雑記帳

日記とか備忘録とかそういうの

#運命の巻戻士 元競走馬のシライ×動物園の飼育員のクロノ

旅行中に書いてたやつサイトに出してなかった。書きかけのまま放置しそうなので一度続き共々貼っておきます。

 シライは雨の日が好きだ。嵐の日はもっと。
 理由はない。
 ただ何か、自分にとって大切なことが起こりそうな予感がするのだ。
 目の前が弾けたように明るくなる。
 号砲よりも大きな音が鳴り響く。他には何の音も聞こえない。
 体に当たるのが雨粒か、騎手の体か、跳ねた泥なのか分からなくなる。
 目の前に誰もいない、世界に自分しかいないような気がする瞬間。風雨が荒れ狂う日にやるレースは、その瞬間がずっと続くのが好きだった。
 輝く視界。また音が鳴る。
 ファンファーレよりも地響きよりもずっとずっと大きな音。
 目も耳も鼻も役に立たない。
 自分の体が存在するという、源の分からない感覚だけが頼りだ。
 シライは雨の日が大好きだ。


「今日は雨だもんな。外に出るのはやめようか」
 シライは柵の中に入ったクロノが近づいてくるのを待って鼻先を擦り寄せた。
 前はクロノが来れば柵まで駆け寄っていたが、たまたま柵から離れた場所にいた日、シライを心配したクロノが柵の内側に入るのを見てからは、雨の日は奥の方で待つようにしている。
 シライがこの小さな動物園で暮らすことになったのは、荒天下で催行したレース中の事故が原因だ。傷付いたシライの右目は失明こそ免れたものの、視力は今も完全には回復していない。並み足で歩いたり餌を食べたりするのに支障はないながら、他の馬と競い合って走るのは難しい状態だ。
 競走馬として花開こうという年齢で引退を余儀なくされ、一時は安楽死まで検討されたわけだから、経緯を知るクロノがシライは雨が苦手だと誤解するのは無理からぬことだった。実際のところシライが雨の日に落ち着かなくなるのは、クロノが普段より頻回に顔を見せるからという理由だったが、そんなことを知らないクロノは、雨が苦手なシライを慰めるために顔を出している。
 シライはクロノの認識の誤りを知らないし、クロノもまた真実を知らない。シライはウマで、クロノはヒト。種族が違うために、齟齬なく意思を交わす手段を持っていない。だからクロノはシライのために忙しい合間を縫って顔を見せるし、シライはクロノに嘘をついているという罪悪感を抱くことなく、雨の日はいつもよりたくさんクロノに会えるという状況を享受できる。
 遠くの雷の音を聞きながらシライがクロノの頭に頭をくっつけると、クロノもシライと同じように目を細めて額を合わせた。


「今日は帽子はいいのか?」
 シライの頭の位置からだと庇のついた帽子はクロノの顔を隠してしまうから、シライは毎朝部屋に来るクロノの帽子を取り上げるのを日課にしている。箒を片手に持ったクロノは離れた場所から見ているシライに視線をくれた。
 クロノは自分と入れ替わりにシライに運動場に出てほしいらしいが、シライにはクロノの望みを聞いてやる義理はない。いや、シライの快適な生活はクロノによって保たれているのだから義理はあるが、一日数回しかないクロノと過ごせる時間を浪費する気はシライにはなかった。この動物園という場所はシライが前にいた場所ほど決まったスケジュールがない。運動場に出るのはクロノが去ってからでも十分だった。
 今日は帽子の存在を許してやる。
 シライは自ら帽子を取って見せたクロノに向かって鼻を鳴らした。今必要なのは屈んだクロノの腰の高さを確かめることだった。
 クロノの前足はシライのそれと違って柔らかく、常に地面から離れている。交尾に適した体勢を取らせるには、できれば柵の上、クロノが自身の体重を無理なく支えられる場所に屈んでくれることが望ましい。
 シライが初めてクロノに性的興奮を覚えたのは先週のことだ。
 クロノではない、けれども見たことのある人間がシライの部屋にやってきて、その日を入れて丸二日、クロノの姿を見られなかった翌日の夕方。シライはクロノに会えない日があることは知っていて、それはクロノ曰く「休み」なのだが、その日は事情が違っていた。
「泊りがけの勉強会だったんだ」
 クロノが差し出したのはご機嫌取りであることが丸分かりの角砂糖。食べてしまえば足掛け三日の不在を許さなくてはならなくなるから、シライとしては心を鬼にして無視するつもりだった。不意に吹いた風に乗って、クロノの体から抗いがたい匂いがしてくるまでは。
 冷静さを取り戻したシライは、あの匂いが牝馬の匂いであることを知っている。子どもを産める牝馬の匂いだ。クロノの匂いではない。こうしてクロノがいつも通りに接してくれることからすると、シライはクロノに怪我をさせなかったのだろう。我を忘れて興奮した後の虚しさの中で、シライを見上げるクロノがホッとした顔をしていたのを覚えている。
 シライの見境がなくなっていたあのとき、クロノは「だめだ」と言った。「おれじゃだめなんだ」と言ったのだ。目を負傷したシライに、風が強い日の葉擦れのように「もうだめだ」と言われ続けたシライに、居場所を与えてくれたクロノが、クロノ自身のことを「だめだ」と言ったのだ。
 そんなことはない。
 だめではない。
 クロノはだめではないのだ。
 シライは前脚で地面を掻いた。
 クロノを孕ませて、クロノはだめではないと証明する。
 それがシライにできる恩返しだった。


