大きいスクリーンで見たかったです。欲を言うならプラネタリウムの丸いスクリーンで。せっかくのプラネタリウムなので。
名古屋の科学館で眠ってしまった記憶があるけど、もう一回行きたいな。畳む