雑記帳

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#再投稿 #映画感想 『デルス・ウザーラ』

結末を知ったから見た映画ですが、知らずに見たかったと思うので畳みます。
開いて即結末バレしてます。

父から「デルスは道案内のお礼として最新式の銃をもらうのだけれど、その銃欲しさに殺されてしまう」というあらすじを聞き、それで見ることに決めました。父が最後に一人で見た映画(1975年公開)で、印象に残っている映画だということも興味を惹かれた要素です。結末を知った上で見ても、思っていた展開ではありませんでした。

ソ連映画とのことでデルスをロシア人だと思っていたので、中国人ぽい感じの人(ゴリドという民族で中国人ではない)だったことに驚きました。そもそもデルス・ウザーラが人名だと思っていなかった。該当する日本語がなかったからカタカナにした系かと。

隊長(カピターン)をカピターンカピターンと呼ぶデルスがかわいい。
隊長が「デルスのように心の美しい人間はそういない」とモノローグで言っていたけれど、隊長も大きな悪意に触れてこなかったからこその最後のミスだと思う。それとも、知っていたけどデルスと旅を続けるうちに浄化されてしまったのだろうか。川にくくられた死体があるシーンは時代劇っぽいと思いました。
飯盒に飯をどべっと盛るの好きです。

ほとんどのシーンが自然の中なのですが、雄大な自然!というものはありません。空撮がないからだと思いますが、あくまでも人間が見える範囲。自分の足で野山に登り、見下ろしたくらいのものです。
そのこともあって、凍った湖でも見える範囲の先しか見えず、隊長と二人で遭難するシーンの息苦しさはすごいです。夜に備えて延々と寝床に使う草を刈り続ける場面は、変化も会話もないので退屈に感じるはずなのですが、人力でひと掴みずつ草を刈ることの辛さが実感できてそれどころじゃなかった。本当に思うように草が増えない。日も暮れてくるし、風も出てきたし、このままじゃ凍えて死んでしまうという恐れが時間とともに増していく。何でも劇的に描けばいいというものではないと胸に刻まれました。

デルス独自の自然への信仰心も、それはするものではないと一度注意されたらそれを容れる隊員達も好きです。隊長が尊敬を持って接しているからもあるのかもしれませんが、変なヤツっていう風に扱わず、尊重されている気がします。デルスが隊長の家で暮らすことになったときも、息子がデルスを英雄視している(デルスは自分が隊長を助けたという話を全く語っていない。人は普通英雄譚を言いたがるのに、と隊長は言っている。ここも好きなところです)ところや、奥方も邪魔者扱いみたいにはしていないところなど、全体に心優しい人が多い。

隊長の思い出語りと共にデルスと撮った写真がスライドのように出されるシーン好きです。その後に不穏なことが起きるんだろうなという予感と合わせて好きです。一旦別れるとは思っていなかったので、まだ残り時間あるのにデルスと別れ、そして再会できたときは嬉しかったです。

だからこそ、デルスにはずっと元気でいてほしかった。劇中でさらっと流されたけど、明るさがなくなっていくデルスと旅を続けるのはしんどかったと思う。隊長も心軽く話せたデルスが失われてしんどいだろうし、隊員もデルスとの心のふれあいはさておき苛立たれるのしんどかったと思う。

デルスが死ぬシーンが描かれると思っていました。
ただ電報で、自分の名刺を持った人間が死んでいるとだけ知らされる。劇的さの欠片もない、あっけない死。誰がやったとも分からないし、立ち会った警官もなくなっている銃のことを聞いて「ああ、それで殺されたんでしょうな」くらいのお役所感。墓掘り人の仕事終わったらさっさと帰るところも好きです。隊長も別に事情を口にしない。自分だけの悲しみを自分の胸の内だけで処理する。そこがすごく好きです。このあっけなさをもっと感じたいから、ラストを知らずに見たかった。
遅かれ早かれ死ぬけれど、そこではないはずだった。でもそこで死んでしまう。このどうしようもない上手くいかなさが、とても好きです。畳む
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