   ◇


「平気か、シライ?」
 びしょ濡れのクロノは自分のことはそっちのけでシライの体を拭いていた。シライを洗った後すぐに拭くようにしているのは濡れたまま土の上に転がられて洗い直しになった経験からだったが、今回は事情が違う。
 予報にない急な雷雨だった。雨宿りできる場所を求めて走る来園者に逆走する形でシライの元に急いだクロノは、運動場の中を速歩で駆けているシライの姿を見た。
 シライはクロノの姿を見ると足を緩めて寄ってきて、甘えるように頭を擦り寄せる。その間に轟く雷の音を、シライの耳は落ち着きなく追っていた。
 拭かれているシライとしては、自分よりクロノの体が濡れていることの方が気になっていた。シライは本能的に小さい生き物の方が体温を失いやすいことを知っている。邪魔な帽子を奪い取り、クロノの濡れ髪を舌で舐めるが、クロノからは制止の声しか上がらない。濡れそぼったクロノの外側、衣服の部分を甘噛みしても結果は同じだった。
 雨の日は全てが遠くなる。日頃はそこかしこで聞こえている声も今はほとんど届かない。おまけに雨音を掻き消すように大きな音が轟くたび、クロノの方からシライに近づいてくるのだ。
 今回こそいけるのではないか。
 シライは頭を低く下げ、鼻先でクロノの体を探った。匂いは雨のせいで薄まっているが、内側からクロノの温かな気配がする。濡れている部分が邪魔っ気だ。
「おれの服は後でいいんだ」
 シライはクロノの声を聞きながら頭を高く上げて、周囲に誰もいないことを確かめる。誰かがいるときよりもいないときの方が、クロノは長くシライに触れてくれる。シライの認識を肯定するように、クロノの手はまだシライの体に触れている。
「シライ?」
 シライが気にする方向をクロノも見る。クロノの頭の位置では何も見えないだろうに、四角く切り取られた窓の外を見ようとする。
 自分の動きにクロノが従うことが気持ちよくて、シライはそっと一歩踏み出してみる。クロノが合わせて足を進めたことで興奮が増した。今すぐ駆け出したいような、止まっているのに心臓が弾んでいるような心地をこらえながら、シライはクロノの肩に頭を擦り寄せた。


   ◇


 二度あることは三度あるという格言の通り、一度目の発情以降、クロノはたびたびシライの求愛を受けることになった。
 獣医師の診断では異常なし。いくら馬の嗅覚が優れているといっても嗅ぎつけられる範囲に牝馬はおらず、強いて挙げるのならばクロノの存在だったが、牝馬の発情に促されて起きる牡馬の発情のメカニズムを踏まえれば考えにくく、シライに威嚇されがちな同僚の下世話な冗談の範疇を出ない。
 常識があると言うべきか、シライは来園者の目の届く場所ではクロノに迫らない。クロノが朝一番に体調チェックをしに行ったときや、閉園後に限って愛情を見せてくるのだ。興奮状態にあるシライのペニスは字義通りの〝馬並み〟で、「飼育員さんにメロメロ♡」というほのぼのニュースとして報道するには絵面が生々しすぎるために、クロノはその点について少しほっとしている。
 シライの体調管理もクロノの仕事だから勃起したことは日誌に書いているものの、自分相手にだけ発情するということが分かってからは、記すのも見返すのも何やら気まずかった。
 クロノが無口を外すのを待っていたシライは、離れようとするクロノを引き止めるようにクロノの肩口に鼻先を擦り寄せた。耳元で聞こえる鼻息と作業着越しに感じる体温。シライはそっとしているつもりなのだろうが、クロノにとってはなかなかに強い力で押されている。
「こら、シライ」
 生理反応であるシライの興奮を止める手立てはないものの、クロノの方で学習したことはある。シライは「だめ」と言う言葉に過剰に反応するのだ。持ち回りで担当する子供向けの説明係を終えたばかりなために、言い換える言葉が子供に諭すようなものになったのは致し方なしだ。
 短期間に何度も見たせいで、クロノはぬらりと包皮から姿を現すシライのペニスが空で思い描けるようになってしまった。青毛の被毛と同じ黒々とした肉茎。牝馬と交尾するには必要十分な、自分の肘から先と同等の長さのものを挿入する気で向けられても、受け入れる器官を有さないクロノとしては途方に暮れるしかない。
 シライはクロノの顔に鼻面を押し付け、首筋の匂いを確かめるように嗅いでから、クロノの脇の下に頭を潜り込ませようとする。一方的に情動を押し付けられた一回目と違い、どうにかクロノをその気にさせようとしているらしいことが分かるだけに、クロノもシライの求愛を無下にはできない。
「おれが何とかするしかないか……」
 古いながらも蜘蛛の巣一つない馬房の天井を見上げながら、クロノは決意した。


   ◇


「痛い痛い痛い! やめろシライ!」
 シライはむしり取らんばかりの勢いで噛みついていたクロノの頭髪を吐き出した。憤懣やる方ない様子でそっぽを向き、あばよとばかりに尻尾を一振りする。
「そんなに怒ることないだろ……」
 馬の視野は広い。クロノはわざとらしく明後日の方向を見ているシライを見ながら、寝る間を惜しんで制作した擬牝台の安定を確かめるように揺すった。
 シライが乗りやすいよう擬牝台の高さと傾斜には気を配ったし、リサイクルショップで買った布団を巻きつけて、牝馬の感触に少しでも近づくよう、そしてシライが怪我をしないよう硬さを調整してある。見た目が生身の馬から程遠いのは、シライの認識を侮ったわけでも、クロノの工作の腕が悪いせいでもなく、擬牝台というのは馬でも牛でも豚でも、体操競技で使う鞍馬(あんば)のような形をしているものなのだ。
「いい案だと思ったんだけどな」
 クロノは仕方なく擬牝台の片付けに取り掛かる。予算が割けないところを苦心した甲斐あって出来栄えこそ良かったが、安定を確かなものにするためにはアンカーを打って固定する必要がある。仮にシライが擬牝台を気に入っていたとしても、今の状態では転倒する危険があるから使えなかった。
 クロノはまだそっぽを向いているシライを振り返り、正直すぎる耳の動きを見て苦笑した。シライはクロノなど知らないという素振りを見せているくせに、視界にクロノを収めているのはもちろんのこと、しっかり様子を窺っているのだ。
「悪かった。今日は散歩に行こう。園内を歩くのは久しぶりだろ」
 運動場はある程度の広さを確保してあるとはいえ、シライの生まれ故郷の牧場と比べれば猫の額で、競馬場のように全力疾走する機会もない。現役時代のようにレースのために移動することもないから、代わり映えのない景色に退屈しているのかもしれない。
 言葉がそのまま通じるとは思わない。だが、シライがひょいと尻尾を高く上げたのを見て、クロノはシライの機嫌が直ったらしいことを察した。畳む
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